キリハラさん

青山喜太

キリハラさんと私

 電車の中で、参考書を捲る。たまに単語帳を捲る。時に赤い線を引いて、頭の中で復唱してみたり。

 面白みのない反復、それが私の学生生活だった。


 自分の人生がペラペラだと感じたのはいつからだろうか、味気のないマニュアルを捲るみたいにただページを捲るだけの毎日。


 おかしなものだ、今私の乗る電車の広告には夢だとか人生を変えるだとかの美麗な文句が彩られている。しかしそれを眼にする人々には夢や希望が感じられない。

 紙のように薄っぺらいモチベーションをみんなセロテープで貼り付けている。


 何かあれば良い、今を壊す何かが、そうすればきっと私は変われる気がする。いつもそう思っていた。


 ─────────────


 ガタンゴトンと揺れる、電車。3周目の参考書を捲り読むふりをしながら、私はボケっと放心していた。

 つまらないと、内心思いながら、座れたのは良かったが人が多すぎる。大体ここは勉強するところじゃないから集中ができない。


 なんとかしてページを捲らない合理的な理由を自分で作り出そうとする。

 だが、変なとこで私は真面目だ結局、私は参考書に目を移す。勉強しなきゃと心が呟く。

 なんていつも通りでつまらないのだろう。


 そんな風に思った時だった。

 電車で場違いな音が響いた。


 ショキン……ショキリ。


 ハサミの音だった。思わず私は本を捲る手を止め、顔を上げる。

 いつの間にか周りに人はいなかった。バカな満員だったはずだ。


 不審がって席を立つ。すると、どうだろう離れたところに髪の長い女性が座っていた。


「あ、あの私、降りるところ間違えちゃったみたいで、はは! あのここ……その……どこら辺とか……わかります?」


 女性は座りながらも屈んでいて顔がわからない、酔っ払っているのだろうか? 寝ているのか?

 しかし困った、周りの景色は見覚えのない夕方の田園、放心しすぎて、こんなところまで来てしまったのか。


 だから田舎は嫌なんだ。

 そう呟きかけたその時だった。


 ショキリ。


 私の三つ編みと頬が切られた。


「え、う、うあ!!」


 思いがけないことで思わず私は尻餅をつく。驚きのあまり私は頬をさする。

 血が……出ている。

 痛い、いたい、かすり傷なのに、いやだからこそ痛い。混乱する脳みそを再起動させて顔上げるとそこに奴は立っていた。


「アノ……シン……シャワーノ音、キエナイ、鳥、アカイ水」


 真っ赤ないや、違う皮膚のない顔面の女がそこに立っていた、あの髪の長い女が。鋏を持って立っていた。


「うわぁぁぁ!!」


 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ! 私は走り出す。

 なんだ? どこだ、ここ?

 車両から次の車両へ、考えがまとまらないまま走る。


 後ろから気配がする間違いなくあの女だ。


「助けて──!!」


 叫びながら走った、走った。でも車両は続くどこまでもおかしい、もう5両は進んだ筈だ、でも先頭車両も運転席も見当たらない。


 足がもつれて転ぶ。まずい、くる切られる私、死にたくない!


 助けて、助け──。 


「落ち着けよ、女学生」


 その時だった、私の頭上から声がした。

 痛みに顔を歪めながら顔を上げる。そこにいたのはボサボサ頭の無精髭男が青いコートを着て立っていた。


 男は手に持っていたギターケースを床に置くと、私に手を差し出す。


「床に寝るのが好きならそのままでもいい」


 そんなわけないだろ。


 ─────────────


「あの、ありがとうございました、カットバンも……」


「例には及ばん、ガキはよく転ぶもんだろ」



 落ち着いた私は電車の座席に座り、無精髭の男の人に礼を言った。私の右隣りに座っている彼から薄っすらと軽んじられているような、そんな雰囲気を感じたが私に怒りなんか湧くはずもない。

 カットバンまでもらったのだからそんな気も起きない。


 それに私と同じ境遇の人がいる、この意味のわからない理不尽な世界に仲間がいるその事に安心した。


「あの、ここがどこだかわかります? ていうかあの女のお化けは……」


 とりあえず、気分転換に雑談と情報収集だ、私は隣に座る男に話しかける。


「知らん、わからん、見当もつかん、お化けは適当に撒いたんだろ? 短距離が苦手だったんだ」


「そうですか……えっと名前は……? 私、月野って言います」


「キリハラ」


 彼は……キリハラさんはそう名乗る。


「おい、女学生」


「月野です」


「ここがどこだかは知らんがなぜこうなっているかは俺ぁわかるぞ」


「え?」と私が呟くとキリハラさんは私を指さし言った。


「お前のせい」


「ええ?!」


 な、なんで?! ただの中学生なのに!? 

 混乱する私を横目にキリハラさんは言う。


「大方、こんな日常、抜け出したいなんて思ってたんだろ? それが怪異を惹きつけたんだ」


「え? そ、そんな程度で?」


 そんな理不尽な。と私が言う前にキリハラさんはため息を吐く。


「お前、怪異が干渉しやすい人間はどんな人間か、わかるか?」


「え? ど、どんな……」


「好奇心のある奴だよ」


 空気がシンと張り詰める。好奇心? 私が? 自覚なんてなかった、確かに退屈だと思っていたが、こんな事は望んでいなかった。


「……非日常を求め、現世に生きることを退屈に感じた時、怪異はその心の匂いを感じて這い寄る。わかるか? お前は無意識に招いたのさ、アイツを」


「そんな……わ、私そんなつもりじゃ」


 それが本当だとしたら、理不尽にも程がある。何も私に落ち度なんてないじゃないか。


「泣くな」


「な、泣いてません」


「いや、泣いてる」


 その上この男はデリカシーがない、最悪だ。


「なんのために俺がいると思っている?」


「バカにするため?」


「そうだ、ついでにお前のようなバカを怪異の巣から現世に返すためにな」


 私のイラつきを他所にキリハラさんは私をじっと見つめ、語り出した。


「なんで、つまんないなんて思ったんだ?」


「え?」


「生活だよ、なんでつまんないって思った?」


 決めつけるな、なんて言いたかった。でも何も言い返せない、当たってるからだ。


「関係あります? この状況に……?」


「案外、お前の心持ちでこの世界の縁が切りやすくなるもんだ、だからまずはカウンセリングだな」


 ますます何者なんだキリハラさん、そんな疑問がふつふつと心の中に湧いてくるが、しかしそれよりも元の生活に戻る方が大事だ、私はポツポツと話し始めた。


「え、と日々がつまんなくて……」


「ふむ」


「同じことの繰り返しで……やりたいこともないし……」


「はん?」


「このままで、いいのかなって……なんかここから逃げ出したくて……」


 キリハラさんはため息を吐いた。


「くだらねぇ~」


「はぁ!?」


「女学生、マジでお前は女学生だな」


「は、あの! キリハラさんが言えって言ったのに!? あと月野!」


 何なんだよコイツ! だがそんな怒りに震える私を見て、余計にキリハラさんは笑う。


「だがいい悩みだ」


 そう言って。


「……はぁ」


 私もため息が出てしまった。するとキリハラさんは懐から本を、いや、本というよりちょっと厚い手帳を取り出す。

 それをキリハラさんは私に見せる。


「見ろ」


 何を、と聞く前に気がつく。端っこに刀? らしき得物を持った棒人間がいた。パラパラとキリハラさんは手帳のページを捲る。

 すると棒人間が刀をなめらかに振るった。


「パラパラ漫画?」


「そうだ」


 キリハラさんは手帳を捲る手を止めた。


「なんでこの棒人間はなめらかに剣を振っているように見えるか、わかるか?」


 その問いかけに私は一瞬悩み、首を傾げながら答えた。


「えと、枚数が多いから?」


「ブブー」むかつく音がキリハラさんの口から出てくる。


「正解はオバケがいるからだ」


「オバケ?」


 するとキリハラさんはページの途中まで捲り、パラパラ漫画の中間を私に見せた。

 棒人間の刀が扇の様に崩れている。


「アニメの中割りとも言うコマだ、絵と絵を繋ぐ、動きのコマ。わざと形を崩すことで動きや残像を表現し──」


 キリハラさんは再びページを捲る。


「──映像を滑らかに見せる」


 棒人間が刀を滑らかに振るう。


「コマとコマを繋ぐ、重要なコマだ」


 だがなと、キリハラさんはため息混じりに語り出す。


「わざわざ一時停止して『作画崩壊だ』なんて言う奴もいる。手抜きだとも……」


 キリハラさんは呆れたように笑いながら手帳を閉じた。


「確かにそうかもな……長く続くアニメーションのクオリティを保つために生み出された手抜きの表現──」


「──しかしな女学生」


「月野です」


「アニメーションは一時停止をしてみるもんじゃない」


 キリハラさんは語る。


「連続して流れるページを切り出して悪意的にみるのはアニメ鑑賞ではない、わかるか?」


「はあ……?」


「アニメーションは連続で、通しで見て、初めて作品と言える物だと俺は思う……まぁ何が言いたいかと言うとだな……」


 キリハラさんは私をじっと見つめて、皮肉げに笑いながら言った。


「お前も、今の期間は中割りのコマだと思え」

「例え、みっともなくても、ありきたりでも、形が崩れてても」

「お前の人生を形作る、大事なコマの一つだ」

「いつかお前が死ぬ時、きっとこの中割りオバケのコマがどれほどお前のアニメ人生を助けていたかわかる時がくる」


「だからがんばれ」そう言って、キリハラさんは笑う。不思議と心がなぜか軽くなった気がした。変なオジさんの変な言葉なのに。


 だが、その時だった。空気が冷たく感じたのは。


 ──シャキリ……。


「来たな……」


 キリハラさんは立ち上がる。


「き、キリハラさん!?」


「奴め、お前の心が自分の巣から離れつつあるのを感じたんだ、仕掛けて来るぞ」


 その言葉を聞いて私は震え上がる。


「に、逃げなきゃキリハラさん!」


 腰の力が抜け、情けない姿で立ち上がった私はキリハラさんの袖を掴む。

 逃げよう、そう態度でも示したがキリハラさんは微動だにしない。


 ──ショキリ。


 音がする、いつの間にか車両の中間付近、私達から少し離れた所にそれは立っていた。


 鋏の女だ。


「あ!」


 間抜けな声を出した私を女はおぼつかない千鳥は足で迫って来る。


 真っ直ぐと私の首を狙って、鋏の刃が迫って来る。


「逃げろ!!」


 真っ白な私の思考に赤い飛沫が水を差す。切られたキリハラさんが、首を、首を切られてしまった。


「キリハラ、さ──」


 だめだ怖い、恐ろしい、動けない、腰が抜ける。

 動けない私をじっと髪の長い鋏の女は凝視する。


 ここで私は死ぬ。死ぬのか? 嫌だ死にたく──。


「おい、死人」


 その時だった、首から血を滴らせながら、キリハラさんが立ち上がった。


「死人が、何イキがってやがる」


 まるで蛇口から水が出るみたいに血が出ていると言うのに、何の違和感もなくキリハラさんは女に向かって喋っている。


「何驚いてんだよ? 単純明快な話だろ──」


 キリハラさんはギターケースから、何かを取り出す。それはギターなんかじゃない──


「俺も死人オバケなんだよ」


 刀だ、鞘に納められた。ただの刀。


「切り祓う」


 そして、横一閃。キリハラさんは切り払う。

 赤い血飛沫と共に女は金切り声を上げた。


 同時に私の意識はそこで途切れた。


 ─────────────


「起きたか?」


 次に目を覚ました時には、見知った道だった。私はいつのまにかキリハラさんの背で起きた。


「あれ? ここは?」


「お前の家の目の前だよ」


 そう言いながらキリハラさんは私を降ろす。何で私の家を知っていたのか、とか、そう言う疑問は山ほどあったが、でもそれを私が言おうとする前にキリハラさんは背を向けて歩いていく。


「あの!」


 だから、せめて一言だけ、言おうと思った。


「助けてくれてありがとう!」


 するとキリハラさんは背を向けたまま横目で私を見た。


「気にすんなよ、繋ぐのが中割りオバケの役目、だろ?」


 そう言ってキリハラさんは笑う。


「じゃあな月野……お前、母さんにそっくりだよそのそそっかしさ!」


「え? 母さんを……」


 それを聞く前に、冷たい風が吹いて私は思わず瞬きをしてしまった。

 その瞬きの間でキリハラさんはいなくなった。まるで最初からいなかったみたいに。


 ホッと息を吐き、家に入る。まだ母さんも父さんも帰ってきていない。


 ──カチャン。


 電気をつけた。いつもの日常だった。しかし……。


「……よし」


 私は、リビングでそっと参考書を開く、ノートも捲る。

 しかし、なぜか退屈は感じなかった。つまらないとも少しも思わなかった。


 私の人生が巨大なアニメなのだとしたらきっと、そうだ。

 捲るのは私なんだ。


 ただ、今はあの失礼な男の顔と一緒にそんな言葉が私の心に浮かんで沁みた。


 そして私は捲る、参考書ページをまた一つ。

 今度はしっかりと頭に叩き込めるように。

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