2025年11月6日:アウトロ(イントロ)
音楽において、アウトロというものの存在が軽く見られるようになって久しい。
けれど、それは、技術や環境の変化によってよりはっきりあらわれてきた特徴というだけのことであって、人間がそもそも備えている特徴のひとつだった。人間はアウトロ、あるいはアウトロのようなものを基本的に軽く見る。映画館でエンドクレジットが終わる前に席を立つ人はむかしもいまも変わらずいるし、人は人の話を最後まで聞かない。漫才のオチがとってつけたようなしょうもないものであることも珍しくない。人は自分が死ぬことをつねに意識しているわけではない。老いることも死ぬことも、自分には訪れないかのように振る舞う。
そこまで書いていて気づいた。わたしのこの日記こそがそうではないかと。
なにか書きたいことがある。黙っていられないことがある。だから書きはじめる。けれど、結論めいたものを考えてから書いているわけでもないし、書いているうちにいい感じの締めが思いつくことなんてほとんどない。というより、結論というものを書いてもしょうがないようなことについてばかり書いているから、「どうせこれを書いたって……」といった感じで、中途半端なところで終わらせてしまう。そもそも、そうなることがわかりきっていたら長いこと文章を発表するということにしっかり向き合えなかったのではなかったか。そしてそれがいやだから終わりが見えなくてもいいから書こうと思ってこの日記を書きはじめたのではなかったか。人は結局、終わりだけではなく始まりのことさえ簡単に忘れてしまうし、そもそも長い道のりを歩く必要が必ずしもあるわけではないこともたしかだった。
大事なことなんて、一言で終わることばかりだ。けれど、その大事なことを大事にするためには、実践するためには、広く共感してもらうためには、長い道のりが必要となる。ただ、それはもはや言葉が扱える領域をはるかに超えてしまっているのではないかと、いまの人々のコミュニケーションを、自分の経験を振り返ってみるに、そう思う。
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