1 Non tutto il male vien per nuocere.(全ての悪が必ずしも害悪とは限らない)

1-①

 一九二〇年、秋。

 地中海に浮かぶ小さな島国、サン=フォルティス共和国。

 その首都・アルタドゥーラから十数キロ離れた郊外にて、第三カラビニエリ連隊は緊迫した状況の真っ只中にあった。国際テロ組織の根城が町外れの廃工場であることが判明し、今まさに踏み込まんとしているところなのだ。


 武装し、物陰に身を潜めた特殊部隊の男たちは上官の指示を待っている。

 ロベルトは部下二人と共に廃工場の南出口に身を潜ませていた。


「アルファ、準備完了」


 無線に報告を入れる。間髪入れずに別部隊からも『ブラボー、準備完了』『チャーリー、準備完了』と準備完了の報告が続く。


 バササッ、と鳥の羽音が聞こえた。

 空は快晴。

 心地良い秋晴れ。


 飛んだ鳥が何色だったか、どんな種類か。目を向ける余裕もなく、本部からは命令が下される。


『――作戦開始だ。アルファ、突入』

「アルファ、突入を開始します」


 無線に返事を返したロベルトは、二人の仲間に目配せを送った。


 荒々しく南出口から突入した三人は、盾を構えつつ階段を駆け上がる。上階にいた数人の見張りは、こちらに気づくとすぐに銃を乱射してくる。


 援護射撃を受けながら手榴弾のピンを抜いたロベルトは、「退避!」と仲間に向かって叫んでから敵に向かって投げた。既に退避済みの味方二人の後を追い、転がり落ちる勢いで階段を駆け下りる。


 ドカンと響いた爆風に吹っ飛ばされたロベルトは、外壁にしたたか身体を打ち付けて転がった。


「……アルファ、南階段を撃破しました」

 息が詰まらせながら報告すると、

『ブラボー、突入。チャーリー、デルタも続け』

『ブラボー、突入します』


 上階の方で、パパパパ、パパパパ、と連射音が響いた。


 南出口を潰された敵組織の逃げ場は、屋上の非常階段か、東の通用口。そのどちらにも隊員が配置されている。

 ものの数十秒で『制圧完了』と無線が入り、作戦は終了した。テロ組織のリーダーはその場で射殺され、残りの構成員たちも捕獲された。


 ◇


「ロベルト・セヴェリーノ少尉。私は月に一度はきみの診断書を書いている気がするのだが、気のせいかな?」


 バストバンドで胸囲を固定されたロベルトが服を着ている間、医師は診断書を書きながら苦言を呈した。任務中に怪我を負った者はメディカルチームによって回収され、病院に搬送されるのだが、ロベルトはかなりの頻度でアルタドゥーラ総合病院の整形外科の世話になっていた。


「いえ、気のせいではありません」

「怪我が多すぎる」

「そういう仕事ですので」


 壁に激突した際に肋骨にヒビが入ったらしい。二週間程度は安静にするようにと指示を出した医師は、淡々としたロベルトの様子に鼻白んだ。


「……ああ、そうだとも。我が国が誇る軍警察カラビニエリは、テロや立てこもり犯に立ち向かう勇敢な仕事だ。しかし、問題は隊の中できみばかりが負傷している点だ。私はこの問題を上に報告すべきか悩んでいるのだが、きみはどう思うね?」


「必要ありません、先生ドットーレ。すべて自分が志願していることです」


「もっと自分を大切にしたまえ」


 はあぁぁっ、と大げさなため息をついた医師は、もう行っていいとロベルトを追い払った。


 西日が照り付ける廊下は誰もいない。

 一般外来の時間は過ぎているので静かなものだった。


 一階の薬局で湿布や痛み止めを貰い、電話を借りた。オフィスに連絡を入れるためだ。

 電話交換手の声を聞きながら窓の外に目を向けると、夏の間うんざりするほど青々としていた庭木の葉も、鬱金うこんに染まり始めてきている。


 あっという間に冬が来て、春になり、季節は一巡するのだろう。

 ロベルトは今年で二十三歳。段々と自分が何歳になったのか、サッと答えられなくなってきていた。


 電話が切り替わる。

 出たのは当直のモラン大佐だった。


『ロベルトか。怪我の具合はどうだ?』

「肋骨にヒビが入っているため、医師からは二週間程度の安静が必要との指示をうけました』


『そうか、わかった。今日はそのまま帰寮していい』

「わかりました」


『それと、明日から一週間の休養を命じる』

「わかりました」


 出勤したところで訓練に参加はできないので妥当な指示だろう。

 淡々と答えたロベルトは受話器を下ろした。




 ――サン=フォルティス島は二百五十平方キロメートル程度の島だ。

 北にはイタリアのシチリア島、西にはマルタ島がある。交易の島として栄えたため、島民には複数の国の血が混ざっている。


 特にシチリア島から流れ着いたマフィアたちが幅を利かせていた時代もあり、風土としてはイタリアの文化や制度が色濃く反映されていた。


 警察組織も大まかに二つに分けられている。

 内務省に属する国家警察ポリツィアと、国防省に属する軍警察カラビニエリだ。


 どちらも市内のパトロールや交通管制を行うなど重複する業務も多いが、国家警察は主要都市にしかいないのに対し、軍警察は小さな町にも派出所がある。また、軍警察官は国家憲兵でもあるため、対テロ対策や要人警護等の任務に就く特殊部隊も存在していた。首都アルタドゥーラにある官舎には、第一~第六部隊までが在中しており、ロベルトは第三部隊所属だ。


 官舎に戻って来たロベルトは、早めの夕食を済ませると部屋に戻った。

 ベッドと机とクローゼットのみの簡素な部屋。娯楽はない。


 入隊当初は四人部屋だったが、三年目からは二人部屋に。五年目からは一人部屋か、隊が借り上げている民間のアパートに移っても良い決まりになっている。


 多くの同僚たちが出て行ったが、ロベルトは「一人部屋」を選んだ。緊急の呼び出しを考えると、寮暮らしの方が圧倒的に楽なのだ。恋人がいれば話は別だが、今もこれからもそんな気はない。


 机の引き出しを開け、病院で貰ったばかりの湿布薬を放り込む。

 その際、返事をしていないままの手紙が目に入った。


 上品な白い便箋に書かれた、優しい文字。


 ロベルトは慌てて別の引き出しからハガキを取り出すとペンを走らせた。短い季節の挨拶と、いつも通りのお決まりの文を書き上げる。読み返すと罪悪感に襲われるので、そのまま一気に住所まで書いて、引き出しの中にしまった。


 休みのうちに出しに行こう。ありがたくないことに二週間も休みを貰ってしまったのだから。


 痛み止めが切れてしまったのか、怪我をした右半身が痛んだが、ロベルトはそのままベッドに入った。


 一日酷使した身体は疲れている。追加で痛み止めを飲まなくとも眠れるだろうと目を閉じる。そして、ああ嫌だなと憂鬱な気分に陥る。


 疲れている時、ロベルトは大抵ろくでもない夢を見るのだ。


 * * *


『なぜ、軍警察官になろうと思ったのですか?』


 同じ質問を二度されたことがある。

 一度は十八歳の時。士官学校に入学するための最終面接でだ。


 この時、ロベルトは嘘をついた。「自分は過去、軍警察官に世話になった。あの人のように被害者に寄り添い、犯罪をなくすために尽力できる警察官になりたいと思ったからです」と答えた。試験は無事に合格した。


 二度目は配属決めの時。

 成績と適性を鑑みた上で、本人の意向が確認される。


 ロベルトは特殊部隊員入りを志願した。同期の中で座学も実技もトップを譲ったことがなく、周囲の目から見てもロベルトの特殊部隊入りは堅いと思われていた。その時の面接も同じ質問をされた。……いや、同じようで違う聞き方をされた。


『きみのお父さんは国家警察官だったんだね。なぜきみは軍警察官になろうと思ったのですか』と。


 ロベルトは「模範解答」をした。

 すると、三人いた面接官の内、質問をした人物が『ふっ』と笑い声を漏らした。


『……何か?』


 怪訝な顔をすると、その口髭の面接官は『いや、失礼』と苦笑した。


『とても立派な志願理由だと思う。……時にセヴェリーノ君。私の顔を覚えているだろうか』

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