小さい子と大きい人たち

福天六(ふくたむ)

チョコマロンのロールケーキ


AM:09:45。開店15分前。


時計の針が十時を指そうとしていた頃、

店の奥から甘い香りがふわりと広がった。


(……チョコレート?)


溶けたチョコレートの匂いが、小さな鼻をくすぐる。

ウトウトしていたコウは、ぱちりと目を開けた。

奥の厨房からは、いつもの鼻歌が聞こえてくる。

きっと上手くいったんだな――そう思うと、自然と口元がゆるんだ。


子馬のオモチャ、コウがこの店に来てもうすぐ一年。

もともとはオモチャ屋で、飾り用として仕入れられたものだった。

それがどうしたことか、今ではこのケーキ屋に“住んでいる”。


オモチャの精――そんな存在が本当にいるなんて、

大人たちはきっと信じないだろう。

けれど店主の坂田には、

なぜかコウの本当の姿がちゃんと見えているのだ。


馬の着ぐるみを着た小さな子どもの姿のコウに、

最初はさすがの坂田も驚いていたが、

今ではごく自然に話しかけてくれる。


坂田はちょっと変わった人だ。

子どものころ、先代に「試食」と称して

毎回ケーキを食べさせられていたらしく、

甘いものが少し苦手になってしまったという。

それでも、嫌々言いながらもちゃんと店を継いでいる。


「コウー、ちょっと来てー!」


呼ばれて、コウは小さな体で椅子をよじ登り、

厨房のカウンターから顔を出す。


「チョコの……ロールケーキ?」


坂田は満足そうに出来上がったケーキを見つめていた。


「うん。今度、クリスマスの新作で出そうかと思って。

――というわけで、はい」


そう言って、フォークをひょいとコウに差し出す。


「コウちゃん、ちょっと味見してみてくれない?」


その言葉に、コウの顔がぱっと明るくなる。


「うん!食べたいっ!」

――と言いかけたが、すぐに頬をふくらませて続けた。


「……って、また?もうクリームのついたやつ飽きたんですけどー!」


ここ何日も連続で試食をしているのだ。


「だってコウ以外に味見してくれる人、いないんだもん。

お願いだから協力してくれよ」


困り顔の坂田に、コウはテーブルの上で転がりながらぼやいた。


「だったら人を雇えばいいじゃん」

「最初から教えるの、いちいち面倒なんだよ」

「ふーん……で、今回は何が入ってるの?」


しぶしぶフォークを受け取って、ひと口。

その瞬間、コウの目がぱっと見開かれた。


「……生地はビターで、クリームにマロンを混ぜてみたんだけど。どう?」


坂田が期待を込めてたずねる。


「うん。あんまり甘くないから食べやすいよ」

「え、それだけ? どんな感じとか、ないの?」


思ったよりあっさりした返答に、坂田は不満そうだ。


「今回も美味しいからいいじゃん。はいフォーク」


フォークを返そうとしたその時、

カラン、とドアベルが鳴った。


「お客さんだ。コウ、いつもの場所に座っててな」


坂田に抱えられ、コウは窓際のカウンターにちょこんと座らされる。


入ってきたのは、親子連れの二人。

小さな子がコウを見つけるなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。


もちろん、その子にはコウの本当の姿は見えていない。

坂田以外の人間には、

コウはただのゴム製の子馬のオモチャにしか見えないのだ。

それでも、話しかけたり抱きしめたりして、

小さな客はすっかり夢中になっていた。


会計を終えたその時、

その子がふとコウの顔を覗き込み、首をかしげた。


「あれ~?このおうまさん、くちにクリームついてるよ? ケーキたべたの?」


坂田の心臓がドキンと跳ねる。


「ど、どうしてだろうねぇ? おうまさん、ケーキ食べちゃったのかなぁ?」


引きつった笑顔でそう答える坂田。

客が見ていない隙に「コウ、口!口ふけ!」とジェスチャー。

慌ててコウは袖で口元をぬぐった。


「ありがとうございましたー!」


親子が手を振って帰っていくのを見送りながら、

坂田は小さく首をかしげた。


「……今の子、もしかしてお前のこと見えてたのか?」

「あー、面倒だから本当の姿は出してないよ。

オモチャの精も、いろいろ大変なの」


そう言って、コウは頬についたクリームをぺろりと舐めた。

そして、少し間をおいてぽつりとつぶやく。


「……今年のクリスマスケーキ、あのケーキにしたら?」

「え?」


坂田が目を丸くする。


「さっきのケーキ、ほんとに美味しかったよ。

甘すぎないし、食べやすかった」

「……ケーキは飽きたんじゃなかったのか?」

「それは別腹。だから、また食べたいなーって」


コウが見上げると、坂田は苦笑して肩をすくめた。


「まったく、素直じゃないな」


そう言いながら、坂田はコウの頭を軽くなでた。

そして、次のお客が来るまで――

ふたりはまた、新しいケーキの話を始めるのだった。

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