ゾディアックの魔女達と十三番目の魔術師

水鳴諒(猫宮乾)

―― 序章 ――

第1話 序-Ⅰ

 科学文明が終焉して――約三千二百年。


 既に、その痕跡はほとんど無い。敷いてあげるのならば、今、天井を見上げた時に吊り下がっているシャンデリアや、浴室のバスタブはその名残だろうし、トイレは水洗だ。しかしながら機序が異なり、別段下水道で処理されているわけではなく、全てを押し流して飲み込んでいくのは、魔術のかかった魔導具だ。浄化魔術がかかっている、というわけだ。


 本を開く。

 魔導書だ。


 ――アリアは、記憶にある限りずっと以前から、このトパーズの館で暮らしてきた。青いドレスの上に、蒲葡えびぞめ色のローブを纏い、首筋を鎖で繋いで、その上にリボンをつけている。細い肢体は十三歳時点から変化が無く、流れるような銀髪と爪だけが、伸びるなどの変化を見せる。不老長寿、不死ではないが、何事も無ければ寿命が無い存在。それが、アリアであり、魔女である。アリアは年若い魔女だが、既に三百歳を超えている。


 ここは、十二人の魔女が治める天空都市、ゾディアック。

 アリアは、火の魔力を持ち、第九番目の塔の管理者として暮らしている。


 塔の敷地のはずれに、トパーズの館は建っている。

 第一から第十二番目まである塔にも、それぞれの魔女が住んでいる。

 外見年齢は様々だ。幼い少女もいれば成熟した女性もいる。


 その範囲にあっては、十三歳に見えるアリアは『普通』だ。

 銀髪を緩く後ろでまとめているアリアは、正面のテーブルにあるカップを見た。

 中では紅茶が揺れている。


 トパーズの館には、給仕の者はいない。アリアが一人を好むからだ。新しい紅茶が飲みたくなれば、指をパチンと鳴らす。それだけで良い。その音に反応し、魔導具である茶器が勝手に宙へと浮かび、新しいお茶を注いでいく。古い紅茶もまた、指の音と同時に消失していた。


 大半の日常生活は、魔術・魔女術・魔導具で、いかようにもなる。


「私にも、お茶を頂戴」


 その時、アリアの隣に、不意に同年代の容姿をした少女が出現した。転移魔術だ。アリアが顔を向けると、そこには、第三の塔の管理者である、メルの姿があった。メルは金色の髪をセミロングにしている。瞳も金色だ。


「また勝手に入った」

「アリア卿は、入って欲しく無い時は、結界を張ってるじゃん?」

「まぁ……今から張ろうと思ってた所だったから」


 ちょくちょくメルは、アリアの元に顔を出す。本日は緑色のワンピース姿で、白い外套を羽織っているメルは、アリアとは異なり活動的だ。アリアも決して非活動的というわけではないのだが、彼女の場合は、外に出る時と内にこもる時の差が激しい。


「何か用?」

「折角来た友達にそれは無いでしょう?」

「……ご、ごめん」

「謝るほどの事でも無いけどさ」

「だって」


 口論をするのは面倒だ。メルは非常に口が回るし、頭の回転も速い。アリアは何かと折れがちである。指を鳴らしてメルの分のカップを用意したアリアは、魔導書を閉じると、テーブルに置いた。


「用事はねぇ、あるといえばあるの」

「何?」

「んとね、『十三番目』が見つかったんだって」


 その言葉にアリアは目を丸くした。十三番目というのは、予てより噂されていた、ゾディアックの管理者資格を持つ、十三人目の魔女の事だろう。


「その件の話し合いを、十二人でするから、今夜の零時に中央塔に集まるようにって、伝言。遊びに行こうと思ってたから、私が持ってきたの」


 メルはそう述べると、華奢な両手で白いカップを支えた。中に入るのはココアだ。綺麗なネイルに描かれているサクランボを眺めながら、アリアは頷く。


 頭の上からつま先まで、メルは気を遣っている。アリアはその点、どちらかといえば無頓着だ。家の中も、トパーズの館が落ち着いた色彩だとするならば、メルの暮らすトルマリンの館は非常に可愛らしい。


「レオナ卿が、絶対呼んで来いって煩かったんだから」

「そう」


 レオナというのは、第五の塔の管理者であり、このゾディアックでも中心的な魔女だ。豊満な体付きをした美女である。彼女もまた火の魔力の使い手であるから、アリアとは個人的な親交もある。


 中央塔は、円形に十二伸びる各塔への道の、中心にそびえ立っている。塔というよりは、どちらかといえば城と表現するのが相応しい外観だ。


「どんな人が来るんだろうね?」

「さぁ。私はそれよりも、どこに十三番目の塔が出現するのかが気になるかなぁ」


 魔女の認定を受けると、その者が管理する塔が出現する。現在は十二に等分されているゾディアックだが、その中の土地の配分が変わるはずだ。そう考えて、アリアは己のカップを手に取りながら、細く長く吐息した。


 指を鳴らして、ティスタンドを呼び出す。そこには煌くように甘いお菓子が載っていた。一番下がスコーン、その上はサンドイッチ、さらに上にはマフィンやクッキー。


「いただきます」


 メルが手を伸ばす。甘党ではないアリアは、ただ静かに紅茶を飲むだけだ。

 現在は、午後の四時半を過ぎた所である。


「夕食も食べていく?」

「んー、アリア卿のご飯、美味しいから食べたいけど、私も一回お家に帰って準備しようかなって。十三番目との初対面だから、ご挨拶をしないとだしね」

「ご挨拶……」


 アリアは億劫になった。メンバーが変わらないゾディアックにいるせいで、初対面の時にどのような顔をするかなど、記憶の彼方だ。他の塔には各魔女の弟子、館には使用人がいるが、アリアが彼らに挨拶をする事も無い。


 アリアには、弟子もいない。まだ、自分が何も極め終わっている自信が無かったから、それを理由に、『地上』からの弟子入りは受け入れていないのだ。地上で生きる人びとは、このゾディアックに住まう者とは異なり、寿命がある。老化もする。ゾディアックは特別だ。十二人の星の魔女は、地上にも関与している。ゾディアックの決定は、地上の国々も受け入れる。それが魔女という生き物の力なのだと、この天空都市では誰も疑わない。


「じゃあね。また、夜に」


 メルがそう言うと立ち上がり、フッと消えた。これもまた、転移魔術だ。

 見送るでもなくそちらを見てから、アリアは残ったティスタンドを見る。

 まだ穏やかな、夕暮れだった。

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