第11話
「でも半分間違いです。正確には……なれません。ちゃんと朽ちていきます。でも普通の人よりはずっと長持ちをする。朽ちてきた人はどうするのかわかりますか?」
クスクスと笑いをひそめた声が続いた。
「人魚から分けてもらうんですよ。血や肉や、いろんなものを……そうすることで再び精が保たれる」
ひおに流れているものが口にしたひとの体を再生させていくということだ。
「でもね、人魚も朽ちていくんですよ。残念ながら。ひおももうすぐ果ててしまう……体の中はすでに腐敗が始まっている。気がついていましたか? 家中にただようにおいに……こんなにきれいな子なのにね」
「ひおが……」
この家中に漂っているにおいはひおが腐敗し始めているにおいだというのか。やっと出会えたというのに。
「じゃ、じゃあ……どうすれば」
せっかく会えたのに終わりだというのか。人魚は不死ではないのか。
「それはね」と紀は眩しそうに三井を見た。
その時だった。
どこからともなく涼やかな歌声が聞こえてきた。まるで母が歌う子守歌のように、祈りを捧げる者たちに救いの手を差し出す聖母の歌声のように。
清らかで優しい声が部屋の中に響き渡る。
「聞こえますか?」と紀はうっとりとするように瞳を閉じた。
「ひおが歌っている」
「ええ……」
「あなたを呼んでいる」
紀と見つめ合った瞬間だった。
大きな波が三井を襲った。ざぶりと飲み込まれ素流に巻き込まれる。波の合間に大きな尾びれが舞い光を反射する。
派手な水音を立てた水が天井まで届いた。
手を伸ばしながら深く水中に沈んでいく。光る水面にぶくぶくと三井の吐く泡がのぼって水泡を作った。耳の奥に自分の呼吸の音が響く。
体が急激に沈んでいく様をゆっくりと見ていた。
美しかった。
ただその景色に見惚れていた。ゆらゆらとこちらをのぞく紀の顔が揺れて遠くなっていく。
ふいに手を引かれ、冷たく細い指がしっかりと三井を抱きしめた。
視線を向けると優しく聖母のような笑みを浮かべたひおがいた。なんて温かな場所なんだろう。
ひおが三井の名を呼ぶ。
「そうだよ、ひお。ぼくだよ」
ひおの澄んだ声が繰り返し名を呼ぶ。
そうだよ、もっとぼくの名前を呼んで。ずっときみに呼ばれたかった、ぼくのことを見つけて欲しかった。
ひおに抱かれながらぐんぐんと底へと沈んでいく。呼吸を忘れたように継げない息も苦しくはなかった。
遠く頭の上に光が反射する。水を覗き込む紀の顔が揺れている。あれは今までいた生者の居場所。そしてここは。
「聞こえますか?」と紀の声が届いた。
「なん百年かに一回、ひおも生まれ変わらなければならない。そう、今みたいに……わかりますか、三井さん。食事と共にあなたにひおの血を分けました。ひおにもあなたの血をわけました。もう契約は結ばれていたのです」
小指に残った歯形。あれはひおのものだったのか。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
ひおの噛んだ場所がズキズキと脈動し熱くなる。命の鼓動が伝わる。息はもうずっとしていない。だけど苦しくはない。
呼吸を必要としていないのに、三井はいま水の中深くにいて、しっかりした意識を持ち、紀の話を聞き届けることができている。
「三井さん、ぼくとあなたはひおに選ばれたんです」
興奮気味な紀の声が水の中に響いている。
「ぼくはひおと生きるために。そしてあなたは」
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