第二話 地獄のウェディングプラン(仮)~慰謝料とキャンセル料のフルコースを添えて~

 あの日から、一ヶ月が過ぎた。

 結婚式まで、残り一ヶ月。

 招待客からの返信ハガキも出揃い、リビングのテーブルには「出席」に丸がつけられたハガキが山積みになっている。


「わあ、佐藤先輩も来てくれるって! 嬉しいな」


 美優は、週末の朝、優雅に紅茶を飲みながらハガキを仕分けている。

 この一ヶ月、俺は完璧な婚約者を演じ続けた。

 浮気の証拠を掴んだことなどおくびにも出さず、式の準備も率先して手伝った。

 美優はすっかり安心しきっている。俺が出張中に火野を連れ込んだことも、観葉植物にビールをやったことも、バレていないと思い込んでいる。

 その証拠に、彼女の「残業」や「休日出勤」は、この一ヶ月でむしろ増えていた。そのたびに火野と密会していることは、俺が雇った調査会社(もちろん合法的な範囲での尾行だ)の報告書で確認済みだ。


 俺は、枯れかけたモンステラを隔離したベランダに目をやった。

 懸命な処置の甲斐なく、あいつはもうダメそうだ。

 だが、無駄死にはさせない。


「美優。ちょっといいか」

「ん? どうしたの、涼介。改まって」

「大事な話がある。今日の午後、うちに、俺の両親と、美優のご両親に来てもらうことになっている」

「えっ!? なんで!?」


 美優が素っ頓狂な声を上げた。


「聞いてないよ、そんなの! 両家顔合わせなら、とっくに済んだじゃない!」

「顔合わせじゃない。結婚式に向けた、最終確認だ。どうしても両家の親御さんにも同席してほしい、大切な議題がある」

「もう、涼介ってたまに強引なんだから。わかったよ、ちゃんとお化粧しなきゃ」


 美優は、何かポジティブなサプライズでもあると勘違いしたようだ。

 呑気なものだ。その「大切な議題」が、自分自身の首を絞めるものだとも知らずに。


 午後二時。

 新築マンションのリビングに、両家の両親が揃った。

 俺の父さんと母さん。

 美優のお義父さんとお義母さん。

 全員が、どこか緊張した面持ちでソファに座っている。


「涼介くん。いったい、どういうことかね。大切な話とは」


 お義父さんが、不安そうに尋ねてくる。


「はい。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。美優、君もこちらへ」


 俺は、美優を自分の隣、両親たちの正面に座らせた。


「何? 涼介。みんな怖い顔してるけど」

「これより、氷室涼介・水無瀬美優 両家の結婚式に関する、緊急動議を行います」


 俺は、法廷に立つような冷静な声で、そう宣言した。

 そして、テーブルの上に、俺がこの一ヶ月かけて作成した「資料」を、四部、配布した。

 美優の分だけ、ない。


「……涼介? これ、なに?」


 美優が俺の資料を覗き込もうとするのを、手で制する。


「議題は、『水無瀬美優氏の不貞行為に伴う、婚約破棄、および損害賠償請求について』です」

「…………は?」


 美優の顔から、血の気が引いた。

 資料に目を通した両家の両親も、絶句している。

 そこには、あの日、俺が確認した防犯カメラの映像から切り出した、美優と火野翔がキスをしている鮮明な写真。

 二人がラブホテルに出入りする、調査会社の報告書。

 そして、俺のカードで決済された「マッサージチェア」の購入履歴。


「りょ、涼介……これ、な、なんの冗談……?」

「冗談?」


 俺は初めて、美優に対して冷たい視線を向けた。


「この男、火野翔。君の同僚だ。先月、俺が出張中、君はこの男をこの家に招き入れた。違うか?」

「あ……そ、それは、仕事の相談で……」

「仕事の相談で、俺の観葉植物にビールを飲ませるのか?」

「!」


 美優の息が止まった。

 俺は続けた。


「君は、俺が育てていたモンステラに、こいつとふざけてビールを与え、枯死させた。さらに、俺のクレジットカードを不正利用し、火野翔へのプレゼントと思われるマッサージチェアを購入している。これらはすべて、窃盗および器物損壊にあたる可能性がある」

「ち、違う! あれは、その……!」

「黙りなさい、美優!!」


 声を荒げたのは、お義父さんだった。

 顔を真っ赤にして、わなわなと震えている。


「涼介くん……これは、すべて、事実なのかね」

「はい。ここに記載の通りです。裏付けとなる証拠(データ)はすべて保全済みです」

「そんな……」


 お義母さんが、泣き崩れた。

 美優は、ただ「あ、あ……」と声を漏らすだけだ。


「よって、俺は、水無瀬美優さんとの婚約を、本日この場をもって破棄します」

「待って! 待ってよ涼介! ごめんなさい! 私が悪かった! 翔とは、遊びだったの! 本当に、出来心で……!」


 美優が、俺の足元に泣きながらすがりついてきた。

 遊び。出来心。

 その言葉が、俺の最後の理性を焼き切った。


「遊びで、婚約者がいる男の家に上がり込むのか。遊びで、俺の金でプレゼントを買うのか。遊びで、人の大切なものを壊すのか」


 俺は、美優の手を振り払った。


「お義父さん、お義母さん。申し訳ありませんが、これはもう、二人だけの問題ではありません」


 俺は、もう一枚の書類をテーブルに置いた。


「こちらが、今回の婚約不履行に伴う、損害賠償請求書の見積もりです」


 そこに並んだ数字を見て、美優は「ひっ」と短い悲鳴を上げた。


「まず、結婚式場および関連業者へのキャンセル料。本日が、キャンセル料率100%の発生日です。招待状も発送済みのため、減額の余地はありません。合計、450万円」

「そん、な……」

「次に、この新築マンション。契約者は俺ですが、君の希望で入れた高額な家具・家電費用。これらは君との共同生活を前提に購入したものです。これの購入費用半額、および、即時退去に伴うクリーニング費用。合計、150万円」

「ま、待って……」

「そして、今回の不貞行為、および長期間にわたる欺瞞行為に対する、精神的苦痛への慰謝料。これは、君と、不貞の相手である火野翔氏に対し、連帯して請求します。500万円」


 合計、1100万円。


「ふざけないで! そんなお金、払えるわけないじゃない!」


 逆ギレした美優が叫んだ。


「払えるかどうかは、君と火野翔が相談することだ。ちなみに、火野翔氏にも、別途、この請求書(証拠一式添付)を内容証明郵便にて送付済みだ。おそらく、今頃、彼の実家にも届いている頃だろう」

「……あ」

「ああ、そうだ。念のため、君たちの勤務先である広告代理店の人事部にも、同じものを『参考資料』として送っておいたよ。『御社の社員間のコンプライアンスについて』という表題でね。誤送付ということにしてあるから、安心するといい」


 俺は、法務部の人間だ。

 どうすれば相手が「社会的」に終わるか、その手順は熟知している。

 エリート(笑)の広告代理店勤務の二人が、社内で「他人の婚約者を寝取った」ことが公になればどうなるか。

 火野翔は、もうエリートコースには戻れないだろう。美優も、だ。


「う、うわああああああ……!」


 美優が、子供のように泣き叫んだ。

 だが、遅い。

 もう、何もかも。


 後日談。

 あの話し合いは、両家の親が美優を土下座させ、俺の両親がそれを受け入れる(ただし婚約破棄は続行)という形で幕を閉じた。

 俺は「結婚式直前に婚約者に裏切られた、可哀想な被害者」として、周囲から全面的な同情を得た。

 会社の上司も「大変だったな、氷室。ゆっくり休め」と特別休暇をくれた。


 一方、美優と火野翔は、予想通り、会社に居場所がなくなった。

 火野は耐えきれず自主退職。美優も、地方の関連会社へ事実上の左遷となったらしい。

 慰謝料とキャンセル料は、両家の親が肩代わりする形でなんとか支払われたが、美優は実家から勘当同然となり、このマンションから逃げるように出て行った。


 俺は、がらんどうになったリビングで、新しい観葉植物の鉢を磨いていた。

 今度は、希少なアンスリウムだ。


 ポケットのスマホが震えた。

 画面には、非通知設定の着信。

 どうせ、「もう一度やり直したい」「助けて」という、聞き飽きた声だろう。


 俺は、その着信を冷たく切り、電源をオフにした。


「さて、次の週末は、新しい肥料でも探しに行くか」


 あの日枯れたモンステラのことは忘れない。

 だが、俺の平穏な日常は、もう誰にも邪魔させない。

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