EP 6

二つの顔と血塗られた猫

ゴルド商会ルーメン支店長、ヴァリスは、目の前の「慶」と名乗る謎の男に、商人としての本能的な「嗅覚」が刺激されるのを感じていた。

「『特別顧問』として、私の『知識(ルール)』を。その代わり、私の『サロン(塾)』のための場所と、信頼できる仲介を」

ヴァリスは、慶(佐藤)が提示した複式簿記の概念図を眺めた。

「金貨5枚か。安い。だが、あなたの狙いは金ではないな?」

「私は『学問』を広めたいだけだ。知識は力だ。ゴルド商会がそれを理解するなら、我々は良いパートナーになれる」

「……よろしい」

ヴァリスは笑みを深めた。「慶」殿。あなたという『商品』、ゴルド商会が預かろう。

「早速だが、東地区に、以前はエルフの工芸家が使っていた小さな工房(アトリエ)が空いている。人目につきにくく、学ぶには静かな場所だ。……最初の『生徒』も、こちらで数名、見繕っておこう。金勘定は早いが、文字の読み書きがおぼつかない、才能の原石どもをな」

「恩に着る」

佐藤は「慶」としての仮面を保ったまま席を立った。

手には、ゴルド商会からの前払い金――彼自身の「私金」が入った袋が握られていた。

その夜。三人が拠点とする宿屋。

佐藤が自室に戻ると、そこには不満を顔に貼り付けたリベラと、瞑目して待つデューラの姿があった。

テーブルの上には、リベラが銀貨一枚で買ってきたであろう、硬そうな黒パンと干し肉が寂しげに置かれている。

「……おかえりなさい、佐藤さん」

リベラが、恨みがましい目で佐藤を見る。

「『街の調査』、ずいぶん長かったですね。まさか、私たちに経費の節約を命じておいて、ご自分はどこかで美味しいディナーでも召し上がっていたんじゃありませんか?」

「(……ディナー? 魔界トウガラシの粉末を舐めただけだが)」

佐藤は内心で反論しつつ、表情を変えない。

「リベラ」

今度はデューラが、重々しく口を開いた。

「我々の関係性を明確にしたい。あなたは『裁判官』。我々は『弁護士』と『検察官』。だが、我々は女神ルチアナの命を受けた『執行チーム』でもあるはずだ」

「……何が言いたい」

「あなたの単独行動だ。我々に『公私混同を許さぬ』と厳命しておきながら、あなた自身が『私』の行動を隠蔽(いんぺい)している。それは『法』の執行者たる我々の間で、公平性を欠くのではないか?」

デューラの指摘は鋭い。

「法(オン)」の執行者である佐藤健義が、「啓蒙(オフ)」の活動家「慶」として秘密を持つ。この二重生活は、検察官(デューラ)から見れば「疑惑」の対象となり得る。

「私のオフタイムの行動は、私の自由だ」

佐藤は冷静に答えた。

「それが『法』に触れぬ限り、君たちに報告する義務も、許可を得る必要もない」

「そんな! 私たちは仲間じゃないですか!」

リベラが叫ぶ。

「仲間ではない」

佐藤は、その言葉を冷徹に切り捨てた。

「我々は『神聖法廷』を構成する『機関』だ。裁判官、検察官、弁護士。それぞれが独立した役割を果たす。馴れ合いは、法の公正さを歪める要因にしかならない」

「……ッ!」

リベラが絶句し、デューラが「(……この男、やはり論理の怪物か)」と息を呑んだ、その瞬間。

スッ……。

​宿屋の壁を、何の前触れもなく一体の人影が透過してきた。

デューラの指揮下にある「警察天使」だった。

​「報告します。デューラ検察官」

天使は、感情のない声で告げた。

「西地区の倉庫街にて、殺人事件が発生。被害者は人間、ルミナス帝国の商人。……容疑者として、獣人族一名が帝国衛兵に拘束されました」

​空気が一変する。

「……獣人族」

デューラの目が鋭くなった。

​「行きますよ、二人とも!」

リベラは先ほどの落ち込みを瞬時に切り替え、立ち上がった。

「現場の衛兵たちが、まともな捜査をするとは思えません! きっと偏見で……!」

​佐藤も頷き、上着を羽織った。ゴルド商会との密約の興奮は胸にしまい、冷徹な「裁判官(オン)」の思考に切り替える。

​西地区の倉庫街は、すでに帝国の衛兵によって粗雑な縄張りがされ、封鎖されていた。

血の匂いと、野次馬のざわめきが空気を重くしている。

​「止まれ! ここは衛兵隊が管轄する!」

衛兵が槍を突き出す。

​「我々は、女神ルチアナの権能に基づき、法廷を開く権利を持つ者だ」

佐藤が静かに前に出た。

「その前段階として、適法な『捜査』を開始する。……衛兵隊長はどこか」

​倉庫の入り口で、恰幅(かっぷく)のいい衛兵隊長が、血の付いたナイフを雑に布で拭いながら出てきた。

「あ? あんたらか、昼間の……。もう事件は解決だ! 犯人は捕まえた!」

​彼が指さす倉庫の中は、無惨な光景だった。

積み荷の木箱が崩れ、床には大量の血だまり。その中心に、被害者である商人が息絶えている。

​そして、その傍らで。

一人の若い獣人族――猫耳族(ねこみみぞく)の青年が、両手を縛り上げられ、組み伏せられていた。

彼の両手は血にまみれ、衛兵隊長が拭ったナイフが彼の足元に転がっている。

​「こいつだ! こいつがやった! 俺たちが駆けつけたら、こいつ、このナイフを握ったまま、死体の横で震えてやがった! 状況証拠は真っ黒だ!」

​「……デューラ検事」

佐藤の声は冷たい。

「何だ、裁判長」

「あの衛兵隊長の行為をどう思う」

「……論外だ」

デューラは衛兵隊長に歩み寄り、その胸倉を掴み上げた。

「貴様! 凶器(ナイフ)を素手で触り、あまつさえ布で拭うとは! 証拠汚染も甚だしい! 神聖法廷において、貴様のその行為は『証拠隠滅罪』及び『司法妨害』とみなされても文句は言えんぞ!」

「な、なんだと!?」

​「裁判長。これより、我々の権能において、この現場の『証拠保全』及び『強制捜査』の許可を。神聖令状の発付を要求する」

「許可する」

佐藤が懐から(イメージで)令状を取り出し、デューラに渡す。これは【天上天下唯我独尊】の権能の一部であり、法廷召喚前でも捜査のために行使できる。

​「聞け、衛兵隊! これよりこの現場は、女神ルチアナの法に基づき、我々が接収する! 全員、倉庫から出ろ!」

デューラが令状を突きつけると、衛兵たちはその神聖な圧力に押され、しぶしぶ外へ出た。

​「さて」

現場が確保されると、三人はそれぞれの役割を開始した。

​【検察官:デューラの捜査】

「(警察天使たちを召喚し)……現場の徹底的な鑑識(かんしき)を開始する」

デューラは、部下の天使たちに指示を出す。

「血痕の分析を急げ。あれが返り血(スプラッター)なのか、付着痕(擦過痕)なのか。それと、あのナイフ……汚染されてはいるが、残された指紋(魔力痕)を採取しろ。被害者と容疑者以外のものが無いか、徹底的にだ」

神聖魔法の光が、血だまりやナイフをスキャンしていく。

​【弁護士:リベラの捜査】

「(大丈夫、怖くないですよ。私はあなたの味方です)」

リベラは、倉庫の隅で震える猫耳族の青年に、そっと近づいていた。

「あなたの名前は?」

「……リ、リオです」

「リオ君。何があったか、教えてくれる?」

「……俺、荷物を運ぶ仕事で来たら、旦那が倒れてて……ナイフが刺さってたから、助けようと、抜こうとしたら……そしたら衛兵たちが来て……」

「(怯えは本物。嘘をついている目じゃない……)」

​リベラはリオに頷きかけると、倉庫の外に出た。

彼女は懐から、先ほど佐藤の私費(銀貨一枚)で買ったケーキの残りを取り出した。

(※結局、佐藤への当てつけに公金で買ったケーキ代は、彼女の「貸与」となった銀貨では足りず、佐藤の私金から追加で借りる羽目になっていた)

​「あの、衛兵さん。お疲れ様です。甘い物でもどうです?」

リベラは、野次馬や衛兵たちにケーキを配り始めた。

「あら可愛い天使様。ありがとう」

「ねえ、殺された商人さんって、どんな人だったんですか?」

「ああ、あの人かい? 羽振りは良かったが、最近はゴルド商会と取引で揉めて、随分焦ってたみたいだよ」

「へえ……。じゃあ、捕まったリオ君は?」

「ああ、あの猫耳か。三日前に雇われたばかりの新入りさ。真面目そうだったが……やっぱり『獣』は『獣』ってことかねえ」

​リベラは笑顔の裏で、重要な証言(被害者のトラブル、容疑者の人柄)を確保する。

(……もし、万が一リオ君が犯人だったとしても、『雇われたばかり』『獣人族への差別』……これは情状酌量(げんけい)の材料になりますね)

彼女は、どのような結末になろうとも、被告人(リオ)を「救う」ための根回しを怠らない。

​【裁判官:佐藤の推理】

佐藤は、現場の中心で腕を組み、デューラの鑑識作業と、リベラが集めてくる情報を待っていた。

彼は、ただ一点――被害者の胸の「傷口」だけを見つめていた。

​(……猫耳族(リオ)の証言が真実なら、彼はナイフを『抜こう』とした)

(衛兵隊長の証言では、彼はナイフを『握って』いた)

(だが、この傷は深い。一突きだ。これだけの傷を負わせるなら、ナイフは『逆手』で握るのが合理的だ。しかし、衛兵が押収した時のナイフは『順手』で握られていたと報告があった)

​(……刺した犯人と、抜こうとしたリオ)

(刺した瞬間、血は霧状に噴き出すはずだ。もしリオが犯人なら、顔や服の広範囲に『返り血』があるはず。だが、彼の血は両手と、膝をついた時の『付着痕』がメインだ)

​(……そして、衛兵の到着が早すぎる。リオがナイフを抜こうとした『瞬間』に踏み込むとは。まるで、誰かが通報し、待ち構えていたようだ)

​そこへ、デューラとリベラが同時に報告に戻ってきた。

​「裁判長!」

デューラが興奮を抑えきれない様子で言った。

「血痕の分析完了。リオの服の血は、やはり『返り血』ではなく『付着痕』。……そして、ナイフから検出された指紋(魔力痕)は三種類! 被害者、容疑者(リオ)、そして……『第三者のもの』だ!」

​「佐藤さん!」

リベラも駆け寄る。

「被害者は、ゴルド商会と取引トラブルを抱えていました! そして、衛兵に真っ先に通報したのは、被害者の『共同経営者』だそうです!」

​三つの情報が、佐藤の頭の中で一つの線として繋がった。

被害者。ゴルド商会とのトラブル。共同経営者。第三者の指紋。

​「……そういうことか」

佐藤は、衛兵隊長が待機している倉庫の外を見た。

​「衛兵隊長。および、被害者の『共同経営者』を名乗る男を、至急ここへ」

「ああ? なんで俺のダチまで……」

「いいから呼べ。……どうやら、この事件の『被告人』がもう一人、増えるようだ」

​佐藤は懐から魔界トウガラシの小瓶を取り出し、その粉末を舐めた。

論理の戦場への「スイッチ」が入る。

​「リベラ、デューラ。準備はいいな」

「はい!」

「無論だ」

​「――神聖法廷を開廷する。【天上天下唯我独尊】」

​白亜の光が倉庫街を包み込む。

法廷に召喚されたのは、怯えるリオ、傲慢な衛兵隊長、そして――顔面蒼白の『共同経営者』だった。



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