第19話 読め、そして働け

 佐々木鉄工の夏休みはあっという間に終わり、今日から出勤だ。洗濯とトイレ掃除という午前の部のルーチンを済ませ、お昼になったので休憩室に行く。アホザルが何か読んでるのでまたエロ雑誌かと思ったが、普通に少年ジャンプだった。少年ジャンプなら借りて読みたい。 


「少年ジャンプ読んじゃったら貸してよ」

「マンガ読むのか? いつも難しそうな本読んでるだろ」


 そんな難しそうなもん読んでた自覚はない。最近何読んでたっけ、井伊直行の『草のかんむり』だ。あれはちょっと難しそうに見えるかもしらん。


「マンガ読む読むなんでも読む」

「そういやエロトピアまで読んでたな、節操ねえなあ。やっぱりエロいの好きなんだろ」


 またお尻を触られそうになって逃げた。でも少年ジャンプは貸してもらえた。アホザルはアホザルの癖にたくさんマンガを持っているようなので「面白いのあったら貸して!」と言っておいた。 


 翌日の昼休憩のとき、アホザルが紙袋を渡してきた。中を見るとたっぷりマンガの単行本が入ってた。


「読め」


 貸してくれるのはありがたいが命令形かよ。うちに帰ってから『まんだら屋の良太』というそのマンガを一気読みした。マンガ自体面白かったけどアホザルがこのマンガを「読め」と言ったことに笑ってしまった。下ネタ連発バカが主人公じゃん。しかも実は真面目でいい男って設定じゃん。


 「読め」と言われて素直に読んだのだから、私もなんか「読め」って渡したい。うちにある少年マンガを貸すことにしよう。『ストップ!ひばりくん』はジャンプコミックスだからきっともう読んでるな。本当なら手塚治虫の『アポロの歌』をぶちこみたいところだけどあれは持ってない。何がいいかな。アホザルは愛車のカリブに釣り竿乗せてたから……


 他にイナコウ出の男が読みそうな少女マンガをしれっと混ぜておきたい。『スケバン刑事』? 『やじきた学園道中記』? 『紅い牙』のシリーズ? 少年マンガぽい絵柄というと佐々木淳子かな。ロック好きなら森脇真末味の『緑茶夢』もいいと思うけどロック好きかわからんし。うーん。


 翌日私は、『まんだら屋の良太』入りの紙袋を持っていった。


「アオノさんアオノさんマンガありがとう」

「もう読んだのかよ」

「うん面白かった。なので私もお返しにマンガ貸したい。『釣りキチ三平』全巻うちにあるんだけど読む?」

「全巻あるのか。『釣りキチ三平』は持ってないな。借りるよ」


 お昼休みにうちに戻り、矢口高雄『釣りキチ三平』全巻と青池保子『イブの息子たち』入りの紙袋を佐々木鉄工に持ってった。重い。 


「『釣りキチ三平』持ってきたよ。ついでにこれもね」


 と言って『イブの息子たち』も押し付けた。これがイケるようなら次は『エロイカより愛をこめて』だ! でも第一巻から読ませるとジュネすぎるんだよなあ、二巻目から貸すのも不自然だ。やっぱ森脇真末味にしようかな。


「私バイト今週で終わりだけど、私んちここの隣だから、休憩室に置いといたらとりにくるし、うちに返しに来てもいいよ」

「隣なのかよ。道理で社長が甘いわけだ……」 


 その日の夕方作業場の床掃除をしていると、仕事を終えたアホザルがやってきた。手に『イブの息子たち』の第一巻を持っている。


「なんだこの変なマンガは」

「変だけど面白いでしょ」

「面白いけど変だ」 

「でも読んだんだね、それ少女マンガなのに」

「俺わりとそういうのは気にしないんだ、買いにくいからあんまり読んでないけど」


 そっか、私がエロ雑誌を買いにくいように、アホザルは少女マンガを買いにくいのか。そういうのは考えたことなかったな。


「男の人が面白がりそうな少女マンガわりとあるから貸すよ?」

「こんな変なのばっかりじゃないだろうな?」

「ギャグマンガはだいたい変なもんだよ。『がきデカ』だって『Dr.スランプ』だって変じゃん」

「女子高生って『がきデカ』読むのか」


 なんだか微妙にがっかりした顔をしているが、女子高生というイキモノに幻想を抱いているくちかな。よくいるんだよ。初めて女子高に赴任した若い男の先生は、一週間で幻想を打ち砕かれて面白いよ。女子高って、教室で生理用ナプキン投げたりスカートの下からうちわで仰いで涼をとったりする世界だからね。それはそうと普通の女子高生は『がきデカ』を読んでいるであろうか。図書館愛好会で『がきデカ』を読んだことがあるのは私とチョコだが、図書館愛好会メンバーの読書量と読書傾向は普通じゃないからなあ。それに私も女子高生のとき『がきデカ』を読んだわけではないや。


「『がきデカ』は女子中学生だったときに読んだよ。でも『マカロニほうれん荘』のほうが好き」

「相変わらず節操ねえなあ。まあこれは借りとく。じゃあな」

「お疲れさまー」


 ひらひら手を振ってふと気づく。アホザル、今日はエロいこと言ってこなかったぞ?


 翌日午前のルーチンが早く終わったので、工程管理してる人に「なんかお仕事ありませんか」と聞きに行った。「仕掛品を次の工程に持ってって。どこに持ってくかは箱に書いてあるから」と言われた。仕掛品いっぱいあるなあ。すみっこから片付けてゆこう。まずは旋盤って書いてあるやつから。


 仕掛品の入った箱を台車に乗せて旋盤のところにいくと、ゴーグルかけてネジ切りしてる人がいた。騒音と油の臭いのなかで、手袋をはめた手がきめ細やかに動いて、くるくるとねじれた鉄くずが生まれては落ちてゆく。ゴーグルのせいで目元は見えないけど真剣に集中してるのは横顔を見てわかった。喉仏あるなあ、男の人だなあ。ちょっとかっこいい。でもガタイがいいこの人は、もしかして、アホザルではないか。いや間違いない、アホザルだ。なんということだ。


「何やってんだ、俺に見とれてたか」


 作業の手を止めたアホザルに見つかった。ヤバいヤバい。見てたのは本当だから恥ずかしい。でも見とれてはいない! そもそも男の顔に興味はないし美醜もどうでもいいわ!


「見とれてたわけないでしょ! 仕掛品持ってきたから置いときますね」


 せっせと仕掛品を台車から下ろしながら考える。不覚にもかっこいいと思ってしまったのは取り消しておこう。きっとゴーグルがかっこよかったのだ。ゴーグルは危険とわかっているものをあえて見つめるためのものだから美しい。ゆえに猿がゴーグルしててもかっこよくなるのだ。あるいはメガネが汚れているのだ。仕掛品を下ろしおわってメガネを拭いているとアホザルが、


「おまえ、目がデカいんだな」


 少女マンガの定型のごとく「メガネを外したら美人だった」にはならぬ顔だと自分でも思いますが、「目がデカいんだな」はちょっと、なんと申しますか、褒め言葉には聞こえねえよアホザル!


「アオノさんは全体的に無駄にデカいですね」

「あそこもデカいぞ」

「アホなこと言ってないで働け」


 アホザルなんかと話してる暇はないやい。私はきびすを返して仕掛品の山を運びに行った。


 そして迎えた佐々木鉄工のバイト最終日。最後の床掃除を終えて事務所に行き、社長から給料をもらう。薄い封筒だけど私の汗の結晶だ。安全靴とヘルメットを備品倉庫に返していると、社長が「冬休みにも来いよ!」と言った。冬休みも佐々木鉄工で働けるといいなあ。


 昼休憩のときアホザルが軽いお尻タッチと引き換えに貸してくれたマンガの袋を持って、佐々木鉄工を出る。家に帰って袋の中身を見たら『めぞん一刻』と『BE FREE!』が入ってた。青年マンガはあんまり読んでないから青年マンガにしてと頼んだ結果なのだが、他に封筒が入ってた。封筒の中身はテレカと電話番号と「夕方6時過ぎならだいたい家にいる」と書かれたメモ紙。電話かけろってこと? 


 ★★★

 

 ささほがアホザルに貸すマンガは吉田秋生『BANANA FISH』がぴったりだと思うのですが、1985年8月時点ではまだ連載開始したばかりで単行本が存在しません。萩尾望都の『マージナル』もいいと思うのですが、まだ連載が始まっていません。ささほが手塚治虫の問題作『アポロの歌』を読んでいても持っていなくて貸せないのは、『手塚治虫全集』の一冊として学校にあったのを読んだからです。1970年には有害図書指定だった『アポロの歌』も1985年には学校にありました。


 アホザルが貸す本『めぞん一刻』と『BE FREE!』は1985年だとたぶん三巻くらいまでしか出てません。大友克洋『童夢』は出てるんですがどうでしょう、アホザルは『童夢』を持っているかな。貸してもらえたらささほは小躍りすると思います。

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