第17話 いつ死ぬかなんて誰も知らない

 佐々木鉄工に通って一週間と少し。だいぶ慣れてきたけど腕は筋肉痛だし、実を言えば膝の痣もまだ青い。今日も一日がんばったので晩ごはんがおいしい。明日一日がんばれば鉄工場も夏休みに入る。鉄工場の夏休みは14日からだ。


 シャーリング加工をやらせてもらえたのは結局初日だけで、基本的にずっと掃除と雑用だった。作業着の洗濯もした。まずブラシで鉄粉を落としてからお湯と洗剤で手洗いして何度もゆすいで、それから洗濯機の脱水機にかけるのだ。ひどい汚れの場合は洗剤入りのお湯につけておき翌日洗う。溶接やシャーリング加工をしたあとの作業着を洗濯機で洗うと、鉄粉のせいで洗濯機が壊れるらしい。将来溶接工になれたときのために覚えておこう。


「清掃・作業補助」で雇われたんだから雑用は仕方ない。洗濯もする。それは仕方ないと思うんだけど、青野悟! いやアホのサトルだ。それでももったいない。アホのサルだ。これからアホザルと呼んでやる。アホザル(19歳イナコウ機械工学科卒)、あいつは許さん。最初は親切でいい人だと思ったのに。まあ今も重いものを持ってくれたりコーヒーをおごってくれたりはするが、それとこれは別だ!


 アホザルは、顔を合わせるたびに下ネタ攻撃をしてくる。自販機のコーヒーおごってくれたときもひどかった。


「ライター、コーヒー、ヤッターマンを逆に言ってみろ、言ったらコーヒーおごるぞ」

「逆? ヤッターマンコーヒーライター?」

「わはは、もう一回言え」


 もう一度言おうとして意味に気づいたよ! でもコーヒーはおごってもらった。


 昨日は休憩室にわざとエロ雑誌を置いて私に片付けさせた。横でニヤニヤ笑いながら「その雑誌片付けといて」と言ったので絶対にわざとだ。捨てるのももったいないのでエロ雑誌はもらって帰って読んだ。なかでも「漫画エロトピア」という雑誌はなかなか面白かった。連載されてる「うろつき童子」って単行本出たら読みたいな。こんな雑誌は、女子高生である私にはちょっと買いにくいから、お礼を言うべきかも。


 文庫本ならエロいのも買いやすいんだよ。古本屋で30円文庫本をたくさん買うとき混ぜておけば、川上宗薫も宇能鴻一郎も、マルキ・ド・サドだって買えちゃう。西村寿行や山田風太郎あたりなら、中身がめちゃくちゃエロくても平然と買える。でももろ「エロ雑誌です!」って表紙の本は、さすがにね。


 それで今日「ありがとう面白かった」と言ってエロ雑誌をアホザルに渡したら、なぜか突然お尻を触ってきた。私がブチ切れて痣がないほうの足で蹴りを食らわしたら、ちょうど社長がきて、「おまえらそんなにあたけてると首切るぞ!」と怒られた。「あたける」っていうのは「ふざける」とか「じゃれる」とかいう意味の遠州弁だ。少なくとも私はあたけてねえ。どっちの首を切るんだろうと思って尋ねたら両方だって。公平なのか? 


 アホザルのことを誰かに愚痴りたいと思ったが、家族には言いたくないしメグに電話して話そうかな。オードリーには愚痴りたくないな。のんびり食後のコーヒーを飲みながらテレビを見る。NHKニュースが終わる寸前にちらっと飛行機事故の速報が伝えられた。詳しいことはまだ全然わからないが関係ないやと思って、電話を置いてある玄関に行きメグに電話をかけた。


「面白かったって言って雑誌を返したのはまずかったんじゃない?」

「そうかなあ? 普通に面白かったからお礼も言ったんだ」

「そういうイヤらしい雑誌を抵抗なく読む女子だと思われたでしょうね」

「それ、まずいの?」

「実際にエッチなことされても抵抗しないと思われてるかもよ」

「いや今日は抵抗したよ! 足を蹴飛ばしたよ!」

「今度は股間を蹴飛ばしときなさい」

「おう!」


 相談しても何の解決策も出ないわけだが少しはスッキリした。テレビのある居間に戻り、そろそろ「ザ・トップテン」だなと思いテレビのチャンネルを回すと、いきなりニュース速報だった。


「乗員乗客524人を乗せました羽田空港発大阪行の日航ジャンボ機が今夜7時前消息を絶ちました。日航本社によりますと、消息を絶ったのは羽田発大阪行きの123便のボーイング747で……」

 

「ザ・トップテン」は中断され、ニューススタジオからアナウンサーが事故を伝えた。NHKに変えたら日航機事故の特番だった。普通の番組をやっているチャンネルもあるけど、どのチャンネルを見ても日航機事故のテロップが出ている。10時を過ぎたらもうどこにチャンネルを回しても同じだった。日航機事故一色だ。ずっと報道してるけど、ジャンボ機が長野に落ちたか群馬に落ちたかもはっきりしない。このニュースしかやってないんじゃテレビを見てもしょうがないなと思い、その日は早く寝た。なんだか本を読む気にならなかった。


 雨が降ろうと槍が降ろうと飛行機が落ちようと、今日もお仕事である。朝のニュースも日航機事故ばっかりだった。佐々木鉄工に行くと少しだけ雰囲気が違っていた。ここで作ってるのは主に家電の金属部品とスチール家具だから、飛行機はあまり関係ないと思う。大きな事故でみんななんとなく浮き足立っているのかもしれない。 


 午前の仕事が終わりお昼休みになった。私は自分ちでごはんを食べてもいいのだけど、この時間帯我が家にいるのは私一人だし、冷房がある佐々木鉄工のほうが快適なので、ここの休憩室で自作のおにぎりを食べる。休憩室に行くとテレビがついていて、いつものように「笑っていいとも」が始まった。日航機事故だらけは終わったのかなと思ったけど、そうではなかった。生放送の「笑っていいとも」のタモリが、日航機事故の生存者がいるのだと伝えた。


「あんな事故で自分だけ生き残るって、生き残ってもきっとすごくつらいだろうな」


 噛み締めるようにアホザルが言ったので私はびっくりした。生存者がいたということにもびっくりしたけど、アホザルにそんな人を思いやる能力があったことにびっくりした。 


 お仕事終わって家に帰った。テレビをつけたらやっぱり日航機の事故のニュースだった。飛行機って安全じゃないんだな。でもよく考えたら自動車も安全とは限らないし、家で静かに寝てても東海地震がきて死んじゃうかもしれない。人はいつ死ぬかわからないんだ。そう思ったら突然ひどい焦燥感にかられ、私はオードリーに電話した。簡潔に言えば青春18きっぷの残り二枚でどこかに行かない? とオードリーを誘ったのだけど。


 撃沈である。はっきり断られた。お盆はオードリーの母の実家に行って、そのあとは商工会議所の簿記講座に通うそうなのだ。青春18きっぷで行くオードリーとの日帰り旅行計画が瓦解した。私のひとりよがりだったんだ。物悲しくなってメグに電話する。


「青春18きっぷ二枚どうしよう……」

「何も考えないで青春18きっぷ買ったの? あんた案外アホなんだから」

「どこかに行きたかったんだよ」

「二枚あるんでしょ?」

「うん」

「あんたがいちばん行きたいところに一人で行ってみたら? 二枚あるなら一泊すれば遠くまで行けるでしょ」


 電話を切ってから考えてみた。私がいまいちばん行きたい場所。たとえ一人でも行ってこの目で確かめてみたい場所。それは一つしかなかった。三日間の滞在では表面しか見られなかった場所。


 そう、つくば科学万博だ。


 ★★★


 佐々木鉄工の洗濯機はいうまでもなく二槽式です。鉄粉と油まみれの作業着は実際にこういう洗い方をしました。今もあまり変わらないのでは?


 今回出てきた本のタイトルや著者については解説しません。知りたかったらググりましょう。


 図書館愛好会の全メンバーは、活字ならば平然とエロいものを読みます。特にささほは節操がなくモラルを軽視したいタイプなので、読むのに抵抗がありません。でも触られるのには抵抗がありまくりです。 


 この時代の日本にセクハラという言葉はありません。セクハラに関しても「私たちはそれを表す言葉を持たない」のです。

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