第15話 私たちはまだそれを表す言葉を持たない
並んでいた列が動き始める。やっと富士通パビリオンに入れる。予約済なのにすんなり入れたという気分にならないのはどういうわけだ。
富士通パビリオンにはテクノホールとコミュラボ、そしてコスモドームがあるのだが、われわれも含めみんなのお目当てはコスモドームだ。その映像はOMNIMAX 3D方式というものだそうで、またメガネを渡される。グレーの偏光メガネではなく昔からある赤青メガネだ。学習雑誌の付録に付いていた赤青メガネとほとんど変わらず、大きかった期待が少ししぼんだ。
コスモドームは名前の通りドーム型のシアターだった。全天周型というやつだ。メガネをかけて見上げるスクリーンにオープニングのタイトルが映し出され、宇宙が映し出され、いや、映し出されたという感じじゃない。飛び出して見えるだけの3Dではない、これは視聴ではなく鑑賞でもなく「体験」だ。私たちはいきなり不思議な世界に放り込まれた。
自分の頭上の真横やすぐ正面を流れ星が通り過ぎてゆく。宇宙空間に全身没入したかのようだ。星が爆発すると、それが映像であるとわかっていても、避けようとする反射が起きて身体が動いてしまう。宇宙では水が生まれ、あちこちに水分子が漂い、目の前に流れてくると本当に捕まえられそうだ。水の次には生命が誕生し、DNAの螺旋がぐるぐると動く。宇宙から始まって生命の誕生、人間、宇宙旅行から帰還して青い地球に戻る話を今回の万博で何度も見た気がするが、これは感動せざるを得ない。言葉ではうまく説明できない。泳いだことのない人に泳ぐという体験を説明するのがとても難しいように。
コスモドームから出てきてまだ誰も口を開かない。
「すごくてすごすぎてすごかったのです……!」
これまであまり映像の感想を言わなかったチョコが言う。全く何も意味をなしていない感想だけどその通りだ。その後四人で感想を言い合ってみたが、「すごい」という言葉しか出てこない。われわれ図書館愛好会、言葉を愛する文系集団のはずなんだが。
私たちは腑抜けたままBブロックのお土産屋である風のガレリアまで行き、お土産を買い漁った。慌ただしく北ゲートを出てスーパーシャトルバスに乗って万博中央駅に戻り、東京行の常磐線快速の時間を確認する。
「お昼ごはんどうしよ」
「そこにラーメン屋がありますね」
全員一致でプレハブのラーメン屋に入り、なんだかもう何もかも面倒くさいので全員醤油ラーメンを注文した。可もなく不可もなくごく普通の当たり前のラーメンの味は、私たちをようやく現実に戻した。
来たときと同じように常磐線快速で日暮里へ。山手線で日暮里から品川へ。この時間帯、目的地まで乗り換えなしで行ける東海道線はなかった。静岡で乗り換えることになる。深夜の各駅停車と違い、さほどタバコ臭くない。床に新聞を敷いて寝る人もいない。
「帰り道ってなんでこんなに短く感じるんだろう」
大船の観音像を見ながらひとりごちると、
「川口浩探検隊だって帰りは短くて毒グモや大蛇が出なくなるのです。そういうものなのです」
口に出してはいけないことをチョコが言う。私とチョコは大笑いして川口浩探検隊ごっこに興じ、メグに呆れられた。眠り込んでいたタナカが騒ぎに目を覚まし、「もう着きましたか?」と言って荷物を網棚から下ろそうとしたので、私とチョコはさらに大笑いした。
「タナカって寝不足でなければ用意周到完璧超人なんだけどねえ」
「あと美少年やカッコいいお兄さんがいるとグダグダになるのです」
メグは私とチョコの会話に参加せず、静かに本を読んでいた。
田舎之女子高がある私たちの街に電車が到着したとき、空はもう暗くなり始めていた。オードリーは約束通り駅の待合室で待っていた。
「ただいま!」
四人で声を揃えて言ってみようというのは電車内で決めていたことだ。
「お帰りって言うべきなの?」
「言いなさいよ」
鳥のように首をかしげて尋ねるオードリーに、きっぱりとした口調で命じたのはメグだ。オードリーは一瞬きょとんとしたが、すぐ微笑んで大げさに手を振った。
「お帰り! みんな!」
大きな荷物を持ったまま、いつも行く喫茶店まで歩く。オードリーになんて言おうかと考えるけれど、核心をつくようなことは何も言えないと気がついた。何を伝えたいのか自分でもわからない。
喫茶店に着き、マスターにいつもの安いブラジルコーヒーを頼む。ほどほどに苦いコーヒーを口に含み、その馴染んだ味に私は安堵する。私は飲み物ならコーヒーが好きだと断言できる。飲み物ならね。
オードリーがくれた本はたっぷりあってずっしりと重かった。旅行帰りで自分の荷物も重い。心も足も重かった。
家に帰ってオードリーがくれた本を確認した。ハインラインが多い。マレイ・ラインスターとポール・アンダースンと、ル・グイン。それからこれはなんだろう、ホーンブロワー・シリーズと書いてあるがこのシリーズは知らない。そしてナンシー・スプリンガーのアイルの書。オードリーはアイルの書の冒頭を暗唱できるほどこの本が好きだったのに、手放してしまうのか。
眠ろうとしたけど眠れないので、ノートに詩のようなものを書いてみた。谷川俊太郎の真似したソネットだけど、ソネットになってるのかよくわからない。ソネットは好きだなと思う。谷川俊太郎のもリルケのも好きだ。
私は好きなものを好きと言えないと思ってたけど違った。コーヒーなら好きだと言える。図書館愛好会のみんなになら詩が好きだと言える。でも私は、本当は、自分の好きなものが何かわからないのだ。あるいは私が好きな何かは、まだ名付けられていないのだ。
………
「夢みるひとのためのソネット」
目をみひらいて
うっとりと
車窓にもたれ
ねむっているきみ
きみの瞳にはただ
つらなる山々がうつっている
きみが演じるはずの絢爛たる舞台は
いつ 幕を上げるというのか
グラン・ギニョールは本心を明かさない
踊り子は語らない
人魚姫は口がきけない
きみは毒ガスのように致命的に
石のように物静かに
ぼくの心を壊してゆく
(オードリーに。1985.8.1.by Sasaho)
………
「不安定な王女のためのソネット」
きみは無知で高貴な看護婦でもある
傷口に塩を擦り込めば
それがきみの治療行為
きみはいつも的確に傷を探し出す
そしてもちろんきみは王女である
だから当然残酷で傲慢でエネルギッシュ
狩に裁きにせっせと動き回り
決して失敗したことがない
あまりにも完璧で
あまりにも不安定
希有なきみは放射性元素
きみを見るとぼくはイライラするらしい
革命が起きたらどうするんだろう
しのびなくてぼくは泣いてみたりする
(メグに。1985.8.1 by Sasaho)
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