さくら

棘蜥蜴

第1話



 春だった。

 桜が舞っていて、その中にいた君はまるで天女のようだった。ただ綺麗だと思いほうける俺に向かって笑う君になんと言ったかは覚えていない。その後のことも覚えていない。

 今でもたまに考える。彼女に向かう感情の名前はなんだったのだろうか。

 

 一[#「一」は小見出し]

 春だった。それも中三の。ちょうど一年後には高校生。これから受験で、中学校最後と名のつくものがたくさんあって、なんやかんやあって結局普通の日々を過ごすのだろう。そんな特になんの感慨もない、春。

 今日は始業式。中学校最後のクラス替え。寝坊してしまって少し遅く学校に着く。すでに張り出されていたクラス発表の紙。人混みの中、目を凝らす。俺の名前は…………あった。三年六組明星鷲斗。男子の欄を見て、親友の池田春太の名前も確認して喜び視線を女子の欄にスライドさせると。宮本めじろ。疎遠になっている幼馴染の名前がそこにあった。

 

 家が隣。母親二人も仲が良く同い年。まあ、仲良くならないわけがない。幼い頃は当然のように毎日遊んだ。しかし異性ということもあり小学校高学年あたりから話さなくなり、中学校からはクラスも離れ家が隣なだけの人になっていた————で。俺は明星。彼女は宮本。名簿が近い。と、いうことで新しいクラスの俺の席は彼女の席の隣だった。

「久しぶりだね、これからまたよろしく。」

 彼女はくったくなく笑った。

「ああ、よろしく。」

 その顔を見て心臓が少し速くなった気がした。

 

 二 [#「二 」は小見出し]

 桜はいつのまにか散っていて、若葉が青々と茂っている。俺は最初の学級会で学級委員に任命されクラスメイトとも仲良くやりながら一か月を過ごした。その間めじろは放送委員に入ってお昼の放送でみんなを爆笑させたりクラスメイトの岡林美雨子と他愛もない話をしたり得意らしい数学で難しい問題を解きみんなに褒められたりしていた。俺にも時々話しかけてきて宿題の場所を教えたり国語の時間にディベートで大論戦を繰り広げたりした。

 とても充実した時間だった。

 

 ある日の放課後だった。クラスの目立つ女子に呼び出された。告白された。まあそうだよなという気はしていた。俺の顔がいいのは知っていたから。でも、恋愛というものがよくわからなくて不誠実だからこの手のものは全て断ることにしていた。今回もそうした。

「やっぱりそうだよね。」

 泣きながら笑った彼女の気持ちはわからない。わかるわけがなかった。

 恋なんて。俺にはわからない。しばらくその場にいた。雲の切れ間から光が差していた。天使の梯子だ。

 しばらく見入っていたようだった。無理やり足を動かしてその場から離れる。校門から外に出て帰路に着こうとすると。

「今帰り?」

 めじろだった。

「そうだよ、君も?」

 肯定して聞き返す。

「そうだね。一緒に帰る?」

 また、心臓が速くなる気がする。 

 

 三[#「三」は小見出し]

 吾輩はハムスターである。名前はめぐろ。…………もちろん本人ではない。

 私——宮本めじろのここ最近の趣味は飼っているハムスターのめぐろの心の声を想像することである。めぐろは可愛い。目がキュルキュルでとても可愛い。私はハムスターが好きだ。そして目がキュルキュルといえば、私の幼馴染。明星鷲斗だ。今は見る影もないが、昔は目が大きくて女の子によく間違えられていた。今は背も伸びて大人びているのですごく女子にモテる。と、いうと少し悲しくなる。昔の淡い初恋の記憶。春も夏も秋も冬も一緒にいた彼との距離はずいぶん遠くなってしまった。今は席が隣で彼も私を嫌がらないから許されているだけで他の人間だったら即刻他の誰かに睨まれて私みたいな事なかれ主義の人間はそそくさと彼から離れていくだろう。…………まあ、やりすぎだと思ったらやり返す自信はあるが。いや、そういう話ではなくてだな。まあ誰でも初恋の人(とっくの昔に諦めた)がモテていたら悲しくなるだろう。少しは。

 今日は一緒に帰ってきた。図書室で自習をしていて帰ろうと思ったら偶然会ったから。まあ久しぶりのひと時、楽しませてもらった。諦めたとはいえ好感度が下がっているわけではない。まあ多分向こうからも嫌われてはいない……はずだ、多分。

 時計を見れば十時過ぎ。そろそろ寝ようか。また明日、会えればいい。おはようと言って、おはようと返されて、それだけで。

 

 四[#「四」は小見出し]

 今朝、ニュースでやっていた。もう梅雨入りだそうだ。確かにここ一週間おひさまの顔を拝んでいない。ジメジメとした季節の始まりだ。陰鬱な気持ちで席に座る。隣にはクラスメイトの池田くんと談笑する鷲斗。気づかれないように眺める。なんで、諦めたんだっけ…………。

 

 確か、小学校五年生あたりだと思う。二人で一緒に帰ろうとしたら男子に言われた。

「お前ら付き合ってんの?」

 冗談だったと思う。すでに私が普通の顔なのも鷲斗がかっこいいのも周知の事実だったから。クラスの女子から何度も確認されていた。

「鷲斗くんのこと、好きじゃないよね?」

 小学生とは恐ろしいものだ。性差が目立ってくる年頃なこともあり問題を起こしたくなかった私は彼から離れた。

 まだ彼と話していた頃の記憶にはこんなシーンもあった。

「恋愛ってよくわからない。めじろはわかる?」

 わかっていた。むず痒くて悲しくてでもとても幸せな感情だよって教えてあげたかった。言ってしまったら彼が離れていくだろうことは明確だった。

 まあ、それらの複合的な理由で私は諦めたわけだ。

 

 なんてことを考えてぼーっとしていた。

「……ろ、めじろ!」

 思考の世界から引き戻される。

「大丈夫?」

 目の前にいたのは岡林美雨子。このクラス一の美少女にして慈愛に溢れる天然ガール。彼女がいなければ私はぼっち街道まっしぐらだっただろう。そういう意味ではとても感謝しているし心配になるくらいいい子だ。その証拠に聖女様なんてノリで呼ばれている。

 でも。たまに、思うのだ。彼女と鷲斗ならすごくお似合いだろう、と。

 

 五[#「五」は小見出し]

 まだ、梅雨は明けない。俺はしとしとと降り続く雨をガラス越しに眺めている。灰色一色の外とは違って教室の中は明るい。しかし、今の俺には教室を見渡す勇気はなかった。

 ……めじろに避けられている。目があえば微笑んでくれたのに、今は目があうことすら稀だ。話しかけたら目を見て応えてくれたのに、今はただ目線があうこともなく逃げられるだけ。そして、クラスメイトの岡林さんと何かと二人きりにされる。された後はしばらく無言が続き岡林さんが「ごめんなさいね。」と苦笑して別れる。「私が言っても信じてくれないだろうから。」とも言われた。なんのことやらさっぱりだ。

 しかし、なんだろう。このもやもやする感じは。焦りと不安が入り混じったような感覚。どうにかしないとまずいのはわかっているのに。肝心の原因がわからない。

「お前さあ、いい加減気づいたらどうなの?」

「春太、いきなり大声出すのやめなよ、びっくりするから。」

 話しかけてきた俺の親友を軽くあしらい考え事を再開。

 めじろは、何を考えているのだろう。俺は、どうすればいいのだろう。

「だあーー‼︎お前はさあ!めじろちゃんが結婚したらどう思うの⁉︎」

 まだ横にいたらしい春太が叫ぶ。

「だから、びっくりするからやめな。……別にどうでもないよ?祝福するだけ。」

 彼女だって好きな人ができるんだろうから。

「どこの馬の骨とも知れねえ男とだぞ⁉︎」

 なんでそんなに必死なんだ。

「だって俺は、」

 いいかけて言葉に詰まる。

 あれ?なんか、嫌だな。他のやつとめじろが一緒に幸せになる?家族になる?そんなの絶対ありえない[#「ありえない」に傍点]。

 その思考に至った瞬間言われた。

「それが、答えだろ。」

 はじめて目線を長い付き合いになる親友に向けた。いつものおちゃらけた表情ではなく真面目な顔。

「マジかよ……」

 ずっと無自覚でいたのか、宮本めじろが好きなこと。

「どうするんだ?」

 導き出した答えは…………

「言うしか、ないだろ。」

 

 六[#「六」は小見出し]

 もうすぐ梅雨明けらしいとニュースでやっていた。しかし私の心は梅雨明けしそうにない。

 ここ数日鷲斗の顔をまともに見ていない。と言うか見ないようにしている。まあだって、仕方がない。私なんか邪魔だろうし。私の見た目は悪くはない。でも良くもない。平均的。モブ顔。でも、美雨子は違う。誰もが認める美少女でお姫さまのようでさらに性格でさえみんなに尊敬されているのだから、王子様のような鷲斗が惚れたって仕方がないのだ。そうやって納得しようとして、結果、鷲斗を避けまくっている。

 そもそも鷲斗が美雨子に惚れていると確信したのは一週間前、学校の廊下での事。

 移動教室の帰り、先生の教材運びをたまたま手伝っていた。そして、見た。

 見た事ない表情で美しく笑う鷲斗と微笑む美雨子。それは、とても美しい天国の風景でありながら同時に私にとっての地獄の光景だった。

 でも。諦めたのだ。私は。なら、最後まで諦め切らないといけない。数十年後、ぽろっと昔は好きだったんだよって言えるくらいでいい。そのために、全力で応援しようとした。諦めるために自分を律した。でもまあ、こうなるよね。いきなり避け始めたら。対処法は、考えてある。大丈夫。諦められる。

 今、目の前には鷲斗。ずいぶん身長が伸びたなあ。ではなくて。

「話せる?」

「ごめん、用事があるから。」

 そんなものはないけどもなんとか逃げようとする。すると、がしりと手首を掴まれる。

「嘘ついちゃダメだよ。美雨子さんに今日は暇だって聞いたんだから。」

 作戦一、失敗。

「俺のこと、避けてるよね?なんで?」

「避けてないよ、たまたま忙しくて……」

 言い訳をする。

「わかった。じゃあ、本題に入ろうか。」

 久しぶりに目を見れば真剣な表情。

 なんだろう、美雨子と付き合うことになった、とか?

「めじろ、好きです。付き合ってください。」

 ??????

「あー相手間違ってない?」

 美雨子が好きなんじゃ…………。

「美雨子さんから聞いたよ?俺が美雨子さん好きだって思って避けてたんでしょ?俺は、ずっと前からめじろのことだけが好きだよ。…………気づいたの、昨日だけど。」

 おおういろいろと聞き捨てならんな。一つずつ確認するか。

「とりあえず、好きの相手、私であってる?」

「あってる。」

「美雨子じゃなくて?」

「めじろだけだよ。」

「気づいたの昨日って?」

「鈍感すぎて笑っちゃうよね。」

 嘘やん。私の勘違い何?

「めじろが勘違いした時はね、めじろのこと、話してたんだよ。」

 え………………。え?

 視界が滲む。目頭が熱い。あ、私今泣いてる?

「泣くほど嫌?それとも泣くほど嬉しい?」

 優しい声で聞かれる。

「…嬉しい。」

 鼻声で言った私を愛おしそうに見る鷲斗の瞳は一生忘れられないのだろう。

 

 七[#「七」は小見出し]

 夏だった。蝉が鳴いていて灼熱の日差しがアスファルトを照り付け空気が揺らめいていた。今日は一学期の終業式だ。明日からは夏休み。私にとってははじめての恋人がいる夏休み。

「めじろ、明日から、何する?」

「まずは宿題じゃない?」

 鷲斗とこんな会話ができることがたまらなく幸せだ。これからも続いていってほしい。

「めじろ、デート邪魔はしないけどたまには私とも出かけてね。」

「鷲斗、俺も!」

 美雨子は変わらず聖女様と呼ばれていて、春太くんはおちゃらけている。

 平和だった。

 

 春だった。

 桜が舞っていて私を追いかける君はまるで桜の精かと言うほど美しかった。笑いかける私に君は言う。

「好きだ。」

 季節は、巡っていく。

 

 

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さくら 棘蜥蜴 @togetokge

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