第3話 鹿島神宮と「武」の怨念
「で、結局のところ、嵐さんたちは、なんでまた潮来に?」
あやめ園の喧騒から少し離れた茶屋で、海里がぜんざいを口に運びながら、核心を突いた。
こけるは、近くの水場で必死に髪や顔にこびりついた納豆(霊力で温められたため、乾燥してこびりついている)を洗い流している。その姿は、水浴びするカラスのようにみすぼらしい。
嵐は、注文した「みたらし団子」を串ごと豪快に頬張りながら、その表情を少し引き締めた。
「ああ。実は、潮来に来たのは、こいつ(由利凛)の実家が目的地だったわけじゃないんだ。本命は、すぐそこの鹿島神宮でな」
「鹿島神宮?」
「ああ。最近、妙な『事故』が多発してるんだよ」
隣で抹茶をすすっていた英里香も、こける(のヘソクリ)で注文した「特上あんみつ」の白玉をつつきながら、険しい顔で頷いた。
「観光客同士が、本当に些細なこと……例えば『肩がぶつかった』とか『横入りした』とか、そういうレベルで突然掴み合いの喧嘩を始めたり、中には階段から突き落とされたりして怪我人が出たり……」
「穏やかやないな」と海里が眉をひそめる。
「ええ。最初はただのチンピラのイザコザかと思われたけど、どうも様子がおかしいの。暴力的になった人々が、皆一様に『カッとなって、我を忘れていた』『なぜあんなことをしたか分からない』と証言しているのよ」
嵐が続ける。
「警察(こっち)も、最初は相手にしなかったんだが、あまりに頻発するんでな。オカルト絡みとは断定できないが、何か作為的な『事件性』がないか、俺が内偵に来ていたってわけだ」
「私は私で、被害者の一人が『何かに取り憑かれたようだった』と証言していたのが気になって。弁護士として、神宮側の管理責任を問えるかどうかも含めて、別件で調査していたのよ」
二人のプロフェッショナル ── 警察官僚と弁護士 ── が、それぞれの立場でこの不可解な現象を追っていたのだ。
「うむ」
と、由利凛が頭上に浮かぶドローン(由利凛製・霊気探知機能付き)のコントローラーを操作しながら言った。
「
その言葉を聞いた瞬間。
水場で「納豆臭がとれへん!」と騒いでいた、こけるの動きが止まった。
「……鹿島神宮……?」
水滴が滴る顔を上げたこけるの表情から、それまでのアホ面が抜け落ちていた。
それは、幾多の怪異を祓ってきた、凄腕の陰陽師の顔だった。
「アカン。そらただの『事件』やない」
こけるは濡れた手も拭かず、嵐たちのテーブルに歩み寄る。その両目は、鋭く神宮の方角を睨み据えていた。
「嵐、英里香さん、案内してください。そいつは、間違いなく『こっち側』のモンや」
一行は、日本有数のパワースポットであり、日本神話における「武神」タケミカヅチノミコトを祀る、「鹿島神宮」の深い森に足を踏み入れていた。
樹齢数百年はあろうかという杉の巨木が
空気が、大阪のそれとは比較にならないほど古く、清浄で、そして何よりも「鋭い」
まるで研ぎ澄まされた刃の上を歩いているような、ピリピリとした緊張感が肌を刺す。
「うわ……」
海里が、思わず自分の腕をさすった。
「なんやこれ……空気が重い、とかやない。むしろ『鋭利』すぎるわ。普通の人が長時間いたら、気が張り詰めて疲れてまうな」
「うむ。さすがは武神の総本宮なのじゃ」
由利凛のドローン『タケミカヅチ君・改』が、ウィーンと低い音を立てながら先行し、霊気の流れを測定している。
こけるは、先頭を黙って歩いていた。
「……なるほどな。清浄すぎる気いうんは、時として『毒』にもなる。特に、
問題の場所、地震を抑えるという霊石「
それは、真水に墨汁を一滴垂らしたかのように、じわりと周囲を侵食している。
「なんやこれ……」
こけるが、忌々し気に吐き捨てた。
「『力』への執着……それも、ねじ曲がったやつや」
こけるの鋭敏な感覚が、その「淀み」の正体を読み取っていく。
「タケミカヅチ様の『武』の力にあやかりたい。
あいつより強くなりたい。
なんで俺は認められない。
あいつさえいなければ 」
「古今東西、ここで修行したり、願掛けしたりした連中の、しょうもない『嫉妬』『焦り』『劣等感』……。そういう人間の負の感情が、何百年もかけてこの神域の霊脈にこびりついて、凝り固まって、一種の『呪詛溜まり』になっとる!」
その時だった。
「要石」の近くで、写真を撮っていた観光客グループの数人が、急に胸ぐらを掴み合う喧嘩を始めた。
「んだとコラ! 今、俺のカメラにわざとぶつかっただろ!」
「あぁん!? そっちこそ、いい場所陣取ってんじゃねえよ!」
明らかに、先ほどの英里香の説明通りの現象だ。
淀んだ霊気が、黒いモヤとなって彼らの背後にまとわりつき、その怒りを煽っている。
「こける!」
海里が叫ぶ。
「わかっとる!」
次の瞬間、こけるの雰囲気が完全に切り替わった。
アホの悪友から、浪速最強の陰陽師へと。
「嵐さん、英里香さん、由利凛! 一般人をこっから遠ざけて! 巻き込まれたら正気に戻れんくなる!」
「海里! 結界! 範囲は要石周辺、半径10メートル! これ以上、神域を汚させんで!」
「「「応!」」」
「わかっとる!」
嵐と英里香が、警察手帳と弁護士バッジを半ば強引に見せつけ、喧嘩の仲裁と一般客の避難誘導にあたる。プロの連携だ。
「警察だ! 落ち着け!」
「ここは危険です、離れてください!」
由利凛がドローンで上空から監視し、逃げ遅れた人がいないか確認する。
「後方、老夫婦が一組! 誘導急げ、なのじゃ!」
海里が即座に懐から数枚の符を取り出し、四方に放つ。
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)!」
符が青白い光の柱となり、要石周辺を囲む清浄な結界を瞬時に張り巡らせた。
完璧な連携だった。
こけるは、黒い影……怨念の集合体の真正面に一人、歩み寄る。
それは、もはや特定の形を持たず、人々の負の感情だけが凝縮した、不定形の「悪意」そのものだった。
「神聖なる鹿島神宮、東国鎮護の
怨霊が、自分たちの「領域」を侵犯したこけるを敵とみなし、一斉に襲いかかる。
「アホが!」
こけるは両足で地に根を張ると、印を結んだ。
神域の清浄だが「鋭利」すぎる「気」を、あえて自身に集束させる。常人ならば気が狂うほどの荒ぶる力を、陰陽師としての技量でねじ伏せ制御する。
「お前らみたいな半端な覚悟のモンが、この『武』の霊気に当てられて、我を忘れるんや!」
「その歪んだ執着ごと、浪速の霊力で断ち切ったる!」
「鹿島の神さんの前で、己の未熟さを恥じながら消えぇ!」
こけるの霊力が、まるで目に見えない
「
放たれた浄化の「斬撃」が、怨念の核を正確に貫いた。
影は断末魔の叫びも上げられず、鹿島の清浄な気に溶かされ、霧散していった。
嵐のように荒れ狂っていた霊気が、急速に鎮まっていく。
「ふぅ。いっちょあがりや」
こけるが印を解き、いつもの軽い口調に戻った。
結界の内側では、喧嘩していた観光客たちも「あれ? 俺たち、何を……?」と我に返り、きょとんとしている。
嵐が、呆気にとられた顔でこけるを見ている。
「……おい、こける。お前、マジで……こんなことができるのか」
警察官僚として、論理と法で動く彼にとって、今のは完全に理解の範疇を超えた現象だった。
英里香も、信じられないものを見る目で固まっている。さっきまでの「納豆まみれの不審者」と、同一人物とは到底思えない。
海里が、結界を解きながらこけるに歩み寄る。
彼女は、こけるのアホ面をじーっと見つめ……フッと息を吐いた。
「……まぁ、今の『
「へへん!」
こけるは、待ってましたとばかりに胸を張る。悪友たちの前で、いいところを見せられた。
「どや? ワイの海里! 嵐! 英里香さん! ワイのカッコよさに惚れたか! この流れで、今夜はワイと……」
こけるがニヤけながら、海里の肩に手を回そうとした、その瞬間……
バキッ!という音がしそうな勢いで、その手は海里に掴まれ、合気道の関節技のように、ありえない角度に捻り上げられた。
「いぎゃああああ!? なんで!? 今、ええ流れやったやん!?」
「調子乗んな !」
海里はこけるの腕を掴んだまま、スタスタと参道を戻り始める。その顔は、すでに「晩ごはん」のことで頭がいっぱいだった。
「ウチは腹が減ってんねん!」
海里は、呆然とする嵐と英里香と由利凛に向かって、ニヤリと悪魔のように笑った。
「さて、事件も(こいつが)解決したことやし!
約束通り、今夜は
「おっしゃあ!」(嵐)
「A5ランクの肉なのじゃ!」(由利凛)
「べ、別に、お腹が空いてないわけでもないし…(ゴクリ)」(英里香)
海里は、こけるの顔に自分の顔をぐいと近づけた。
「もちろん、ぜーんぶ、この『調子に乗った男』の『ヘソクリ・E』のおごりでな!!」
「わ、わかった! わかったから腕! 腕折れるって!」
「ていうか、ワイのヘソクリ・Eが、全員分のフルコースにぃぃぃ!?」
こけるの悲鳴が、静寂と清浄さを取り戻した鹿島神宮の森に、虚しく響き渡るのであった。
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