教室

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将棋教室に息子を迎えに行くと、息子は1つ年上のアイキ君という男の子と対局していた。わたしは入口の前に立ち、少し背伸びをしながら視線を部屋の右側にある盤面に落とした。将棋があまり強くないわたしが見ても終盤に差し掛かっているのがわかった。わたしに気づいた息子は「あと少しだから」というような仕草をしてまた盤面の方に向き直った。


午後5時過ぎの将棋教室にはまだ何人かの子供が残っていた。将棋を指している子もいれば、おしゃべりしている子や、奥の本棚の前に座ってひとりで漫画を読んでいる子もいた。入口側の出窓に置いてある小さなテレビでは阪神戦のデーゲームが流れていたが、誰も見ていなかった。


「あ、お父さん、どうぞあがって待っててください」部屋の左奥のテーブルで中年の男性と将棋を指しているこの教室の南山先生が私に声をかけてくれた。私は靴を脱いで教室にはいった。将棋教室は閑静な住宅街の中にある賃貸マンションの1階にあった。10畳ほどの小さな教室には畳敷の部屋の右側に年季の入った将棋盤が4つと左側に対局用の小さなテーブルとイスが2セット置いてある。私は迎えに来た時にいつも座っている窓際のテレビのそばに腰かけた。


壁には何年か前の将棋タイトル戦のポスターや、教室内のリーグ戦の星取り表などが貼られていた。わたしは息子の成績が気になった。だが星取り表の横では先生が対局中だったので見に行くのはやめて、終わるのを待つことにした。


息子はプロ棋士が対局で使うような分厚い将棋盤を挟んでアイキ君と対局をしていた。二人の横にはまだ保育園か小学1年生くらいの男の子がひとり座って対局を見守っていた。息子の肩をたたいたり、アドバイスをしているつもりなのか「この金取れるで」とヒソヒソと声をかけたりしていた。アマチュア初段までもう一息という息子は男の子のアドバイスに「わかったわかった」と見向きもせずにあしらって盤面を覗き込んでいた。落ち着いた表情でプロ棋士さながら扇子をあおいでいるアイキ君とは対象的に、首を傾けたり駒台にある駒をいじったりしている様子からも形勢は息子に不利な状況なんだろうと思った。


息子が将棋を始めたのはわたしが東京に転勤するすこし前、小学生に上がる前だった。オセロが欲しいというので近くの電器量販店に買いに行くと、ボードゲームコーナーに昔と変わらぬオセロが置いてあった。手に取って買おうとしたが、ふと別の箱が目に入った。オセロの箱とよく似ていたが、その箱はオセロ以外にも10種類以上のゲームが楽しめると謳っていた。一つのゲームだけだと、どうせすぐに飽きるだろうと思い、こちらの多機能なボードゲームを買うことにした。


息子も色とりどりのゲームが描かれた箱を見て胸躍らせていた。早速楽しみにしていたオセロをした。案の定、何度か対戦すると飽きてきたので違うゲームも試してみた。将棋もその中にあった。

わたしは将棋が昔から苦手で、子供の時に数回将棋教室に行ったことがあるが、結局大人になった今も駒の動かし方を知っている程度の実力である。


息子にひとつずつ駒の動かし方を教えたところで一度対局してみた。お互いトンチンカンな動かし方で盤面は無茶苦茶になったが、なんとかわたしが勝つことができた。息子は珍しく悔しがり、もう一回やろう、とせがんだ。その後も何度か対局したが、結局、単身赴任で家を離れるまでわたしが息子に負けることはなかった。


息子はそれから将棋に夢中になり、駒の動かし方はもちろん、簡単な定跡(過去の対局から研究されて導かれた定型的な手順)も覚えて、地元の子供将棋大会に参加して2、3回は勝つようにもなった。わたしが数ヶ月に一回、大阪の家に帰るたびに対局していたが、1年もすると息子に勝てなくなった。そして将棋を覚えてから1年半ほど経った頃に南山先生の教室に通い始めた。


「負けました」

南山先生と対局していた中年男性がペコリと頭を下げて投了(負けを認めて降参すること)した。

「うーん、あそこで角を切ったのはええ手やったけどなぁ、この桂馬が遊んどるわ。もっと盤面全体を使わにゃならんでぇ」

先生は相手の中年男性にあれこれ指導していた。男性は苦笑いをしながら頭を掻いて「あー」とか「そうかぁ」と小さな声でうめくように返事をしていた。


この男性はいつも教室に来ている村田さんという人で、南山先生によると、彼は京都大学出身で、先生が以前勤めていた銀行に在籍していたエリートだったという。しかし心身に不調をきたして数年前に辞めたそうである。今は仕事はせず治療をしながら親元で生活しているそうだ。先生は村田さんを「相方」と呼んで大会や将棋イベントなど何かにつけて連れていっている。


年齢は私よりひと回りくらい上に見えた。人の良さそうなおとなしい雰囲気で、子供たちとも仲良く対局している。ただ先生の前ではいつもヘラヘラ笑って頭を掻いているが、子供と対局して勝つと俄然元気が出て、

「あの局面ではもっと攻めたほうが良かったね。こういう手もあったかもしれないよ」などと得意満面な顔をして理路整然と解説し始める。一度息子に「村田さんて、やっぱり高学歴で頭もよさそうだから将棋も強いの?」と聞くと「ううん、僕より級位は低いよ」と言われたので驚いた。現在息子はアマチュア1級で初段を目指している。一方村田さんは4級くらいだという。


村田さんが先生と静かに感想戦を続ける中、突然先生が「ありゃー」と大きな声をあげた。何事かと思って先生を見ると、視線は私の横にあるテレビの方に向いていた。どうやら阪神が負けたようだった。先生は生粋の阪神ファンでシーズン中はいつも野球中継をつけている。そのくせ、子供たちが対局中にチラチラとテレビをみると「こりゃ!集中せんか」と叱る。


「お父さん、すまんがテレビを消してくれませんか」


阪神が負けたのが気に入らないのか、そろそろ子供たちが帰る時間だからかはわからないが、先生はわたしにテレビを消すように頼んだ。テレビにはリモコンが無かったので私は主電源からオフにした。


教室で対局しているのは息子たち二人だけになった。気が付くとほかの子供たちもまわりに集まって、対局を見守っていた。対局は息子が粘りを見せて白熱したものになっていた。余裕の表情だった相手のアイキ君も将棋盤にのしかかるように前のめりになって考え込んでいる。


まわりを囲んだ子供たちは「これは難しいな」「俺やったらあそこに銀を打って…」「アイキが勝ったら僕の順位が下がるなぁ」などとにぎやかに話している。さっきのヒソヒソ声の男の子は他の子どもたちに埋もれて小さくなっていた。南山先生も村田さんとの感想戦を終えて、息子たちの対局を覗きにきた。腕を組んで盤面をみながら、一手指すごとにウンウンとうなずいたり首を傾げたりしていた。


わたしもしばらく眺めていたが、盤面を見てもわたしの実力ではどちらが優勢かわからなかった。先生の対局も終わったので星取り表を見に行こうと思ってそちらに視線を移すと、村田さんがひとりでその星取り表の前に立ってニコニコしながらじっと見つめていた。私は村田さんが見終わるのを待とうとも思ったが、一向に動く気配がないので隣で見ようと思い立ち上がった。


村田さんの後ろから星取り表を覗くと、縦横の対戦表にリーグ戦参加者の名前が書かれていた。縦に並んでいるのが参加者の名前で、横に並んでいるのが対戦相手だ。表には対戦結果が〇×で描かれていた。息子の名前を見つけて対戦結果を見てみると〇×が半々くらいだった。この成績では今月の優勝は難しそうだ。


私に気付いた村田さんが「ああ、どうも」と笑顔で会釈をした。

「今月はまあ調子がいい方ですな。まだ優勝が狙えます」

と言うので、誰のことを言っているのかと思って、もう一度星取り表を見てみると、村田さんの列に〇がたくさん並んでいた。どうやら自分の成績のことを言っていたようだ。息子との対戦結果を見てみると村田さんの方に〇が付いていた。

「あ、まあ、息子さんとは角落ちですから・・・」

息子のことに気が付いて私に気遣ったのか、自分が級位が下なので息子が角落ち(上位者が角なしで対局すること)で対局したことをわたしに言ってきた。


わたしも「いや、まあ、なかなか」とだけ言って愛想笑いをした。

「来月の大会には息子さんは出られるんですか?」

村田さんが来月に行われる子供将棋の全国大会のことを聞いてきた。


全国大会ともなるとプロを目指す子供が大勢参加して、まだ初段にもいかない息子レベルでは上位にいくことなど到底難しい。子供が将棋を始めてからわかったが、将棋ほど番狂わせのないゲームはない。同レベルのもの同士ならいざ知らず、アマ1級がアマ3段に駒落ちなしで勝つことはまずない。それほどの実力社会なのだ。だから何度か大会にいってみって気づいたが優勝する子供はいつも決まった数人だった。そんな強者の中でもプロになれるのはほんの一握りで、その頂点に立つタイトル保持者などは途方もない存在だ。そう考えると、将棋大会で優勝して笑顔で賞状をもらっている子供たちも、そのほとんどがいつか挫折を経験する厳しい世界だ。しかし、それが将棋盤の上だけに限った話ではないことは、わたしもここ数年身に染みて感じていた。


「大会ねぇ、まあ、出ることは出ますが上には上がいるんでね…。自分が納得するまでは頑張って、あとは楽しんでくれたらいいと思っています。」

わたしは村田さんに答えた。

「そうですね。本当に強い子は強いから…」

そう言って村田さんはまた星取り表に視線を戻した。私はさっきまで村田さんが座っていたイスに座って向かい側の子供たちの様子を眺めた。


東京から大阪に戻って3年が経っていた。その間に息子はこの教室で20級から1級まで昇級した。将棋連盟の正式な支部であるこの教室の昇級者やリーグ戦優勝者は毎月発刊される将棋雑誌の後ろの方のページに小さく掲載される。私は息子の名前がそこに掲載されると発売日に本屋に買いに行った。知らない人は「リーグ戦優勝〇〇」という記載を見たらどんなに強い将棋少年と思うかもしれないが、実際は駒落ちの有利を生かした経験の浅い小さな子供だったりもする。私はそれが微笑ましかった。この小さな教室でまだあどけなさの残る子供から村田さんのような中年男性までがごった煮になって将棋を指している。来月には村田さんの名前がリーグ優勝者の欄に載るかも知れない。そしたら村田さんも雑誌を買いに行くのかな…星取り表を眺めながらそんなことを考えていた。


いつの間にか村田さんも子供たちに交じって息子の対局を覗いていて、教室の左側にはわたし一人になっていた。さっきまであれやこれや言っていた子供たちも固唾を飲んで黙って対局を見守っている。教室にはパチ、パチと対局する二人の乾いた駒音だけが響いていた。


すると「パチン!」とひときわ力強い駒音がしたあと、「お、やった」と南山先生が大きな声で歓声をあげた。わたしはイスから立ち上がり、息子たちの方へ近寄った。どうやら相手のアイキ君が必殺の一手を繰り出して、息子を追い詰めたようだった。息子はしばらくはいくつか駒を動かして打開しようと試みていたが、がっくりと頭をうなだれて「負けました」と小さな声でつぶやいた。張り詰めていた空気が破られ、まわりのこどもたちからどよめきが漏れた。「オー」「アイキやったな」と、小さな声が教室に広がった。ヒソヒソ君はなぜこの局面で勝負が決したのかまだよくわからないらしくキョトンとした顔をしていた。


「息子さんにもチャンスはあったけどな、ちょっとうっかりがあったかな。だいぶん力をつけてますよ」

先生は私を慰めるようにそう言った。息子を見るとかなり疲れた様子でアイキ君と感想戦をする元気はなさそうだった。


「じゃあ、帰るか」とわたしが言うと、「うん」と答えてロッカーに上着を取りに行った。私と息子は先生に頭を下げ、靴を履いた。息子はさっきまで対局していたアイキ君やヒソヒソ坊やたちに手を振り、教室を出た。


帰りの車の中で息子に「先生はああ言ってたけど、さっきの対局チャンスはあったの?」と聞くと、「いや、どうかな。序盤でミスったから…」と疲れもあってあまり話したくなさそうだった。


それから2週間後、息子は教室から初段の認定をもらって帰ってきた。

こどもの頃の自分には到底できなかった将棋の初段になった息子が誇らしく尊敬すら覚えた。

「ついにやったね、頑張ったな。おめでとう。ところでリーグ戦の方はどうなった?今月は村田さんがよさそうだったけど」と聞くと、

「リーグ戦?ヨシダが優勝した。村田さんは2位だった」

「村田さん2位だったのか…おしかったなあ。ところでヨシダてどの子?」

と息子にきくと、それはあのヒソヒソ坊やだった。














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