大剣少女は、滅びのあとで

藍色

序章

忘れられた空の下で

……覚えている。

朝の光が、やさしかったこと。

木のにおいと、湿った土の匂い。

風が葉を鳴らし、鳥が鳴いていた。

それが、最後の朝だった。


空は青くて、森は静かだった。

でも、その静けさの奥で、

何かがきしむ音がしていた。


遠くで、金属の唸りが聞こえた。

風が熱を帯び、木々がざわめく。

森が、ざわざわと音を立てながら、

街の方へと伸びていった。


土が裂け、根が家を呑みこんだ。

獣たちが暴れ、花が咲きすぎて枯れた。

光が溢れすぎて、空気が焼けた。


それが、“生き物が怒った音”だと、あとで知った。

けれどその時は、何もわからなかった。


気づいたら、暗かった。

森が街を飲みこんでいた。


あたりは息苦しくて、

湿った空気が胸に刺さった。

地面に手をつくと、

そこにあったのは、冷たい鉄の短剣。

誰のものか、知らない。

でも、握ってた。


こわかった。

それでも、手を離せなかった。


風が鳴って、

森の奥から何かの声が聞こえた気がした。

動くしかなかった。


転んで、立って、また転んだ。

土と涙の味がしても、

ただ、足が動いた。


――あの時、何を思っていたのか、

今でもよくわからない。


けれど、あの一歩がなければ、

たぶん、今の私はいなかった。


静かになってしまった街で、

小さな私が、初めて“ひとり”になった日。






森が、街を呑みこんでいた。

灰が混じる土の匂いが、息をするたびに胸を締めつける。

ただ、一人だけ――まだ、生きていた。


少女は静かに、森を這うように進んでいた。

耳を澄ませ、鼻を利かせ、息を潜める。

獲物を探すのは、もう考えることでもなかった。

……そのとき、枝が鳴った。

風の音じゃない。


少女の身体が、勝手に動いた。

腕に力を込め、いつものように大剣を構える。

湿った土を蹴って、飛びついた。


先にいたのは――獣ではなく、人だった。


少女は迷わなかった。

いや、迷えなかった。

大剣を振り抜く――それが、生き延びる方法だった。

鋼が空を裂いた、その瞬間。

「チッ、速いねぇ!」

金属の火花が散った。

刃と刃がぶつかり、重い音が森を震わせる。

相手は、片手で抜き放った剣でそれを受け止めていた。

年老いた外套の女剣士。

目だけが、異様に鋭かった。

「……! 子ども、か。」


剣士は、腕に伝わる感触で理解した。

この小さな相手は、殺すために斬ったんじゃない。

生き延びるために、斬るしかなかった。


衝撃を受け流された反動のまま、少女は再び踏み込んだ。

大剣の重みを腕に任せ、勢いのまま振り下ろす。

「っ……この子、力が――」

剣士は舌打ちしながら身をひねった。

刃が頬を掠め、風が裂ける。

土煙が舞い、背後の木が音を立てて倒れた。


少女は止まらなかった。

息を荒げ、次の一撃へと身体を投げ出す。

「……っ!?」

声にならない声が漏れた。

いつもなら、それで終わるはずだった。

けれどこの剣士は、まだ立っていた。


剣士はそれを受け、後ろへ滑る。

片膝をつきながらも、刃を離さなかった。

「……まったく、化け物みたいな腕力だねぇ」

息を吐き、初めて笑う。


少女は力を振り絞り、もう一度踏み込もうとした。

その瞬間、影が走った。


「落ち着きな」

言葉の前に、手が伸びる。

鍛え上げられた腕が少女の手首を掴むと、次の瞬間にはその体勢が崩れていた。

金属が地面を打つ音。

大剣が転がり、少女は膝をついた。


「今のあんたじゃ、斬る前に倒れてしまうよ」


低く、静かな声。

それは命令でも叱責でもなく、ただ現実を突きつける言葉だった――それが、いちばん痛かった。


少女は黙る。

息が乱れ、必死に抵抗しようともがく。

だが、力を入れようとしても振り払えなかった。


それでも目が――“戦わなきゃ”と訴えていた。



森の奥に、崩れた街の影が見えた。

ひび割れた舗装、錆びた看板、吹き抜ける風の音。

外套の剣士は、少女を見下ろしたままため息をつく。

「……依頼現場の近くか。ついてないねぇ」

しばらくして、腰のポーチを探り、小さな乾パンを差し出した。

「飯、いるか?」

返ってくるのは沈黙だけ。

女は肩をすくめた。

「……生きていたけりゃ、着いておいで」


その夜、廃れた文明の森で、

一人の少女が、一人の剣士に拾われた。

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