第3話「見てはいけないもの」

「おねえちゃんは?」

「お姉ちゃんの分はいいから、その分佐奈が買っていいわよ?」

「ほんと!? わ~い! おねえちゃん、だぁいすき!」


 佐奈ちゃんと呼ばれた幼女は、ニッコニコの笑顔で上条さんに抱き着く。

 上条さんは上条さんで、絶対その顔学校では見せないだろ、というほどに頬が緩んでいた。


 どうやら上条さんは、妹にはとても優しい子のようだ。


 うん……。


「気付かれる前に、逃げよ……」


 これは見てはいけないやつだ。

 見たことがバレたら、存在を消されるかもしれない……。


 クール美少女の裏の顔というか、もう一つの顔を見てしまった俺は、早々に立ち去った。

 人生、危機回避は生きていくうえでとても大切なのだ。


「――よし、これくらいでいいかな」


 大量にカップラーメンをカゴに詰め込んだ俺は、買い忘れがないことを確認し、レジへと並ぶ。


 直後――

「ふぐっ……!」

 ――背中に、重い一撃を喰らった。


「な、なんだ……?」


 痛む背中を手で押さえながら後ろを振り返ると――そこには、先程の幼女、佐奈ちゃんが尻餅をついていた。

 もしかしなくても、この子が俺の背中に突撃してきたらしい。


「いひゃい……!」

「だ、大丈夫?」


 佐奈ちゃんは額を両手で押さえ、今にも泣きそうに目をウルウルとさせていた。

 俺は慌てて腰を屈めて、佐奈ちゃんの様子を窺う。


「おでこが痛いのかな?」

「んっ、いたい……」


 話しかけたことがよかったのか、佐奈ちゃんは泣くのを我慢し、小さく首を縦に振った。

 よしよし、と頭を撫でたくなるが、さすがに初対面の子にするのはまずい。

 このまま泣き止んでくれたらいいけど、気を逸らさなければすぐに泣いてしまいそうだ。


 お菓子――は、さすがに店内では与えられないな……と、考えていた時だった。


「あっ、いた……! 急に走りだしたら駄目って、いつも言ってるでしょ……!?」


 よりにもよって、上条さんが現れた。


 ……いや、佐奈ちゃんと一緒に買いものしていたんだから、そりゃこの子がいれば来るんだろうけどさ……。

 よりにもよって、このタイミングとは……。


「すみません、この子がぶつかったみたいで――えっ?」


 佐奈ちゃんにしか目がいっていなかったのか、佐奈ちゃんから顔を上げた上条さんはすぐに謝ってきたのだけど……相手が俺だとわかると、固まってしまった。

 そんな彼女に対し、俺は咄嗟とっさに口を開く。


「大丈夫、何も見てないから……!」


 先程の、この姉妹が仲良く買い物をしている光景がフラッシュバックした俺は、吐かなくてもいい嘘を吐いてしまう。

 それにより、一瞬キョトンとした表情をした上条さんだけど、なんのことを言っているのか気が付いてしまったらしく、途端に顔が赤くなる。


「み、見たんですね……!? 私と佐奈が話しているところを……!」

「いや、見てないって言ってるじゃないか……!」

「本当に何も見ていなかったら、『大丈夫、何も見てないから……!』なんて言いません!」


 そう、上条さんの言う通りなのだ。

 俺は、ここで初めて彼女と会った態度を取ればよかったものの、余計なことを口走ってしまったせいで、自ら白状してしまったのだ。

 やはり妹にデレデレとなっている姿は見られたくなかったらしく、上条さんは冷静さを失っている。


 なんなら、怒っているお姉さんは妹でも怖いのか、佐奈ちゃんが俺のほうに逃げてきて、足にギュッとしがみついてきたくらいだ。


 ここまでバレてしまった以上、今更見ていないということは通じない。


「ごめん、本当は見ちゃったんだけど……大丈夫、誰にも言わないから……!」

「信じれると思うんですか……!?」


 うん、無理だろうね。

 特に彼女は疑い深そうだし、知り合ったばかりの俺のことを信用できるはずもない。

 だけど、ここは信じてもらうしかないわけで。


「おにいちゃん、たいへんだねぇ?」


 覚えたばかりの言葉なのか、上条さんが自分には怒っていないことに気が付くと、佐奈ちゃんは他人事のように知らん顔で小首を傾げた。

 それでもかわいいんだから、幼いってずるい。


「――二人とも~? 先に行ったら駄目だよ~?」


 上条さんに睨まれている中、彼女に続くようにして、銀色の髪を長くまっすぐと伸ばす、おっとりとした温和な印象を受ける大人のお姉さんが現れる。

 のんびりな口調で、凄く優しそうな人に見えるのだけど――彼女の顔を見た俺は、思わず固まってしまった。

 なんなら、向こうも俺の顔を見るなり、固まってしまう。


「……ゆ、優斗、君……?」


 俺と見つめ合う形になっていた彼女は、数秒経ってからゆっくりと口を開き、目を見開きながら震える声で俺の名前を呼んできた。

 今しがた現れた美女――それは、俺の高校時代の元カノである、上条美鈴みれいちゃんだったのだ。


「ママ~!」


 佐奈ちゃんが俺から離れて、美鈴ちゃんに抱き着く中――俺は思わぬ再会に、とても気まずい気持ちになるのだった。



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