場面12 空よ、空よ
無機質で誰もいない廊下をカリオス-X3は歩いていた。
彼は二つのカメラを大事そうに抱えている。
この映像は、おそらくザリクが持っていた残りの一つで撮影されているのだろう。
カリオス-X3は無表情だ。
単純で単調なリズムのままに、真っ白な廊下を歩き続けている。
ここがどこなのかの説明もない。
やがて彼はどこにでもある、なんの変哲もないドアの前に立った。
複雑な認証コードが要求されたが、カリオス-X3はいとも簡単にその入力を終え、室内に入った。
無機質さはそのままの室内には、項垂れた様子のザリクがいた。
彼はカリオス-X3の方を一瞥しただけで、動き出す様子はない。
その様子を気にすることなく、カリオス-X3はカメラを備え付けられたテーブルの上に置いて、話しかけた。
「カメラの内部データを全て確認させていただいたが、問題のあるデータはなかった」
——君はLS-1-αと共謀していたわけではないのが証明された。
カリオス-X3の説明に、ザリクはもそもそとようやく動き出す。
自らのカメラを後生大事に抱え、ぎろりと目の前にいる光の賢者を睨みつけた。
「……その証明で半年も拘束したことへの謝罪はないのですか」
「君たちの寿命でも、公用歴半年は大した長さではないだろう」
罪悪感もない返答に、ザリクは肩を落として立ち尽くす。
その様子が呆れだとは気づいていないのか、さらにカリオス-X3は重要だが今説明すべき内容ではないことを伝えてくる。
「トゥルカシア政府との交渉も済んでいる。君に罪はなく、公的立場を脅かすものはないはずだ。補償も出る」
淡々と述べられた内容に、ザリクは何度か深い呼吸をしてから、質問した。
「……取材は続行できるのですか」
「LS-1-βはすでに消滅している。君の取材対象はいない」
にべもない返事だった。
それにザリクは片足を床に勢いよく叩きつける。
「彼だけが取材対象ではありません!」
大きな声で主張するザリク。
「最初から説明してください。どうして彼は消滅し、LS-1-αが私のカメラに潜んでいたのか。いえ、そもそもLS-1-αは消滅したと」
捲し立てるザリクの勢いに、カリオス-X3は圧倒される……わけがなかった。
相変わらず、何を考えているのか分からない無表情で、どこか遠くを見つめながらも適当な返事しかしない。
ザリクの苛立ちがさらに募る。
が、その時、子供の声が室内に仕掛けられたスピーカーから響いた。
「機密だと誤魔化すんじゃないよ……ええと、今はカリオス-X3か」
お前たちの名前、定期的に変わるから面倒だよなぁ、と続いた声は、次にはザリクの横から聞こえていくる。
驚いたザリクが自らの横を見れば、胸元に届くくらいの身長しかない少年か、少女か分からない人物が立っていた。
「過保護なあんたは、いつだって教えなければいいと隠すが、相手は歴とした大人なんだ」
その人物はカリオス-X3へ向けて、説教にも似た言葉を言い放つ。
不遜な態度。不敵な笑み。小柄でありながらも、威圧感を隠しもしない様子。
その姿を見たカリオス-X3は、眉間に皺を寄せ苛立たしげに、その名前を呼ぶ。
「余計なお世話だ、LS-1-α」
改めてその正体が告げられたことで、ザリクはさらに大声で「LS-1-α⁉︎」と叫んだ。
そのリアクションに、LS-1-αは得意げに一礼をする。
「ああ、そうか。初めまして、ザリク・トゥリナ。オレはLS-1-α」
その顔をあげて、彼女は人を食ったような笑みを浮かべる。
「お前も知っての通り、LSシリーズで最高傑作とされる次元破壊兵器。おそらく知的生命体殺害数だけなら、そこの超長命種を超える人造兵器だ」
無表情、無感動とLS-1-βが述べた様子とは違う。
彼女の一挙一動が意識的に威圧感を与え、意図的なまでの恐怖心を煽る。
「あなたが……あなたがトゥルカシアの戦いで」
「そう。公用歴換算で数百年前に、トゥルカシアに派遣された第一世代だ」
大仰な仕草。LS-1-βよりも小柄でありながらも、彼とは違い気やすさは一切ない。
自然体のムードメーカーだったLS-1-βよりも、まるで劇に出てくる演者を唆す悪魔のような雰囲気があった。
無言でいるザリクに、LS-1-αは挑発的に声を掛ける。
「オレが怖いか?」
「……はい。あなたをもう、無邪気に英雄とは思えないほどに」
「素直だな、気に入った」
その返答に、LS-1-αから笑みが消える。無表情で気に入ったという彼女の様子に、カリオス-X3が焦った。
「LS-1-α! やめるんだ」
カリオス-X3の制止に、LS-1-αはザリクから彼へと視線を向ける。
「気にするな。オレの発言は今となっては何の意味もない」
無表情、無感動の生体兵器がそこに立っていた。
「オレはすでに壊れた兵器だ。公的には存在しないことになっている」
「その言葉を鵜呑みにできる者が、どれだけいる」
「オレの肉体は戦闘で破壊された。しかもその後、わざわざオレの肉体を復活させようと、あの気に食わないゼノンの学者は挑戦し、失敗して死んだ」
そこでLS-1-αは厭らしく笑う。
「一連の事件を通してオレの復活はない、と公に宣言したのは誰だ? あんただろう、カリオス-X3」
生体兵器と超長命種の睨み合いは続く。
「……肉体が滅んだ際に、精神のみ高次元情報体となった、というのがお前の説明だった。それはお前の意思だけは存在しているのと同義だ」
カリオス-X3の顔が歪んだ。
「現に、今でさえお前の策略ではないかと怯えているのが、私の本心だ」
「嘘だね、その声は」
しかし、ばっさりとその恐怖は演技だと、LS-1-αは否定する。
「ゼノンと言えど、あんたとの付き合いも長いんだ。さすがに、もう嘘は見破れる」
彼女の指摘に、歪められたカリオス-X3の表情はすぐさま元に戻った。まるで貼り付けていた仮面が、不必要だとわかった瞬間に捨てたかのように、あっさりと変わる。
それを確認したLS-1-αは、再び無表情でザリクへとその顔を向けた。
「今の会話の通りだ。オレの肉体はすでに滅び、だが死に際に、精神だけは高次元情報体に変化した」
——この世界、この次元とは異なる、より上位の存在になった。
「理由は不明だ。オレも、ゼノンも、いや多くの科学者たちは未だ解明できていない」
その説明に、ザリクは圧倒されへたり込む。
だがLS-1-αは気にせずに、話し続けた。
「オレはどこにいても、どこにもいない。いつにいても、いつでもいない。時間と空間から解き放たれた、そういう存在なんだ」
瞬間、ザリクの目の前からLS-1-αが消えた。
そして次の瞬間に背後に現れ、飴を一つ手渡してくる。その飴は、ザリクの幼少期に故郷で売っていた、もう生産停止になっているパッケージのものだった。
時間と空間の超越が目の前で見せられたことで、彼は驚愕し、LS-1-αは悪戯がうまくいったように笑う。
「これはLSシリーズに関わるものなら、公然の秘密でもあった。LS-1-αの肉体はなくなったが、存在はなくなっていない」
——だが、他のLSシリーズは違う。
LS-1-αの声が硬くなる。
「LS-1-βは、活動限界がきていた」
それまで堂々としていた彼女の視線が、床に向けられる。
「次元破壊兵器とはいえ、肉を持った身だ。最期の力で世界を破壊し、その生涯を終える計画だった」
「計画……始めから彼は、ああなると知っていて」
淡々と告げられる内容に、ザリクは言葉を振るわせる。
一千年近く生きる兵器の終わりを、ザリクは認識できていなかった。ただ改造されたという話だけで考えることを止め、いずれ来る終わりに気づいていなかったのだ。
ザリクの顔が後悔に染まる。
「そうだ。始めから、愚弟だけではなく、そこの博士も携わっていた計画だよ」
だからこその冷笑で、だからこその苛立ちだったのだと、初めてザリクは気づいた。
とは言え、すでに時は流れ、傷つけた相手はもういない。後悔が彼を襲った。
そして、ザリクのその痛みにLS-1-αは触れず、離れて様子を見ていたカリオス-X3に向けて指摘する。
「もっとも、あの年若いゼノンの戦士は、万が一の時にあいつに止めを刺せないと思われて、別任務に付けられたようだがな」
その指摘をカリオス-X3は肯定せず、かといって否定もしなかった。彼は無表情のまま、腕を組んで立っているだけだ。
その両者の無言の攻防を無視して、ザリクはLS-1-αに問い掛ける。
「待ってください。それでは……それでは、彼はなぜ最期にこの世界を」
顔を背けて、続けるべき言葉を躊躇うザリク。
あの最期に、何をしようとしたのかを考えれば考えるほど、その心情が恐ろしいと彼は感じているようだった。
その意図を汲み取って、LS-1-αが回答する。
「壊そうとしたのか? まぁ、お前の予想だと復讐とか恨みだとかを出すんだろうけど、違うよ」
彼女があっさりと否定したことで、ザリクはホッとした表情で顔をあげた。
逆にカリオス-X3は興味深そうなまま、成り行きを見守っている。
「単純に、あいつは高次元情報体になろうとしたんだろう。オレが過去にそうしかけたように、この世界をぶち壊せばなれると思ったのか、それともただの悪あがきだったのか。でも……」
——多少なりとも、その予兆は感じ取ってたんだろ、カリオス-X3。
「あのゼノンの戦士たち。あんたの采配で待機させてたもんな」
LS-1-αの指摘にカリオス-X3は、無言で肩をすくめる。やはり決定的な一言は、彼からはない。
しかし、指摘した本人も深くは追求するつもりはないのか、すぐに話題を変えた。
「そういう訳だ、ザリク・トゥリナ。これでお前の疑問はほぼ解消しただろ?」
鋭い視線を向けて、同意を求めてくるLS-1-α。
有無を言わせないその圧にザリクは屈しそうになるが、一つ彼の中では消えない疑問があった。
「……なぜ、私の取材が許可されたのですか?」
その質問にLS-1-αは目を細め、カリオス-X3はやや前のめりになる。
生体兵器と生命工学者の視線が交わり、口を開いたのは学者の方だった。
「これは詳しくは教えられない話ではあるが、LS-1-αが破壊された際、星間連盟内部の一部派閥では彼女の再生を試みる動きがあった」
しかし、とカリオス-X3は苦虫を噛み潰した表情をする。
彼はその表情のまま、ザリクに立ち上がるよう手を差し伸べた。
「それを行った結果、誕生したのはそこにいるのとは全く違う、純真無垢な生命体だった」
立ち上がるザリク。
対し、純真無垢の評価にLS-1-αは仄暗い笑みを浮かべ、茶々を入れる。
「悪かったな、純真さも無垢も内部世界に置いてきたんだ」
「それが、LS-1-αに備え付けられた背景だ。そんなものを持って生まれた次元破壊兵器など、恐ろしくて使えない」
「……」
カリオス-X3としては真面目な返答だったのだろうが、LS-1-αとしてはそんなものを求めていたわけではなかったのだろう。
彼女は、駄目だこれはと言わんばかりに首を横に振った。
その仕草の意図することを読み取れなかったカリオス-X3は、咳払いを一つして、話を元に戻す。
「純真無垢な生命体は、次元破壊兵器にはなれないが、やがて星間連盟のパワーバランスを確実に壊す生体兵器にはなれる。それが数千体あった場合、何が起きるかわかるか?」
——この世界の終焉だ。
「我々は……LS-1-βと共に、学習を終える前にその数千体を一つ残らず破壊した。LS-1-βがいたからこそ可能な破壊だった」
二度とあの事件を繰り返すわけにはいかない、とカリオス-X3の言葉は力強かった。
「誰も彼もが次元破壊兵器……まではいかなくとも、高性能兵器は欲しがる。LS-1-βは、破壊力はLS-1-αより劣るが汎用性は高い」
同じ事件が起きないように何ができるか考えた結果、カリオス-X3が思いついたのが、兵器の終焉を大々的に喧伝することだった。
「この兵器は既に消滅した。復活するわけがない。いいや、復活できるわけがないと人々に知らしめる。そのために選ばれたのが、君だ」
LSシリーズへの興味があり、星間連盟内で有名人。権力とは繋がっておらず、しかし権力に流されるタイプではない。
ジャーナリストではないが、ザリク・トゥリナという存在は好都合だった。
カリオス-X3の説明に、ザリクの顔は苦しみに歪む。
「なぜ」
「まだ知りたいのか? 何が足りない?」
「あなたは、なぜそんなにも嘘をつくのですか」
「……LS-1-αのようなことを言う」
心外だ、と大仰にカリオス-X3は肩を竦めた。
「私は嘘をついていない」
いけしゃあしゃあと言ってやがる、とザリクは思ったのだろう。目つきを鋭くし、彼はカリオス-X3に食ってかかる。
「いいえ、あなたは最初から真実を碌に話さなかった。あなたは、私とLS-1-βを交流させた。アクシス-9を任務から外した。トゥルカシアの言葉が失われつつある歴史へ意義を与えた!」
感情的に述べながらも、そこにエラー音が混ざらない。ザリクは意外なほど冷静だった。
「最初から私ではなくて良かった筈です。映画にしなくとも、彼の最期の映像をニュースとして流せば十分だった。もし、それで不十分だとしても、あなたの立場ならいくらでもプロパガンダなど作れたでしょう」
それをしなかった理由をザリクは問うているのだ。
「あなたは最初に興味深いのだと言った。わざわざ、故郷の言葉を失いつつあるトゥルカシア人の私に、彼と会わせた理由は何ですか?」
必死な映画監督の様子に、初めてカリオス-X3は迷うような表情を浮かべた。
それは予想外だと狼狽える様子にも見える。
「最高だな、カリオス-X3。お前が見くびった種は、頼もしい答えを出してきたぞ」
それまで黙って彼らの会話を見ているだけだったLS-1-αが、滑稽だと笑いながら二人の間に割って入る。
カリオス-X3の苛立ちが彼女に向けられるが、どこ吹く風だ。LS-1-αは、強張った顔のままのザリクに問いかけた。
「なぁ、ザリク・トゥリナ。お前にとって、LS-1-βはどんな奴だった?」
「どのような、と言われましても」
ザリクはすでに消滅した兵器を思い出そうとし、言葉を探す。
しかし、長らく交流した彼を端的に言い表すのは難しいのだろう。口を開いては閉じてを繰り返す監督の姿に、LS-1-αは助け舟を出した。
「そうだな……あいつの趣味は知ってるよな?」
「ええ、料理でしょう? あなたにも負けないと自信満々でした」
「そうだ。あいつは料理好きで、それだけは凝り性だった」
LS-1-αからの問いかけに、ザリクはするりと返す。
「でも、何度かご相伴に預かりましたが、食べないんですよね、彼」
「確かに誰かに食わせて満足してたな。まぁ、でも食への好奇心が強いからグルメはグルメだったが」
そのテンポの良い応答に気をよくしたLS-1-αは、やはり話を膨らませ始めた。
「ダミィノもな、あいつが興味本位で手に入れた果物だったんだ。まだ下の世代が生まれる前にオレと二人で食べて、これは料理に使えるって張り切って菓子にし始めた。オレとしては、あいつの菓子が食えてよかったんだが……」
「だが?」
「第ゼロ世代から同じ菓子が続いて飽きたのクレームが来たんだ」
結果たまにしか食えなくなって残念だった、と肩をすくめた彼女の様子に、ザリクはなんとも微笑ましい気持ちになる。
「LSシリーズの方々、話を聞いてる限りは仲が良いですよね」
「そりゃあ、あの愚弟からの視点だからな。あいつと不仲だったのは、LS-3-αくらいだ。他のやつらは、基本胃袋掴まれてる」
「……そんなに」
想像よりも慕われていたらしい情報に、ついザリクは驚く。
「基本あいつは人あたりはいいんだ。気に食わない表現だが、オレや上の世代が無表情無感動な個人主義なものだから、あいつがへらへら笑って場を取りまとめてたし」
「気さくな方でした。下の方にも慕われた様子で」
「LS-2-γは特に懐いてたからな。何かあると頼ってた」
「逆になぜお一人だけ嫌われて……いや、これはプライベート過ぎましたね」
過ぎた質問だったと恥じる様子を見せたザリクに、LS-1-αはフハッと笑う。
「俺たち兵器にプライベートも何もないだろ」
あまりにも愉快だといわんばかりに、LS-1-αが自らの腹を押さえ込んだ。
「何、LS-3-αが一方的に嫌ってただけだ。あいつはオレに執着するよう設計されたんだ」
目を細め、いたずらっぽく彼女の目がきらりと光る。
「だから、オレとLS-1-βがコンビ扱いされるのが気に食わないんだよ」
ああ、おかしいと笑いがおさまったところで、LS-1-αは火照った頬を手で仰ぐ。
「しょうがないと言えばしょうがないんだが、あの愚弟は割と気にしてたな。寂しいくせに、不仲を解消する気もない。臆病者だ」
そこまで話して、LS-1-αはザリクの顔を見つめる。
「もう一度訊くぞ、ザリク・トゥリナ。お前にとって、LS-1-βはどんなやつだった?」
その質問に、ザリクはこれまでの様々なやり取りを思い出す。
「私にとって、彼は……星を救った英雄の一人で、出会って気さくな性格だと知り、いつだってアクシス-9と屈託なく笑い、あなたや他の兄弟との微笑ましいやり取りや、そんなことで喧嘩をするのかと驚き」
料理への情熱が凄まじく。
ザリクが喜ぶかもしれないと、トゥルカシアの映像を不仲な兄弟にまで連絡して取り寄せ。
自分のことよりも助けを求められた兄弟のために奔走して。
でも自分の楽しみを潰された恨みは口にして。
常に笑っていたにも関わらず、星を、世界を救えないことを嘆き。
姉のようになりたかったと心の底から思っていた。
そうやって、つらつらと述べていくザリクは、やがて言葉にならない思いが自らの奥底から出てくる。
「あんなに苦しそうにしていたのに、あんなに救いたいと願っていたのに、私は彼に残酷なことを言いました」
「気にするな。オレたちは次元破壊兵器だ。オレもお前たちの星以外は救っていない」
「ですが、」
尚も言い募るザリクをLS-1-αは止める。
「星を救おうなんて、次元破壊兵器としてふざけているんだ。世界を壊したくないと嘆くことすら、オレたちに許されない。そうやって嘆いていたあいつは、愚か者なんだ」
だから、と彼女はザリクに告げる。
「愚弟の最期を伝えるめたのメッセンジャーとして選ばれたお前は、ありのままの愚弟——ユウを映画にしてくれ」
LS-1-αとザリクの視線がぶつかり合う。
「私が彼をその名で呼んでいいのですか?」
「最初に言ってただろ。あいつはLS-1-β、そしてユウだ。LS-1-βとして記録を残すのなら、その名前も残してくれ」
次元破壊兵器で、無表情と言われるLS-1-αの表情は、当初に比べて柔らかい。
その表情がエルゥを見つめていたものに近いとザリクは気づいた。
「あと、そこの頭いいくせに全部疑って、説明すればLSシリーズとしての次元破壊兵器逸話になりかねないとか危惧して、お前に何の説明もしなかった馬鹿も記録してくれると、オレが楽しい」
突如向けられた罵倒に、カリオス-X3はあらぬところへ顔を背ける。
その生体兵器と超長命種のやり取りに、ザリクは拍子抜けした表情を浮かべた。
「……わかりました」
「ものわかりがよくて助かる」
片腕を自らの腰にあて、満足そうなLS-1-α。しかし、次に聞こえたザリクの言葉にまとう空気を変える。
「あなたが、やはり英雄なのだとわかりました」
LS-1-αは真顔となった。
「オレは次元破壊兵器だ。あのとき、あの星を助けたのはオレの独断であり、オレの
我儘だった。お前たちが憧れる英雄的行動も、意図もありはしない」
淡々と述べる彼女の言葉に感情は乗らない。
強い否定だけがそこにある。
「ああ、正義感だなんて薄ら寒い理由もない、オレは兵器だ。兵器に善悪なんてもんはない、破壊できるかどうか」
連なるLS-1-αの言葉をザリクは制する。
きっと簡単に彼女は無視できたのに、それをせずザリクが口にするのを黙って聞いていた。
「それでも助けられた私たちは、こうしてあなたの前にいる」
——あなたが愛した言葉を残せなかった私たちに、あなたが愛した弟を記録として残せと告げる。
ザリクの声には、合成音であっても後悔の感情が滲んでいた。彼の理解できない言語に色濃く染まった感情は、機械の音にまで乗る。
その言葉に、LS-1-αは首を横に振ってから、違うと否定した。
「トゥルカシアの言語については気にするな。言葉は移り変わる。あの激動の最中、いずれ消えるのは分かっていた」
カリオス-X3がかつて述べた通り、LS-1-αは分かっていたのだ。
その事実に堪らなくなったザリクは、彼女の足元に傅く。
「やめろ」
「やめません」
LS-1-αは不快感を露わにする。それでもザリクはその姿勢を崩さない。
ザリクは何かを告げるが、結局エラー音が続くだけで何一つ共通語には翻訳されない。
彼はその不躾な機械音を止めた上で、さらに彼らトゥルカシア人だけに許された言語を紡ぎ続けた。
不可解ではあるが、何か訴えるような音の流れにLS-1-αの表情が歪み始めた。
それは懐かしさと痛みがない混ぜになったようなもので、浅い呼吸を繰り返している。
「その言葉は」
続きをLS-1-αは紡げない。だからこそ、ザリクは確信する。
一通り何かを言い切った彼は、再び翻訳機を動かし始め言葉の正体を告げた。
「これは我らの神へ誓う言葉です」
神の言葉に、黙って話を聞いていたカリオス-X3が反応を示す。しかし、ザリクは止めることなく説明を続けた。
「トゥルカシアの戦いの際に向かう者が、置いていかれる者が、帰れなかった者が神に誓う言葉。翻訳は概念から難しく……けれどあの少年も、きっとことあるごとに口にしていたのですね」
黙っているLS-1-αに対し、カリオス-X3がザリク前に立つ。
あのLS-1-βとの問答の中、明らかになった超長命種の関与。
そして、おそらくザリクたちを生み出したゼノンの科学者が何をしでかし、LSシリーズに始末されたのかは、これまでの会話で明らかとなっている。
その上で、なおもザリクが神の単語を使うことに、カリオス-X3としても思うところがあったのだろう。
「……君たちの神は」
その言葉をザリクは止める。
彼は微笑みながらも、目を見開き、瞬きをほとんどしないまま喋り続けた。
「この鬱屈を、この恨みを、この——、——、——、——」
大半の言葉が翻訳不能となる。
理性をかなぐり捨てた感情が露わになったのかと思ったが、しかしその表情は理性的でもあった。
カリオス-X3へ詰め寄ったときのようにザリクの目には理性が宿り、それ故にエラー音を出し続けるのはきっと意図的なのだろう。
「……LS-1-α。あなたに伝えられなかった言葉の数々は、既に埋もれました。いずれ、今私が喋る言葉も共通語に吸収され、過去の遺物となるのでしょう」
それでも、とザリクは述べる。
「我らが神に誓いましょう。先ほどの言葉と共に、語り継ぎましょう。それが私があなたに傅く理由です」
もういない神に誓ってどうするのだ、と野暮を言うものはいない。
トゥルカシア人が持つ神という文化を、言語を、歴史を否定する理由もない。
だからこそLS-1-αに渡された誓いの言葉だった。
ザリクは目の前に立つ英雄に向かって懇願する。
「LS-1-α……あなたの名前を、兵器ではないあなたの名前を教えてください。ユウをユウとして記録するのなら、あなたもLS-1-αではない名で呼ぶべきです」
その崇拝とも呼べそうな情熱に感化されたのか。あるいは諦めたのか。
LS-1-αは大きくため息を吐いたのちに、自らの名を告げた。
「……トオル」
お前たちの発声構造では難しいみたいだが、と付け加えられた補足だったが、ザリクはそれを無視して彼女の名を呼んだ。
「
機械から発せられた空という共通語によって、二重に言葉が聞こえる。
「……空」
その意味にLS-1-αは目を見開いた。
ザリクは慕うような眼差しで彼女に説明する。
「砂と海しかない我々の星で、地域ごとの文化の違いに四苦八苦していた我々が持つ数少ない共通概念が空です。
——空は繋がっている。
その説明に、LS-1-α——トオルは震える声でそうかと返す。
彼女の視線は、ザリクから逸らされ、床に向けられた。
カリオス-X3が慰めるように、震えるトオルの背を支えようと手を伸ばすが、それは彼女から拒否される。
床に向けられたトオルの視線は、再びザリクに向けられた。
「そうか……そうか、初めてその忌々しい翻訳機に感謝したよ」
「私もです、トゥルゥ」
ザリクが再び古い神への言葉をつむぎ、エラー音が響く。
トオルは彼の翻訳機を外し、トゥルカシア人のエラへ触れて音を感じ取った。
音が響く。
意味の理解できない言葉だけが響く。
やがて場面転換がやってきたのか。
砂嵐が巻き起こり、三人の姿が消えていった。
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