金を持ち逃げした元カノと、バイト先で恋人のフリをすることになった

和鳳ハジメ

第1話/どこにでもある喪失とその後

 


 扉を開けて目の前に飛び込んできたのは、散らかり荒れた二人の部屋だった。

 否、ただ散らかっていた訳じゃない。違う、単に荒れている訳じゃない。

 だって普段から整理整頓し、毎日掃除もしている、だからこれは。


「………セシー?」


 状況を呑み込めず茫然とした声で怜悧は、瑠璃堂怜悧(るりどう・れいり)は呟いた。

 高校二年生なのに彼女と同棲だなんて彼としても大胆なことをしたと思っているが、セシー、セシリアも同意の上なのだから後悔なんて微塵もない。

 なにより彼女との仲は同棲に至るほど深い愛情で結ばれて、彼女と家族の仲も良好だ。

 ――だけど、どうして、どうして。


「セシー、嘘だよな? 嘘って言ってくれ……」


 喉から絞りだされた言葉は、唯一綺麗だったテーブルの上に置かれた簡素なメモの前に消える。



“怜悧、お前には飽きたよ。

 手切れ金として部屋の高そうなモノとタンスの金は頂いていく。

 次はこんな女にひっかかるんじゃないぞ顔だけが取り柄の悪知恵男。

 もうお前の女じゃない、セシリアより”



 慌ててクローゼットの奥底を確認するとタンス預金と称し隠しておいた百万円の束がない、他にもブランド物のシャツを筆頭に様々な物が消えていて。

 そして何度も読んでも文面は変わらず、ははっ、と乾いた笑いが零れ怜悧はよろめいた。

 ふらふらと歩き、ベッドに倒れこむ。

 そう、荒れているように見えたのは、散らかって見えたのは彼女が自分の物と金目の品を持って行ったからで。


「俺、フラれたのか? こんなに呆気なく? は? しかも金まで持っていかれて???」


 信じられないにも程がある、セシリアとは共に窮地を力合わせて打破し成功を分かち合った仲で。

 こんな事をする女じゃないと信じている、けど。


(クソッ、何回読んでもセシーの筆跡だ! アイツが言いそうな悪口も書いてある……、それに、金にがめついのもセシリアらしい。……でも)


 何故、なんでだ、疑問は尽きない。

 出会ったばかりの状態ならともかく、今は彼女の全ての事情を理解し性格だって好きなもの嫌いなもの全部を知り尽くし。

 それは彼女も同じ筈で、愛してるという言葉だって恋人になってから欠かしたことはない、だから不満なんて、彼女が冷めただなんて。


「――何を俺はショックを受けてッ! 倒れこんでる場合じゃない探さないと、きっと悪い冗談だ、見つけたら罰として一週間の皿洗いはセシーで」


 怜悧はがばっとベッドから跳ね上がり、慌ててセシリアを探しに走った。

 家の中は当然、彼の実家にも居らず、彼女の実家や前に住んでいたアパートももぬけの殻。

 探して探して探して、それが何時間になり、何日になり、一か月が三か月になって、……やがて六か月になった頃ようやく彼は気づいた。


(なんだ。……ホントにフラれたのか俺。愛し合ってるなんて一方的な幻想、嗚呼――なんて滑稽、とんだピエロだったって訳だ)


 不思議なことに憎悪や悲しみ、怒りといった負の感情は浮かばなかった。

 幸せでいてほしい、無事でいて欲しい、そんな気持ちだってどこかに落としてしまった様で出てこない。

 警察に通報しなかったのも、あるのはただ。


(……………もう二度と会いたくない、顔も見たくない、頼むからこれからの人生ずっと他人でいてくれ)


 拒絶の二文字。

 あの喪失を、恋人だった時の感情を思い出してしまうぐらいなら忘れてしまった方がよっぽとマシで。

 立ち直った、そう思えたのは大学生一年生も半ばになってからだった。


(ふぅむ……金に余裕はあるが、そろそろ外に出て金を稼いでいる姿を見せつけるべきだな。片手間のデイトレードだったが通帳にはゼロが8つ、十分な成果じゃないか。ならこれを生活費と学費にあてて近場で……いや、いっそのこと代理を立てて俺が直接――)


 そうして怜悧が選んだのは、現在の住家の近所にあるコンビニであった。

 適度に小さく、適度に忙しく、そして暇で、シフトや休日の自由が利く天国のようなバ先。

 個人経営のコンビニ・らぴすらずり、大学でできた友人と共に彼はそこで楽しくバイトして現在大学二年生の冬――。


「――なあ、おい、怜悧! どうしたんだよいきなり黙り込んで……。そんなに恋人いないのが辛かったのか? あ、それともお前ヘンな性癖もってて女にフラれ続けてトラウマになってるとかか?」


「狩豊(かりとよ)……お前俺の権限でクビしてやってもいいんだぞ?」


「ちょっ、横暴だぞバイトリーダー!? 暇だから面が良いのに恋人いない理由聞いただけじゃんかよぉ! ったくこれだから優等生のフリした横暴ちゃんはさぁ」


「はっ、不満に思うならこのバイトリーダーを越えてみるんだな!」


「バイトリーダー(計3名のバイトの中からじゃんけんで決まった貧乏くじ役)」


「お前、言ってはならない事を……!」


 怜悧は笑いながら狩豊を軽く睨んだ。

 ――里場狩豊(さとば・かりとよ)、彼は怜悧が大学に入ってからの親友で気さくなお調子者……とても“良い奴”だ。

 このコンビニ、らぴすらずりに誘ったのも彼で。


「ったく、そろそろ俺らは上がる時間なんだから交代要員がくるまで少しぐらい真面目にしとけ」


「はいはい、そりゃそーだ店長にみつかって給料下げられたくないしなぁ」



「そういえば、なんでいきなり恋人がどーの言い出したんだ?」


 狩豊の性格なんて既に熟知している、なにか切っ掛けがあるんだろうと怜悧は促した。

 なんだぁお見通しか、と親友は苦笑し。


「昨日聞いたんだけど、新しい子が入るって話じゃない」


「ああ、それは俺も聞いたな。――それでか、詳しくまだ聞いてないけど女の子なんだって?」


「そーなんだよ! オレ彼女の面接前にちらっと見ちゃったんだけど……すっごい可愛い子なんだぜ!! しかも外国のハーフらしくてセシリアちゃんって言うらしいんだ」


「…………………ほう???」


 思わぬ名前に、怜悧はもしや、もしかしてと思考に支配され。

 盛大に口元をひきつらせながら、聞いてないぞ店長オオオオオオオオオオオ!!! と心の中で叫び。

 終わったら絶対に問いただしてやると固く決意したのであった。


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