第34話 暴力は連鎖する
崖から突き落とされそうになり、かろうじて生き延びた金田大介は、数日後、再び安アパートの薄暗い部屋にいた。誰に命を狙われたのかは分からなかったが、それは金田が長年、他者に与え続けてきた**「恐怖」**が、形を変えて自分に返ってきた証拠だった。
金田は、孤独と恐怖の中で酒を呷っていた。彼は、自分がなぜ、石山や水野に対してあれほどの暴力を振るったのか、その根源的な理由を考え始めていた。それは、会社での地位を守るためだけではなかった。もっと、深く、古く、体にしみ込んだ理由がある気がしていた。
酔いが回り始めた金田の意識の中で、一つの古い記憶が、鮮明な映像としてフラッシュバックした。
——昭和の古い木造アパート。小学三年生の金田大介が、泣きながら床に落ちたご飯粒を拾っている。
幼い金田は、父が経営する小さな印刷工場の片隅にある、生活スペースで暮らしていた。彼は、遊びたい盛りにもかかわらず、学校から帰るとすぐに家と工場の清掃を義務付けられていた。
ある日、遊ぶことに夢中になり、清掃をサボってしまった。特に、台所の床の油汚れがひどかった。
「大介!」
父の金田勝雄は、鬼のような形相で幼い金田を呼びつけた。
「この床を見ろ! 汚ぇんだよ! こんな汚いところで飯が食えるか!」
父は、金田が使う小さな雑巾を取り上げ、冷たい水道水で絞り、それを金田の顔に叩きつけた。
「目を覚ませ! お前は、汚いものを許すな! 少しでもサボったら、お前は社会のゴミになるんだ!」
冷たい雑巾の感触、そして父の**「社会のゴミ」**という言葉が、幼い金田の心に深く突き刺さった。
父の虐待にもまして金田を苦しめたのは、一つ年上の兄、金田正義だった。
兄は、父の監視役として、金田が少しでも清掃を怠ると、父に告げ口をした。そして、父がいないときは、兄自身が金田に**「指導」**を加えた。
あるとき、金田が工場の隅の清掃をサボったことが兄にバレた。兄は、作業用の安全靴を履いていた。
「この汚れ、見えないのか、大介!」
兄は、金田を床に押し倒し、金田の脇腹を安全靴の固い爪先で蹴りつけた。
ドスッ!
「痛てぇ!」と叫ぶ金田に、兄は冷たい目で言った。
「清掃をサボる奴は、この工場にいる資格がない。**『完璧』**以外は許されないんだ。この痛みで、覚えとけ」
この強烈な痛みと、「完璧」でなければ「ゴミ」になるという恐怖が、幼い金田の行動原理として深く刻まれた。
金田は、アパートの薄暗い部屋で、過去のフラッシュバックから目覚めた。
彼は、自分が石山や水野に振るっていた暴力が、父や兄から受けた虐待の、完璧なコピーであったことを悟った。食品工場の清掃は、彼のトラウマの舞台であり、彼は、父と兄にされたことを、今度は自分が**「指導員」という安全な立場から、弱い派遣社員に対して「転嫁」**していたに過ぎない。
金田が石山に与えた安全靴での脇腹への一撃は、兄から受けた暴力の正確な再現だったのだ。
彼は、自分が**「被害者」から「加害者」へと変貌し、さらに今、「通り魔や暗殺者からの被害者」となっている、この暴力の連鎖**の恐ろしさに戦慄した。
金田は、酒瓶を床に投げつけた。彼は、孤独な部屋で、自分が作った**「罪」と、父兄が作った「トラウマ」**という、二重の鎖に縛られていることを知った。彼は、暴力の根源を知ったが、それを断ち切る術は、まだ見つかっていなかった。
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