第24話 偽善者が去った穴

 金田大介は、自分の暴力の過去が原因で介護施設「やすらぎの里」を解雇された。彼は、老人たちにだけは優しく接し、清掃と深夜の巡回業務を病的とも言えるほど几帳面に行っていた。それは、彼が以前の職場で犯した罪の**「洗浄」**を試みる行為であったが、結果として彼の悪行は、この最後の居場所までも彼から奪った。

​ 金田が解雇された翌日の深夜、施設は微妙な異変に見舞われた。

​ 夜勤の職員は、金田の暴力行為を知っていたため、彼の解雇に安堵していたが、すぐに業務の穴に気づいた。金田は、深夜の巡回ルートや、入所者の排泄介助後の清掃を、他の誰よりも長く、細かく行っていたのだ。

​ 人手不足の施設において、金田のその「完璧主義」は、彼自身が自己満足のために行っていた行為であったにもかかわらず、結果的に人手不足という構造的な問題を隠蔽し、業務を回すための緩衝材になっていた。

​ 彼の解雇後、夜勤の負担は急激に増し、職員たちは巡回を簡略化せざるを得なくなった。

​ その夜、入所者の**山崎トミ(88歳)**に異変が起きた。

​ 山崎さんは、心臓に持病を抱えていたが、日中は比較的穏やかに過ごしていた。午前2時過ぎ、山崎さんはベッドの上で激しい胸の痛みに襲われた。彼はナースコールに手を伸ばそうとしたが、体が動かない。

​ 金田がいた頃であれば、彼は定時よりも早く、不必要に詳細な巡回を行っていたため、この異変に気づいた可能性があった。しかし、この夜、代わりに入った職員は疲労困憊しており、巡回は予定時刻よりも遅れ、居室の扉の小窓から中を覗くだけで済ませていた。

​ 深夜3時。巡回から一時間以上が経過していた。

​ 山崎トミさんは、ナースコールに手を伸ばすこともできず、静かに息を引き取った。

​ 彼の部屋の清掃は完璧で、ゴミ一つ落ちていなかったが、その完璧さの裏側で、人の命が失われていた。

​ 翌朝、夜勤明けの職員が山崎さんの異変に気づいたが、すでに手遅れだった。山崎さんの死因は急性心不全と診断された。

​ 施設内は騒然となった。「やすらぎの里」は、入所者死亡という重大な事態に直面し、外部に知られることを恐れた。職員たちは、巡回記録の不備や、夜間の対応について、内部調査を受けることになった。

​ そのニュースは、数日後、自宅で失業保険の申請書類を見ていた金田の耳にも入った。

​ テレビのローカルニュースが、**「巨田市内の介護施設で入所者が死亡、夜間対応に不備か」**と報じている。画面に映し出された施設の外観は、金田が昨日まで働いていた「やすらぎの里」だった。

​金田は、一瞬、呼吸を忘れた。

​「……山崎さん」

​ 彼は、あの物静かな老人が、自分が去った後に死んだことを知った。

​ 彼の解雇は、自分の暴力という直接的な罪に対する罰だった。しかし、その解雇が、施設の体制を揺るがし、間接的に一人の命が失われるという結果につながったかもしれないという事実は、金田の心に新たな種類の恐怖を植え付けた。

​「俺は、暴力で人間関係を壊しただけじゃなかった。俺がいなくなったせいで、命まで……」

​ 金田は、自分の暴力が、まるで悪性の伝染病のように、自分自身が去った後も、無関係な他者の人生や命まで蝕み続けていることを悟った。彼は、以前の工場の人間たちだけでなく、見知らぬ老人の死まで、自分の**「負の遺産」**として背負わなければならなくなったのだ。

​ 三度解雇され、ハンマーで殴られた肉体よりも、老人の死のニュースは、金田の心をより深く、静かに破壊していった。彼は、どこに逃げても、自分の過去からは逃れられないことを知った。

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