第8話 血を吐く
水野は、金田に正面から反抗した後も、派遣先の「フレッシュ・デリ」を辞めなかった。
彼は掃除の手を抜くことはしなかったが、金田からの直接的な指示や指導を露骨に無視した。金田が近くに来ると、作業の音を立てて金田の声を聞こえないふりをし、目を合わせないようにした。金田も水野の態度に苛立ち、他の派遣社員や社員を使って水野に遠回しな嫌がらせをするようになった。
水野の使う清掃用具だけが、なぜか毎回定位置に戻されていない。
休憩時間に誰もいない場所で、金田が水野への侮蔑的な言葉をわざと大きな声で話す。
作業の終了チェックで、水野が担当した箇所だけ、金田が時間をかけて執拗に難癖をつける。
水野は、表面上は平然を装っていたが、常に臨戦態勢を強いられていた。いつ、どこで金田が攻撃してくるか、神経を張り詰め続けなければならなかった。彼の職場は、清掃作業を行う場所ではなく、金田という敵と戦う戦場と化した。
水野は「俺は負けない、逃げない」と強く心に誓っていた。石山のように逃げたら、金田の暴力が正当化されてしまう。その信念が、彼を工場に留まらせていた。
しかし、その信念は、彼の内側を静かに蝕んでいた。
一週間ほど経った頃から、水野は胃に鋭い痛みを感じ始めた。最初は単なる胃もたれだと思っていたが、それは徐々に強くなり、特に金田の顔を見た後や、嫌がらせを受けた後にひどくなる傾向があった。
ある日の深夜休憩、水野は持ってきたおにぎりを食べようとしたが、一口食べただけで胃が重く軋み、嘔吐感に襲われた。
「くそっ……」
彼はトイレに駆け込み、吐き気と戦った。胃の内側が、まるで濃硫酸で焼かれているかのような熱い痛みが走った。この痛みは、金田に蹴られたときの外側の打撲とは違い、彼自身の体が生み出した、逃げ場のない内側の攻撃だった。
数日後、痛みに耐えかねた水野は、朝一番で病院に向かった。内科医の診断は**「急性胃潰瘍」**だった。
「かなりのストレスを抱えているようですね。胃の粘膜が深く傷ついています。このままでは出血して、さらに悪化しますよ」と医師は告げた。
水野は診断書を握りしめた。彼の強い意志と反抗心は、金田の暴力を外部から跳ね返したが、その結果、ストレスという形で内臓に深刻な傷を負わせたのだ。
「逃げない」と決めた水野は、石山とは違う形で身体的な病を得てしまった。石山が恐怖から体を壊したのに対し、水野は怒りと対抗心から体を壊したのだ。
胃潰瘍の痛みは、金田の嫌がらせよりも強烈だった。水野は工場に出勤し、痛みをこらえながら清掃道具を握るたびに、頭の中で葛藤した。
「このままでは体がもたない。辞めるべきか……」
しかし、辞めるという選択肢は、彼にとって金田の完全勝利を意味した。
「石山さんが辞めたんだ。俺まで辞めたら、あいつは自分の暴力が正しいと確信するだろう。絶対に辞めない」
水野は診断書をロッカーの奥にしまい、誰にも見せなかった。彼は、この痛みさえも隠し通し、金田との見えない戦いを続けることを選んだ。
金田は水野の病気には気づいていない。ただ、水野が顔色を悪くしながらも、ふらふらと清掃を続ける姿を見て、**「根性のある奴」**だと、まるで自分の指導が効いているかのように誤解していた。
水野の体内で、潰瘍は静かに、しかし着実に広がり続けている。彼は、辞めることを拒否することで、自分の命と引き換えに、金田の支配に抵抗し続けていた。
水野がこの身体の限界を超えた状況で、次に取る行動としては、以下の展開が考えられます。
A. 会社に診断書を提出し、状況を訴える:病気を理由に、公に金田の暴力を問題提起する。
B. 石山に接触する:同じ被害者として石山を探し出し、連携して行動を起こすことを試みる。
C. 限界が来て倒れる:胃潰瘍が悪化し、作業中に緊急事態となる。
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