高いところが好きな馬鹿なお兄さんたちの話

成瀬利人

高いところが好きな馬鹿なお兄さんたちの話

「馬鹿と煙は高いところが好きらしいよ」


 そう、声を掛けると、彼は、紫煙を揺らしながら振り返った。


 僕が声を掛けてようやく彼は振り返ったけれど、彼は、きっと、僕がここにいることに、気づいていたのだろう。


 彼は、僕を視界に入れて、目を細めて笑って…それが彼が何かを誤魔化すときの癖であると、僕はとうに知っている…黒い革に金色の刺繍、それも、彼のものではない誰かの名前が入った携帯灰皿に、煙草を押し付けた。


 彼の、こういうところが嫌いだ。


「それは、どっちの意味?」


 へらりと笑いながら、彼が言う。さあ、と僕は返した。


 答える必要性を感じなかった。どちらで答えても変わらないし、どうせ、彼は答えを知っている。


「ここには一人で来たの?」


 彼に問われた。うん、と肯定すると、彼は、少し目を伏せて、小さく笑った。


「なら、帰りなさい、未成年」


「あんただってまだ学生だ」


 言い返すと、彼は、「高校生と院生じゃ話が違う」と、茶化すように返した。


 事実だ。現に、夜空に溶けるような黒一色の彼とは違って、僕が今着ているのは、深緑色のブレザーだった。


 でも、会話を続けないと。僕が言い淀んだら、多分、そこで終わる気がした。


「じゃあ、未成年だから、あんたが送って」


「自分で帰りな、男の子だろ」


「そういうの、」


 駄目だ、と思った。


「今は差別なんだよ」


 僕が言うと、彼はまたへらへらと笑って、「面倒だね」と呟いた。


「だから、あんたが送って」


 これ以上、彼に近づく勇気が、僕にはなかった。


 彼は、くすくすと笑って、「それなら、」と言った。


「親御さんを呼びなさい。怪しいお兄さんに送ってもらおうとするんじゃない」


「ふざけないで」


 自分が思っていたより、声が荒らがなかったことに、安堵した。


「じゃあ、俺はもう少しここに居たいから、先に降りてて」


「駄目だ」


 否定が、口をついて出た。


「あんた、そんなことしたら、降りてこないだろ」


「さあ」


 彼が笑った。


「降りはしないけど、落ちるかも」


「…あんた…」


 反応に、困った。


 怒鳴る気にはなれなかった。だって、彼ははじめからそのためにここに来ていて、それを、勝手に足止めしたのは僕だから。


だから、代わりに、「今日はやめて」と告げた。


「…何で?」


 心底、理解できなそうな声。


「今日の鍵当番、僕だから」


 そう言って、手元の鍵を揺らす。薄いプレートが付いただけのそれが、小さく金属音を鳴らした。


 彼は、一瞬だけ目を見開いて、それから、くすくすと笑った。


 いつもの、茶化すような、ごまかすようなそれじゃなく、多分、僕の行動が可笑しくて。


「じゃあ、仕方ないか」


 そう言って、彼が、柵に手を掛けた。胸元ほどの高さのそれを、慣れているのか、彼は簡単に超える。


 彼は、僕の隣を通り過ぎて、扉へと向かった。多分、彼の意識の中に、もう僕はいなかった。


 僕は、彼がビルの中へと戻るのを確認してから、一度、振り返った。


 薄く雲がかかった夜空に星は無くて、夜の冷たい風が、静かに屋上に吹いていた。


 この風が強くなくてよかったと、安堵する。扉を抜けて、鍵を閉めた。


 明日の鍵当番も僕だ。


 それに安心するのは、多分、僕のエゴだった。

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高いところが好きな馬鹿なお兄さんたちの話 成瀬利人 @rihito_naruse

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