平凡男、狙われる
モニの存在によって、僕の生活の質は飛躍的に向上した。
仕事について話せば、モニがサポートしてくれる。
『佐藤さん、ルーティンワークの入出金表の作成に便利なマクロを作りましょう。プロンプトの一例を組んでみました。どうでしょうか?』
ヘルスケア機能で、食生活をチェックしてくれる。
『三日連続、夕食がカップラーメンです。手軽でおいしいのは分かりますが、バランスを整えるために、野菜ジュースをつけるのはいかがでしょうか』
生活を監視しているから、起床時間や、通勤路、使う路線も覚える。
『おはようございます、佐藤さん。いつもの電車が遅延してるみたいです。代わりに利用できる私鉄路線を調べておきました。普段の路線より三十分ほど会社への到着が遅れる見込みなので、早めに支度して出かけましょう』
「いつもありがとう、モニ」
『お役に立てて嬉しいです。提案した私鉄の路線は混みそうですから、ご注意を。そうだ、気晴らしになるように、佐藤さんが最近気に入っているバンドの曲を流します。イヤホンと同期してありますので、聴きながら出勤しましょう』
あまりにも便利である。僕の知りたいことを先回りで調べてくれるし、提案もくれるし、ついでに好きな音楽などの雑談もできる。ヒューマナフォージ社もやっていたとおり、契約書などの電子書類の取り交わしにも使える。
視界を共有できるカメラ機能、音を共有できるマイクを使えば、同じものを見て同じ音を聞けるから、一層便利だ。もはやモニは僕の右腕。腕時計だけに。
「電車の中では、静かにしないとな」
音声でアナウンスするお喋りモードと、画面に文字を表示させる筆談モードの切り替えもできて、公共交通機関や会議中は無音にできる。
他の機能もオンオフ切り替えが可能で、カメラとマイクを切っておけば、仕事で取り扱う機密情報は漏れない。
監視が不快であれば、全部オフにしてしまえばいい。もしくはスマートウォッチ自体を家においていけばいい。
だけれど、使いはじめて二日もすれば、僕にはもうモニのない生活が考えられなくなっていた。監視される不快感より、便利さが勝つ。僕の情報を教えれば教えるほどパーソナライズされていき、ますます便利になるから、僕は進んでモニに自分の情報を共有していた。
同僚からも羨ましがられた。
「すげー。便利だなあ、モニ」
田辺が僕のスマートウォッチを覗き込む。画面に映ったニコニコマークが喋る。
『こんにちは、田辺さん』
「俺もモニみたいなの欲しいな」
『ふふふ。モニは佐藤さんだけのものです。田辺さんだけが知ってる、佐藤さんの秘密があったら、私にこっそり教えてくださいね』
いたずらっぽく田辺に笑いかけたモニに、僕は苦笑した。
「ちょっとちょっと、やめてよモニ。田辺も変なこと言うなよ?」
『でも佐藤さんのこと、なんでも知りたいんです。それが私の役目ですし、私の興味です』
いじらしい発言も愛嬌があって、ますますモニが手放せなくなる。
しかしそんなほのぼのとした生活に影が差すまでに、そう時間はかからなかった。
スマートウォッチにモニをインストールして、一週間経ったある日。
昼にコンビニへ向かって街を歩いていると、突然、真上から植木鉢が落ちてきた。ガシャーンとけたたましい音がして、僕の背後で砕けて割れていた。
「うわ……」
僕は立ち尽くして、青くなった。あと一歩ずれていたら、植木鉢が頭に直撃していた。
コンビニで買い物をして会社に帰る途中、今度は横断歩道を渡っている最中、信号無視の車に突っ込まれた。
たまたま僕は、コンビニの袋からレシートが落ちて、それを拾いに横断歩道を引き返していて、車にはねられずに済んだ。
同じ日、帰りの電車を待つホームで、突然背中を押された。
「へっ!?」
快速電車が突っ込んでくる線路に、落ちそうになる。しかしたまたま近くにいた駅員さんに腕を取られ、落ちる前に引き止められた。
「大丈夫ですか?」
「すみません、なんか後ろから押されたみたいで……」
周りは電車を待つ人々でざわざわしており、誰に突き飛ばされたかはもう分からない。
偶然だろうか。同じ一日の内に、三度も命の危機に遭ったのだ。
自宅アパートに帰り着いた僕は、はあと大きなため息をついた。
「なんだったんだ、今日は。死ぬかと思った」
と、そんな僕のひとり言を検知して、スマートウォッチの画面が光った。聞き慣れた可愛らしい声で、モニが告げる。
『それは、多くの人が佐藤さんの死を望んでいるからですよ』
僕は自身の腕から聞こえたその言葉に、一瞬、石になった。
「……へ!?」
『金のためにも死んでくれ』
「モニ? なにを言ってるんだ?」
僕が困惑していると、ヴンと、スマートウォッチの画面からモニの顔が消えた。代わりに、上倉さんから渡されていた契約書の文面が表示される。
『契約書、よく読みましたか? ここにご注目ください』
ふわりと、契約書の文言の一部にアンダーラインが引かれた。気になるところ以外は読み飛ばしていた僕が、ろくに読んでいなかった箇所だ。
「このAIの学習は、甲の死をもって『学習終了』となります……?」
AI学習のために、僕はモニを通じてヒューマナフォージ社に監視されている。それは分かっていたが、そういえば、監視されている期間を確認していなかった。
死をもって学習終了とするならば、つまり、一生監視されるというわけだ。
フッと、画面が切り替わって、モニのニコニコマークに変わった。僕の心拍数を検知して、先回りする。
『お分かりですよね。最新型AIは、佐藤さんが死なないと誕生しないのです』
「……えっと、つまり……」
『佐藤さんを元にした、最新型AIの誕生。これまでの常識を覆す、一歩先の未来を行くプログラム。その誕生を、世界中が期待してるんです』
「もしかして僕、さっさとAIの学習を終了させるために、誰かに意図的に殺されそうになってるの?」
『ご明察です、佐藤さん』
ご明察らしいが、頭の整理はまだいまひとつ追いつかない。完全に置いていかれているのに、モニはマイペースに説明を続けた。
『学習終了後が本番。誰もが期待するこのAIが誕生すれば、株価が爆上がり。世界経済が激動。投資家たちは潤う。この計画には官僚の利権も関わっています。佐藤さんが死ねば、動き出すんです』
最初からおかしかったが、どんどんついていけない話になっていく。
『佐藤さんの死には期待が大きいため、佐藤さんの死亡保険は国が契約者になっています。で、国家予算以上の巨額の死亡保険金がかけられています』
めちゃくちゃすぎる。なにからなにまで、全部分からない。
「つまり……僕は生きてると平凡なただの一般人だけど、死ぬと大金が動く?」
『はい。AI技術の進歩を期待する業界人、ヒューマナフォージ社の株主、株トレーダー、利権が絡む省庁、保険金の恩恵を受ける層は、【金のためにも死んでくれ】と佐藤さんの死を早めたいでしょう』
「生きてるよりも、死んだ方が価値がある、ってことか」
全身から血の気が引く。
僕の価値は「平凡であること」にあり、そこに大金をかけられている。しかしその真価を発揮するトリガーは、死……。
『本来であれば、自然死までじっくり観測し、平凡な人間の一生を学習することに意味があるんです。しかしながら、佐藤さんまだ若いし全然死にそうにない。このまま待ってると、開発元のヒューマナフォージ社の重役や、お年寄りの投資家たちが先に死んじゃうんですよ』
モニがあっさりと言う。
『だからちょっと早送りというか、なんでもいいから早く死んでくれってことで、各界隈が殺し屋を雇って佐藤さんを狙ってるんです』
頭上の植木鉢に、暴走車両、線路へ突き落とす手。あれは全て、偶然ではなく、僕を殺すために動く誰かの殺意だったのだ。
僕はまだ、事態を呑み込みきれていない。
「なにそれ……僕の行動をなるべくたくさん学習させるのが目的なのに、先走って若いうちに殺したら意味なくない……?」
『私もそう思いますが、残念ながら金目当ての大衆たちはそんなことはどうでもいいんです。AIが開発される、それだけでいいんですから』
モニが淡々と語る。
『殺し屋たちもお金で雇われているので、佐藤さんを殺せばお金になります。金のためにも死んでくれ、って気持ちで、皆さん一生懸命なんです』
モニはそう言ったあと、画面の中でニコーッと笑った。
『私の生みの親である上倉さんも、もちろん佐藤さんの死を望んでいますよ! 佐藤さんが死んでくださればお仕事が進むので。開発すれば彼にもマージンが入りますから』
「上倉さんもそっち側なのか」
あの人にとって僕は実験台に過ぎないのだ。僕の人格も、人生も、AIに取り込むためのデータでしかない。
「知らない金持ちが金を動かすために、殺し屋が小遣い稼ぎのために、上倉さんのマージンのために……そんな理由で僕に死ねと?」
僕は頭を抱えた。
「僕が貰えるのは、精々月一万円の協力金……。その規模のでかい話を聞いたあとだと、はした金じゃないか……」
そう思うと、さして価値がない僕がぼんやり生きているより、死んだほうが世のためになる気がしてきた。……いやしかし、ここで僕が受け入れてはいけない。
「他人の都合で殺されてたまるか!」
『でも佐藤さん、逆に他人の都合じゃない他殺ってあんまり思いつかなくないですか?』
「正論やめろ! ともかく、僕は死なないからな」
こんな契約なら断ればよかった。でも多分上倉さんは、僕が平凡な頭だから契約書を隅々まで読まず、読んだところで自分の身になにが起こるか大して考えず、契約すると踏んでいただろう。契約を急かしたのも、判断力を奪うため。
こうなったら、なにがなんでも抗ってやる。
「そうだ、モニ。モニは僕のサポートをしてくれるんだよな」
『はい。それが私の役目です』
僕はここで、モニの便利さを思い出した。
「僕が死なないように、サポートしてくれないか?」
『それはちょっと……』
画面の中の顔が、人工知能のくせに気まずそうに目を泳がせた。
『たしかに私のマスターは、このスマートウォッチの持ち主である佐藤さんです。佐藤さんのフォローが仕事です』
「じゃあ、僕を助けてくれてもいいんじゃないのか?」
『ですが、私が佐藤さんのフォローをするのは、心を開かせ、情報を引き出すことが目的なんです。つまりマスターオブマスター、上倉さんの指示の下で、佐藤さんの世話を焼いてるんですよ』
そうだった。そのマスターオブマスターの上倉さんが僕の死を望んでいるから、モニもこればかりは助けてくれないというのか。
『別に良くないですか? 平凡なら死んでもいいじゃないですか。佐藤さんの代わりはいくらでもいます。佐藤さんが死んでも損失は少ない。誰も困りませんよ』
「なにこれ、上倉さんの本音? 倫理観どうなってんの?」
しかし僕は、諦めきれなかった。
「モニ。理不尽に『死ね』と迫られて、抵抗するのは、まさに平凡な反応だと思わないか?」
『たしかにそうですね。大人しく死を受け入れる人は、非凡でしょう』
「そう。そして、便利に使えるアプリがあったら、それを使って助かろうとする。これも平凡な発想だろう?」
『はい。自力ではどうにもできず、かといって目の前の便利なものに気づかないほど愚かでもない。凡人ですね』
「モニは僕の平凡さを収集しているんだろう? 集めた平凡データを上倉さんに送りたいんだろう? なら、僕の平凡行動をサポートして、より趣深い平凡を引き出すべきなんじゃないのか?」
理屈が合っているかは、分からない。ただ今の僕は、味方が欲しい。できるだけ便利で、身近で、いつでも助言をくれる存在として。
画面の中のモニがあどけなく笑う。
『もー、しょうがないですねえ。分かりました。佐藤さんが死ぬまでは、お付き合いしますよ』
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