異世界ランドへようこそ
来栖とむ
第1話 勇者エリアの裏側で
パソコンの画面でハローワークの求人票を何度も見直す。
「奥多摩異世界ランド・アトラクションスタッフ募集。未経験歓迎。時給1200円。交通費支給」
俺、佐伯雄一、二十六歳。職歴、都内一流企業勤務三年五ヶ月。退職理由、上司とのトラブル。その後、コンビニバイト半年。退職理由、店長と喧嘩。現在、無職三ヶ月目。
貯金残高は十万円を切った。来月分の家賃がやばい。
異世界ランド。都内から車で一時間半、奥多摩の山奥に今年開業したレジャー施設らしい。中世ヨーロッパ風の街並みを再現した、なろう系ラノベみたいなテーマパークだとか。
正直、興味はない。でも背に腹は代えられない。
応募ボタンを押した。
面接は驚くほどあっさりしていた。
「体力ありますか?」
「はい」
「演技、できますか?」
「まあ、大学で演劇サークルにいたんで」
「ではお願いします。明日から来てください」
え、もう? 履歴書の中身も大して見てないぞ。
というわけで、俺の人生三つ目の勤務先は、異世界テーマパークに決まった。
翌朝、奥多摩駅からシャトルバスに揺られて三十分。
山道の奥に、突如として現れた巨大な城壁。
「マジであるんだ……」
広い駐車場の先、石造りのゲートをくぐると、そこは完全に異世界だった。石畳の道、木造の家屋、遠くには尖塔のある城。BGMは中世風のリュート音楽。空気感から何から、全部作り込まれている。
セットとわかっていても、思わず「おお」と声が出た。
「佐伯さーん! こっちですー!」
声をかけてきたのは、スタッフ用のベストを着た二十代くらいの女性。名札には「研修担当・吉田」とある。
「初日ですよね? じゃあまず着替えとロッカーの説明から。あ、その前に誓約書にサインお願いしますね」
「誓約書?」
「はい」
吉田さんはニコニコしながら分厚い書類を差し出した。
「営業中は絶対にキャラを崩さない。私語は厳禁、個人のスマホの持ち込み禁止、SNS投稿も禁止。それと……」
彼女は一つ一つ指を折りながら続ける。
「お客様の前では『異世界人』として振る舞うこと。現代の話題は一切口にしないこと。スタッフ同士でも営業中は役名で呼び合うこと。これ、めちゃくちゃ大事なんで」
「……結構厳しいんですね」
「まあ、世界観を大切にしてるので。でも慣れますよ」
吉田さんの笑顔は柔らかいが、目は本気だった。
なんか思ってたより本格的だな、おい。
ロッカールームで支給された衣装に着替える。
茶色の革鎧風ベスト、ズボン、ブーツ。腰にはプラスチック製の剣。鏡を見ると、確かにそれっぽい。大学のサークルで着た衣装よりずっとクオリティが高い。
「よし、じゃあ最初の配置は『始まりの街』ね。モブ冒険者Aとして、街をうろついてお客さんに話しかけたり、写真撮影に応じたり、道案内したりしてください」
「モブ冒険者A……」
「セリフはこれ。まあ、アドリブでもいいけど、基本はこの三パターンを繰り返す感じで」
渡された台本には、
「ようこそ、旅の方!」
「この先にギルドがございます」
「魔物退治なら、西の森へどうぞ!」
うん、完全にゲームのNPCだ。
「あ、それと」
吉田さんが真顔になる。
「お客さんの中には、すっごく絡んでくる人もいます。でも絶対にキャラ崩さないでくださいね。『バイトっすか?』とか聞かれても、『冒険者でございます』って答えてください」
「……了解です」
こうして、俺の異世界NPC生活が始まった。
午前十時、開園。
ゲートから続々と入ってくる客たち。家族連れ、カップル、コスプレした若者グループ。みんな目を輝かせている。
「うわー! すごい! 本当に異世界みたい!」
「ねえ、あそこに冒険者いる! 写真撮ろう!」
俺に気づいた女子高生グループが駆け寄ってくる。
「あの、一緒に写真いいですかー?」
「おお、もちろんだとも、旅の方々!」
ぎこちなく笑顔を作る。シャッター音。彼女たちは「ありがとうございましたー!」と去っていく。
よし、第一関門クリア。
「ようこそ、旅の方!」
「この先にギルドがございます!」
「魔物退治なら、西の森へどうぞ!」
同じセリフを繰り返すこと、たぶん百回以上。喉が渇く。足が痛い。笑顔の筋肉がつりそうだ。
そんな中、やたらテンションの高いスタッフたちが目についた。
「ようこそ、勇者様ー! ギルドはこちらでございますー!」
派手なジェスチャーで案内する冒険者風の男性スタッフ。
「このダンジョンを抜ければ、宝箱がありますぞー! さあ、ご武運を!」
完全に役者のノリだ。しかも、すれ違いざまに小声で「新人さん、頑張って」と声をかけてくる。
休憩中も役を崩さない人までいる。プロ意識高すぎだろ。
昼休憩。スタッフ用の休憩室で支給された弁当を食べる。
「ねえねえ、君、新人さん?」
隣に座ってきたのは、さっきの派手な男性スタッフだった。三十代くらいか。
「俺、モブ冒険者の田中。よろしくな!」
「あ、佐伯です。冒険者Aやってます……」
「じゃあ、俺は冒険者Cってところだな」
田中さんは気さくに笑う。
「で、どう? 初日。疲れたでしょ?」
「まあ、正直……」
「最初はみんなそう。でもさ、慣れるとめっちゃ楽しいよ。ほら、お客さんの笑顔見るとさ、やりがい感じない?」
田中さんは本気で楽しそうに語る。
いや、わかるけど、でもそこまで入れ込むもんかな……。バイトだぞ、これ。
「あ、そうだ。佐伯くん、今日、ギルドの受付嬢見た? サーミャさん」
「いや、まだ……」
「マジで美人だから。あれ見たら、このバイト辞められなくなるよ」
そう言って田中さんはニヤリと笑った。
美人がいるから辞められないって、どんな理由だよ。
午後も同じことの繰り返し。
ただ、だんだん要領がつかめてきた。お客さんの反応を見て、ちょっとアドリブを入れる。子どもには優しく、大人にはちょっと芝居がかった口調で。
「おや、若き勇者よ。この先には強敵が待っておるぞ。準備はよいか?」
「うん! いくー!」
五歳くらいの男の子が木の剣を振り回して走っていく。母親が「ありがとうございます」と笑顔で会釈。
ああ、これか。田中さんが言ってた「やりがい」って。
悪くない。
そう思いかけたとき、視界の端に何かが映った。
エルフだ。
金色の長い髪、尖った耳、弓を背負った女性。遠くから子どもたちに手を振っている。
衣装のクオリティが、異常に高い。耳の作りも、髪の質感も、まるで本物みたいだ。いや、ウィッグだよな? 特殊メイクか?
彼女は優雅に歩いて、森のエリアへ消えていった。
閉園時間、午後六時。
客が去り、スタッフたちが後片付けを始める。俺も疲労困憊でロッカールームに向かおうとした。
スタッフ用通路には、同じように着替えに向かう人族役のスタッフたちがいた。冒険者役、村人役、騎士役。みんな普通に「お疲れ様でしたー」と声をかけ合いながら、ロッカールームへ向かっている。
「あー、今日も疲れたー」
「明日、雨らしいよ」
「マジ? 客少ないといいけど」
うんうん、普通の会話。普通の光景。そうだよな、閉園後は素に戻るよな。
俺もロッカーに向かおうとして、ふと気づいた。
エルフやドワーフの格好をしたスタッフたちが、別の方向に歩いていく。
「お疲れ様です、冒険者殿」
声をかけてきたのは、さっき見たエルフ風の女性スタッフ。長い金髪に、尖った耳。弓を背負っている。
近くで見ると、その美しさに息を呑む。整った顔立ち、透き通るような肌。そして何より、その耳——。
「あ、お疲れ様です……」
彼女はにっこり笑う。
「初めての方ですよね? 初日、いかがでしたか?」
「まあ、なんとか……」
「それは良かった。慣れない仕事は大変でしょう。では、また明日」
そう言って、彼女はそのまま——エルフの格好のまま、俺たちとは違う通路の方へ歩いていった。
「え……着替えないの?」
他にも、ドワーフ役の男性スタッフ、オーク役らしき大柄なスタッフ、そして明らかに人間の体格じゃないオーガ役。みんな、人族役とは違う通路へ消えていく。
しかも、全員が衣装を着たまま。メイクも落とさないまま。
「あの、吉田さん」
ちょうど通りかかった研修担当の吉田さんに声をかける。
「あの人たち、着替えないんですか?」
「ああ、魔物役とか亜人役の人たちね」
吉田さんはあっさり言った。
「あの人たち、専用のロッカールームがあるんですよ。メイクとか特殊だから、設備が違うんです」
「はあ……」
「衣装も持ち帰りOKにしてるんで、そのまま帰る人もいるみたい。まあ、プロ意識高いっていうか、役作り熱心なんですよね」
そう言って、吉田さんも自分の着替えに向かった。
俺は少しだけ、あの別通路が気になった。
専用ロッカールーム? メイクが特殊?
まあ、確かにオーガとかオークとか、あのクオリティなら専用の設備が必要かもしれない。
でも……あのエルフのお姉さん、あのまま帰るのか? 電車とか乗るのかな。いや、車か。でも奥多摩の山奥から、エルフの格好で運転して帰るって……。
「おーい、佐伯くん。ぼーっとしてないで早く着替えなよー」
田中さんに声をかけられて、我に返る。
「あ、はい!」
俺はロッカールームに入り、ようやく革鎧を脱いだ。私服に着替えて、鏡を見る。
ああ、やっと俺に戻れた。
シャトルバスの時間まであと十分。急いで外に出る。
駐車場では、私服に着替えた人族役のスタッフたちが、普通に車に乗り込んでいる。田中さんも手を振って帰っていった。
でも、エルフやドワーフの姿は、どこにもない。
あの人たち、どこから出てくるんだ?
ふと、施設の裏手に目をやる。森に続く小道があって、その先に小さな建物が見える。
あれが、専用ロッカールーム?
いや、待てよ。
建物じゃない。あれ、扉だ。
森の中に、ぽつんと立っている石造りの扉。
建物に付属しているわけでもなく、ただ扉だけが立っている。
何だ、あれ……?
「佐伯さーん、バス出ますよー!」
吉田さんの声に、慌ててシャトルバスに駆け込む。
窓から、もう一度あの扉を見る。
夕暮れに染まる森の中、石造りの扉だけが不自然に佇んでいる。
まあ、演出用のセットか何かだろう。異世界テーマパークなんだから、そういう小道具もあるか。
シャトルバスが動き出す。
初日。とりあえず、生き延びた。
ちょっと気になることはあるけど、まあ、悪くない職場だ。
明日もまた、モブ冒険者Aとして、あの場所に立つ。
給料が出るなら、なんでもいいや。
そう思いながら、俺はバスに揺られて帰路についた。
あの扉のことは、すぐに忘れた。
まさか、あれが本物の異世界への入口だなんて、この時の俺は知る由もなかった。
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