08

「ええっ!?」

「どうした」

「石から、声が……」

「声?」

 リリヤ以外の者たちは怪訝な顔を見せた。


『人間には私の声は聞こえないわ』

 また耳元で声が聞こえた。

「え? でも私には……」

『あなたは特別。そうだわ、魔力を貸してくれる?』

 石が強く光ると宙に浮き上がった。

 やがて光が弱まると、全長三十センチくらいだろうか。

 中から全身が緑色の、羽を生やした小さな女の子が現れた。


『これなら声も聞こえるでしょう?』

 緑の少女は一同を見渡した。

「これは!?」

「何者だ!」

『私は風の精よ』

 少女はそう名乗った。


「風の精?」

『人間には私たちの姿や声は認識できないけれど。この子の魔力を借りたの』

 風の精はリリヤの肩に降りた。

『あなた、珍しい子ね』


「珍しい?」

「人間は成長するにつれて魔力が濁っていくの。でもあなたの魔力は純粋で綺麗だわ。だから精霊の声が聞こえるのよ」

 リリヤを見ると、風の精はそう答えて笑った。


「魔力が濁る? 聞いたことがないが……」

 教授が口を開いた。

『魔力の源は自然の力。それが人間の体内で混ざり合い濁っていくの。でもこの子は赤子みたいにまだぜんぜん混ざっていないのね』


「――それは、リリヤが長く魔力のない世界にいたからか?」

 ラウリが言った。

「だから魔力が混ざらず、濁っていないということか?」


『まあ、あなた別の世界から来たの』

 風の精はリリヤの顔を覗き込んだ。

「あ、ええと。幼い時に、呪いで別の世界に飛ばされて……」

『呪い! 嫌いだわ。人間の魔力が濁る原因の一つよ』

 顔をしかめると、風の精はラウリへ振り向いた。

『あの赤髪の子も呪いのせいで魂まで真っ黒だわ』


「魂が黒い……?」

『ええ。このままだとあの子、近いうちに死ぬわよ』

「死ぬ!?」

 リリヤは思わず叫んだ。

 他の者たちも息を飲む。


『呪いは魂の光を喰らう闇。光を失った魂は闇に飲まれて消えてしまうの』

(魂が消えるって……死んじゃう!?)

「そんな! どうにかならないの!?か」

『そうね、水の精ならば浄化できるかもしれないわ』

 風の精はリリヤにそう答えた。


「水の……あっ、だから泉の精霊がああ言ったの?」

『泉の精霊?』

 リリヤは夢で見た、泉の精霊と名乗る声との会話を説明した。


『泉の精霊がそう言うならできるでしょうね。それにしても石を盗むなんて、本当に人間は酷いわ』

「……その石というのは、一体何なのだ」

 教授が尋ねた。

『精霊の殻よ』

「殻?」


『私たちは力が弱くなって長い眠りにつく時に、殻の中に入って眠るの。そうして殻の中で魔力を蓄えてまた目覚めるのよ。泉の精は、石を奪われた時に意識を泉に残すことができたのね』

「意識を泉に……」

『水の精は自分の棲家に力を流すことができるから』

 だから泉の水でラウリの目を治すことができたし、リリヤの夢に精霊が現れることができたのか。


「――精霊という存在がいるのは分かっていたが、生態までは知らなかったな」

 教授はため息をついた。

『精霊が人間と交わることは滅多にないわ。人間の魔力は好きではないもの』

 ぷいと顔をそむけて、けれど風の精はすぐリリヤに笑顔を向けた。

『でもあなたの魔力は好きよ』

「……ありがとう」


『それじゃあ、私はせっかく目覚めたから森へ帰るわ』

「森?」

『風の精は森に住んでいるの。遊びに来てね、あなたなら歓迎よ』

 小さな手がリリヤの指をぎゅっと握った。


「お待ち下さい!」

 風の精が飛び上がるとヘンリクが声を上げた。

「殿下が近い内にというのは……いつのことでしょう」

『そうね』

 風の精はちらとラウリを見た。

『次の夏が来るまでかしら』


「次の夏!?」

「一年もないと……!」

『真っ黒だもの。でも、この子が側にいればそれ以上持つわ』

 風の精はリリヤの頭上をくるりと回った。

『呪いを消すのは無理だけれど、魂を守ることはできるから』

 そう言い残して、風の精は緑色の光に包まれるとその姿を消した。



「――いや、まさか……精霊をこの目で見るとは」

 教授は息を吐いた。

「もう少し詳しく話を聞きたかったが……」

「ですが、かなりの収穫がありました」

 魔術師が口を開いた。

「あの石が精霊の殻だったこと、人間の魔力が体内で変化するということもこれからの研究課題になりますね」

「ああ」

「それと、王太子殿下の呪いについても……」

 皆の視線がラウリに集まった。


「――リリヤ」

 顔色を変えることなく、ラウリは座っているソファの隣を叩いた。

「私の隣へ」

「? ……はい」

 リリヤは立ち上がると、ラウリのソファへと移動した。

 座ったリリヤの腰へラウリの腕が伸びる。


「わあっ」

「動くな」

 ラウリは思わず逃げようとしたリリヤを抱きしめた。


「――夜会でダンスをした時に思ったが。こうしていると身体が軽く感じるな」

「え……?」

「呪いをかけられて以来、ずっと重いものがのしかかっているようだったが」


「――殿下。それは初耳ですが」

 ヘンリクが眉をひそめた。


「言うほどのことでもないと思ったからな」

「ご自身の状態は些細なことでも説明してくださいと、申し上げましたよね?」

 ヘンリクの言葉に、ラウリは面倒そうにため息をついた。


(……弱音は吐けないよね)

 身体の重さがどれくらいのものなのか、リリヤには分からないけれど。

 完璧王子と呼ばれるラウリだ、身体の不調など口にできないだろう。


(魂は黒く染まっても……心は強いんだ)

 それが王になる者なのだろう。

(すごいけど……辛くないのかな)

 どんな状況でも弱みを見せられない立場というものは。


「……大丈夫なんですか」

 リリヤはラウリを見上げた。

「こうしていれば問題ない」

 ラウリはリリヤを抱く腕に力を込めた。


「では、今すぐお二人には結婚していただきましょう」

 ラウリとリリヤを見下ろしながらヘンリクは言った。

「結婚!?」

「無理を言うな。まだ婚約すらしていない」

 呆れた顔でラウリは答えた。


「殿下のお命がかかっているんですよ! 順番などどうでもいいです」

「心配性だな。来年の夏まで猶予はあるだろう」

「夏まで『しか』です!」

(ヘンリクさんが怒ってるの、初めて見るかも)

 声を荒げるヘンリクに、リリヤは意外に思った。

(でも……魂が消えるなんて言われたら焦るか)


 泉の精霊の石を見つけて、精霊の力を戻し浄化してもらわなければならない。

(夏まで一年もない……んだよね……)

 急に不安を覚える。


「心配するな」

 顔に出ていたのか、リリヤの頭を撫でるとラウリは魔術師を見た。


「石の調査はどうなっている」

「はい、何せ二十年前のことですので……。当時の同行者には退職や異動した者も多く、調査が難航しております」

「教会の方は」

「同行者リストはこちらにあるので、近いうちに聞き取り調査を行うよう日程を調整中ですが。やはり引退や死去している者もいて、全員は難しいかと」

「そうか」


「ですが、精霊の石がどのような形状をしているのか分かりましたので。調べやすくはなったかと」

 魔術師は教授を見た。

「そうだな。その石が泉の精霊のものかどうかは、リリヤ嬢が判断できそうだな」


「……頑張ります」

 リリヤはこくりと頷いた。


  *****


「お茶を入れ直しましょう」

 教授たちが帰ると、ヘンリクはティーポットの乗ったワゴンを押して部屋を出ていった。


「――あの、殿下……」

 リリヤはおずおずと口を開いた。

「何だ」

「そろそろ離してもらっても?」

 ずっと腰に手を回され、密着したままだ。

 身体が楽になるからと言われて抵抗できなかったが、さすがに時間が経つと恥ずかしくなってくる。


「暑いか?」

「そうではないですが……」

「もう少しこのままでいてくれ」

 ラウリはリリヤの頭に自分の頭を乗せた。

「……今の気分なら、よく眠れそうだ」

 独り言のようにラウリは呟いた。


(……もしかして眠れていないのかな)

 呪いのせいで魂が黒く汚され、身体が重いと言っていた。

 離宮で見た黒い影に苦しめられるラウリの声は、ひどく辛そうだった。

 離宮でリリヤがこの世界に戻ってからよく眠れていないと言った時は怒っていたのに。

 自分も眠れていなかったなんて。


(ずっと……一人で耐えていたのかな)

 誰にも弱音を吐けず、苦しみを自身の中に閉ざして。

 それはどんなに辛くて孤独だろう。

 リリヤも胸が苦しくなってくると、やがて頭の上からかすかな寝息が聞こえてきた。


「失礼いたし……」

 ドアを開け入ってきたヘンリクは、リリヤに寄りかかり眠るラウリの姿に目を見開いた。


「――よくお休みになられているようですね」

「はい。……いつもちゃんと寝られていないみたいで」

「そうですか」

 小さく息を吐くと、ヘンリクはさっきまでリリヤが座っていたソファに腰を下ろした。


「殿下が仮眠を取られるのを見るのは初めてです」

「そうなんですか」

「決して弱い部分は見せない方ですので」

 ヘンリクはもう一度息を吐くと、リリヤを見た。


「リリヤ嬢には感謝しています」

「え?」

「貴女と会っている時の殿下は、とても表情豊かで楽しそうですから」


「……いつもは違うのですか」

「幼い頃は年相応でしたが。帝王学が始まってから笑顔を見せなくなりました」

 ラウリの寝顔を見ながら寂しそうにヘンリクはそう言うと、リリヤと視線を合わせた。


「リリヤ嬢。どうか殿下をお支えください。殿下にとって貴女の存在は救いなんです」

「……それは大袈裟では……」

「いえ、貴女しかいないのです」


 リリヤはラウリを見た。

(私だけ……)

 穏やかで綺麗な寝顔に、心の奥がじんわりと熱を帯びる。


「……分かりました」

 ヘンリクを見るとリリヤは頷いた。



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