10
「聞きましたわ、リリヤさん。王太子殿下ととても親しくなったんですってね」
リリヤが教室に入り、席に着くなりアマンダがやってきた。
「とても……という訳では」
「あら、だって殿下が使っていた杖を頂いたのでしょう?」
アマンダの言葉に教室がざわめいた。
「王太子殿下の杖って特別なのでしょう?」
「王族とそれに準じる人しか持てないって……」
「それをもらうってことは、もしかして……」
「――もらったわけではなく、お借りしたんです」
正確には押し付けられたのだが。
ラウリが突然訓練の見学に現れた翌日、またやってきたラウリはリリヤに一本の杖を手渡した。
細かな装飾が施された赤い杖だ。
「これは?」
「私が使う予定だった杖だ。必要がないから君にやる」
「……え?」
リリヤは思わずラウリを見た。
「いや、これは流石にもらえません!」
渡された杖をラウリに押し返す。
どう見てもとても高そうな杖だ。
それに一年生の間は個人で杖を持つことを禁じられている。
二年に上がってから、各自自分に合った杖を作るのだ。
(昨日は断りきれずに借りちゃったけど……さすがにこれはアウトだよね)
まだ新入生で魔力調節も下手なリリヤが持っていいものではない。
「私が許可するから構わない」
「ダメです。決まりは守らないと」
「君は意外と真面目だな」
フッとラウリは笑みを浮かべた。
「真面目とかそういう問題じゃありません」
「そうか。ルスコ教授」
ラウリは近くにいた教授を呼んだ。
「私の杖を彼女に与えても良いな」
「――そうですな」
顎ひげを撫でながら教授は思案した。
「本来ならばいけませんが、リリヤ・アウッティ嬢の魔力は規格外ですから。この学園に合う杖がないので殿下のものをお借りするのも手かと。ですが、来年は専用の杖をご用意した方がよろしいでしょう」
「では今年はこれを使うといい」
ラウリは再びリリヤに杖を差し出した。
「……お借りします」
折れる気のないラウリにため息をついて、リリヤは仕方なく杖を受け取ったのだ。
「借りるのも凄いことですわ」
アマンダは目を輝かせた。
「王太子殿下がご自身の杖を人にお貸しするなんて」
杖は魔術師にとってとても大切な道具だ。
本来ならば容易く貸せるものではない。
「それは、そうですけど。でも親しくなった訳では」
「あら、親しくなければ貸さないですわ」
「――本当にそういう訳では……」
リリヤは首をひねった。
ラウリの方から突然昼食に呼ばれたり訓練を見学に来て杖を無理やり渡したりと、一方的なのは親しいというのだろうか。
「まあ、いいですわ。ともかく殿下の杖をリリヤさんが借りたのは確かですわね」
アマンダは笑みを深めた。
*****
今日は午後の実技訓練はない。
マティアスは友人たちと一緒に、学園の近くにある騎士学校での訓練に参加するという。
リリヤは帰ろうかと思ったが、せっかくだから図書館へ行ってみようと思い立ち、昼食を取ると図書館へ向かう外廊下を歩いていた。
「あ」
ふと視線をやると、花々が植えられた小さな庭の一角に見覚えのあるものが見えた。
「え、これって……ハナミズキ?」
駆け寄り、見上げた木の枝には、周囲が薄紅色に染まった花が咲き乱れている。
それは向こうの世界にあるハナミズキととても良く似ているように思えた。
「この花に見えるのは花じゃないんだっけ。これもそうなのかな」
ハナミズキは養護施設の庭に咲いている。
花なのは中央の黄色い部分で、周囲の花のように見えるものは葉の一部だと施設の先生に教わった。
向こうでも今の時期に咲いているはずだ。
「先生……みんなも、元気かな」
この世界に来てからまだ数ヶ月しか経っていない。
けれどあまりにも環境が変わりすぎて、もっと昔のことのように思える。
「きっと……元気、だよね」
それぞれ問題を抱えていて癖のある子たちばかりだったし、喧嘩や辛いことも多かったけれど、楽しいこともたくさんあって。
離れた今となってはとても懐かしくていい思い出だ。
「私のこと……心配してくれてるかな。由香は……大丈夫かな」
学校の友人と一緒に帰る途中だった。
突然強い光が放たれ、目の前が真っ白になった。
身体がぐるぐると回るような奇妙な感覚を覚えて――しばらくして目を開くと見知らぬ人々に囲まれていたのだ。
突然目の前でリリヤが消えて、一緒にいた友人はどうしただろう。
おそらくリリヤのことを必死に探しただろう。
学校や警察、多くの人々に迷惑をかけているはずだ。
「……会いたいな」
向こうの世界のみんなに、自分は無事だと伝えたい。
じわりと目が熱くなるのを感じるとともに見上げていた花がぼやけた。
(――ダメだ、泣いちゃ)
泣いたって帰れないし会うことはできない。
自分ではどうしようもないことで泣いても何も変わらないのだから。
乱暴に手の甲で濡れた目元を擦り、図書館へ向かおうと振り返る。
さっきまでリリヤが歩いていた外廊下にラウルが立っていた。
気まずさを覚えながらもリリヤはラウリの方に歩いて行った。
軽く会釈をし、脇を通り抜けようとする。
その時、ふいに腕を掴まれた。
「泣いていたのか」
思わず自分を見上げたリリヤの下まつげが光っているのを見て、ラウリの目がわずかに見開かれた。
「……何でもありません」
リリヤはふいと顔をそむけた。
「誰かにいじめられたのか」
「そんなことはありません」
入園して早々に陰口は叩かれたが、それきりだ。
何かあれば言い返す自信はあるし、圧倒的な魔力量を持つリリヤをいじめられるような者はいないと、アマンダも言っていた。
「では何故」
「――向こうの世界にそっくりな花を見て思い出しただけです」
リリヤは食い下がるラウリをキッと見上げた。
「思い出す?」
「失礼します」
ラウリの手を振り解くと、リリヤは図書館に向かって歩き出した。
「――今のはデリカシーがありませんでしたね」
控えていたヘンリクが口を開いた。
「女性の涙を見て見ぬふりをするのも礼儀です」
「もしもいじめを受けていても、見て見ぬふりをしろと?」
「直接本人に問うのはいかがかということです。いじめがあるかは調べれば分かりますから」
実際、既に調査済みだ。
有力な妃候補であるリリヤの安全を守るためにも学園での行動は把握している。
入園早々に少しあったようだが、その後は問題になるようなことは起きていないと報告を受けている。
「――前にいた世界を恋しがって泣いたのか」
ラウリはリリヤが見上げていた木に視線を送った。
薄紅色の花を咲かせる木の名前は知らないが、そう珍しくはない木のはずだ。
「おそらくは」
「強いと思っていたが」
「強くても、寂しいのではないでしょうか」
意外そうな顔のラウリにヘンリクは言った。
「いくらこちらに本当の家族がいるとはいえ、向こうでの生活や人間関係を突然絶たれたのですから」
「……そうか」
しばらく考え、納得したようにラウリは頷いた。
「その寂しさを忘れるにはどうすればよい」
「さあ……人にもよるでしょうし、時間もかかると思います」
「そうか」
「ずいぶんとリリヤ嬢のことを気にかけていらっしゃいますね」
「――そうか?」
ヘンリクの言葉にラウリは目を瞬いた。
「……そうだな、そうかもしれない」
呪いにかかり別の世界へ飛ばされ、そして十五年後に強制的にこの世界へ戻された少女。
振り回されながらも己の意志を強く持つリリヤが、気にならないといえば嘘になる。
他人になど、興味がなかったが。何故あの少女のことは気にかかるのだろう。
(――だがまあ、こんな気持ちも悪くない)
自分の感情を意外に感じながらもラウリはそう思った。
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