06
馬車から降りると、リリヤは豪華な装飾に飾られた大きな扉を見上げた。
(改めて見るとすごいなあ)
王宮に来るのは二回目だ。
最初はこの世界に召喚された時で、あの時は何が何だか分からない状態だった。
(まだ三ヶ月ちょっとなんだよね)
家族の顔も知らない孤児として生きていた日本から、魔術という不思議な力で異世界に召喚されたのは。
そうして、この世界が自分が生まれた場所で、両親と双子の弟がいて。
自分は貴族の娘で、平均よりずっと多い魔力があって。
(それで……王太子の婚約者候補になって。これから王妃様に会うんだよね)
改めて自分の状況に戸惑いながら、リリヤは扉の中へ入っていった。
案内されたのは大きなガラス窓のあるティールームだった。
花が飾り付けられ、装飾が施されたテーブルと椅子が置かれた室内は女性らしく華やかだ。
椅子に座り所在なく待っていると、やがて扉が開く音が聞こえ、ふんわりとした香水の香りが鼻をくすぐった。
「お待たせしたわね」
柔らかい、けれど凛とした響きを持つ声が聞こえた。
(ええと、緊張してもいいから、慌てずに……)
母親に言われたことを思い出しながら、リリヤはゆっくり立ち上がるとドレスをつまみ、膝を折り頭を下げた。
「本日はお招きありがとうございます。妃殿下にはご機嫌うるわしく……」
「気楽にしてちょうだい。今日は非公式なのだから」
「……ありがとうございます」
リリヤは顔を上げた。
ゆるくまとめた鮮やかな赤い髪に、胸元を飾るネックレスの宝石と同じ青い瞳。
声から想像した通り、王妃はとても華やかで美しい人だった。
そして王妃の後ろに青年が立っていた。
王妃と同じ赤い髪で左目を隠した、王妃によく似た面立ちの青年。
(え? この人ってもしかして……)
「私の息子ラウリと、その側近ヘンリク・ヒルヴェラよ」
「初めてお目にかかります」
王妃の言葉に、控えるように後方に立っていた背が高い青年が胸に手を当てて頭を下げた。
「ヘンリクは真面目で口が固いの。貴女の事情も知っているから今日の給仕を手伝ってもらうわ」
「失礼いたします」
ヘンリクはティーポットやケトルの乗ったワゴンを運んでくるとお茶の準備を始めた。
「さ、リリヤさん座って。ラウリ、貴方はここに」
王妃に促され、王太子ラウリは一瞬リリヤへ鋭い視線を送ると、無言でリリヤの斜め前に腰を下ろした。
(え、いきなり本人と会うの⁉︎)
今日は王妃だけだと聞いていたのに。
「人数が増えてごめんなさいね。暇そうにしていたから誘ったの」
「暇ではありません」
冷たい声色でラウリは口を開いた。
「あら。剣の訓練も乗馬もしていない、学園も休んでいるし本も読んでいないでしょう」
「本は最近読むようになりましたし、他は片目に慣れるまでは休むよう医者から言われています」
「だから、本を読むことしかなくて暇なのでしょう?」
王妃の言葉にラウリは不快げに眉をひそめた。
(ああ、そうか……急に目が見えなくなったから)
それまでずっと両目で見ていたものが突然片目だけになったら、今までと勝手が違うだろう。
視野も狭くなるから剣や馬は危険だし、学園に通うのも面倒に思うかもしれない。
「確かに最近の殿下は部屋に籠ることが多いですから。たまにはこういう場所でお茶を飲むのも気晴らしになってよろしいのでは」
淹れたお茶をティーカップに注ぎながらヘンリクが言った。
「そうよ。リリヤさんはこちらの生活に慣れたかしら」
「えっ、あ、はい……おかげさまで」
突然話を振られ、動揺しながらリリヤは口を開いた。
「皆に良くして頂いていますので、だいぶ慣れてきました」
「そう、良かったわ。貴女がいた世界はこことはかなり違うのでしょう?」
「……はい」
「どう違うのかしら」
「そうですね……。向こうの世界には魔術はありませんが、『電気』という特別な力があります」
文化も文明も全く異なる、向こうの世界をどう説明したらいいのか。
何度か家族に説明したことを頭の中で整理しながらリリヤは話した。
「デンキ?」
「はい。その力を使い、遠くにいる相手と話をしたり、風景をそっくりそのまま写しとったりすることや、世界中の本の内容を保存してどこでも読めるようにするなど色々なことができます」
「まあ、そんなことができるの?」
「はい。その力があれば魔術を使わなくても、風を生み出したり、ものを冷やしたりすることも可能です」
「不思議な世界なのね」
王妃は微笑んだ。
(こっちの方がよほど不思議だけれど……)
リリヤからすれば魔術や呪いの方がよほど不可解なものだ。
同様に、こちらの人々からすれば向こうの世界にあるものは不可思議なのだろう。
今の説明で多少でも伝わっただろうか。
不安と緊張で息が詰まっていたリリヤは胸に手を当てるとほうと息を吐いた。
「あら、お茶を飲む前に喋らせてしまってごめんなさいね」
リリヤの様子を見て王妃は微笑んだ。
「このお茶は王宮の庭園にあるバラを使ったお茶なの。最初はそのままで飲んでみて」
「はい、ありがとうございます」
(……あれ、どうやって持つんだっけ)
ティーカップを取ろうとしてリリヤは固まった。
(あれ?)
確か上品に見せる持ち方があったはずなのに。
緊張してど忘れしてしまったのか。
(え、どうしよう)
何度も練習してきたのに。
これが家ならば母親に聞くことができるけれど、まさかこの場でそんなことをできるはずもない。
(ええと……ともかく落ち着いて……)
手が震えないように、慎重に手を伸ばすとティーカップを手にしてそっと口元へ運んだ。
ふんわりと華やかなバラの香りが鼻をくすぐる。
「美味しい……」
身体に染み渡る温かな紅茶に気がゆるんでしまったのか。
カップをソーサーに置こうとするとガチャン、と大きな音を立ててしまった。
(しまっ……)
「見苦しいな」
思わず声を上げようとしたのを耐えてぐっと息を飲むと、冷たい声が聞こえた。
「さっきから話し方も立ち振る舞いも、全くなっていない」
(え……なにこの人)
リリヤは思わず声の主であるラウリの顔を見た。
確かにリリヤのマナーはなっていない。
お嬢様言葉は恥ずかしくて口にできないし、お茶も優雅に飲めない。
けれどそれを、面と向かって言うのはどうなのだろう。
「ラウリ。失礼なことを言わないの」
王妃は息子を諌めた。
「すみません。あまりにも酷くてつい口に出ました」
決して悪いとは思っていない顔でラウリは答えた。
「三ヶ月も学んでいるはずなのにまだこの程度とは。教え方が悪いのか資質の問題なのか……」
「――お言葉ですが」
強い語気に、ラウリと王妃、そしてヘンリクはリリヤを見た。
「王太子殿下も人のこと、言えませんよね」
「何だと?」
「ご自身だって、私がこの世界に来るより先に呪われたんですよね。それなのにまだその身体に慣れていないんですか?」
リリヤの言葉に青い目が見開かれた。
「確かに剣や乗馬は片目じゃ難しいでしょうが、本を読んだりお茶したり嫌味を言えるんですから、学園に行くくらいはできますよね。それを行かないのは怠慢なのではないでしょうか」
ラウリを見据えてリリヤはそう言い放った。
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