君とバージンロードを歩くまで

黒詩ろくろ

第1話 瑠璃の少女と

「――どうしてわたしは、生きているの?」




 灰色の空が、やけに広かった。

 なぜ広いのかと考えてから、ビルというビルが存在しないからだと気がついた。

 同時に、一つ、疑問に思った。

 ビルが無いことを疑問に思うということは、自分はビルのある街に生きていたのだろうか。

 わからない。

 どうしても、わからない。


 どうやら自分には、らしい。


「みんな、居なくなった」


 嗚咽の狭間で、少女の肩が震える。

 ぽたぽたと滴り落ちる雫が、亀裂の入ったコンクリートを黒くする。

 特に言葉を発さない自分に、少女は濡れた瞳を向けた。

 熱を孕んだその瑠璃色の瞳は、この崩壊した都市の中で、浮いてしまうほどに色づいていた。


「ねぇ、教えてよ」


 少女の指先が、自分の腕を掴む。

 視線を下に向けて、気がついた。

 黒のプリーツスカート。白い大きなスカーフ。

 女子制服を模しているらしい、自分の服装。


 だから彼女は警戒しないのかもしれない。

 見知らぬ自分のことを、同年代の子どもだと思っているのかもしれない。

 ――自分の年齢も、そもそももわからない自分を。


「……自分は、何も知らない」

「だったら――」


 少女がふらりと、こちらに歩み寄る。するすると腕から降りた手が自分の指先を絡め取る。




「終わらせて」




 懇願する、瞳。彼女は自分の手を、ゆっくりと動かしていく。

 腰。胸。肩。そして――首。


「……っ」


 自分の手が、彼女の生へと絡みつく。生白い両手が自分の手へと重なり、きゅっと力を込められる。

 その時、自分の中で何かが働いた。

 それは衝動のようで、同時に義務のようでもあった。

 まるで頭の中に焼きつけられているかのような――。


「ふ……ッ」


 僅かに溢れた吐息は押し出されたかのようだった。ふらりと折れた膝に合わせて姿勢を下げると、そのまま押し倒していた。

 ふわりと広がる少女のミディアムヘアーが、砂埃と混ざり合う。その間にも、自分の手の力はゆっくりと強まっていく。

 少女は一瞬、重ねた指先を強張らせた。やがてゆっくりとその手は脱力していく。

 しかし、自分の手が離れることはない。


『殺せ』


 脳内で波紋のように広がるその言葉が、自分を支配しつつあるのが分かった。

 強まる。強まる。

 首の骨が歪に音を立てる。

 息の根を止める前に、彼女は骨折するかもしれない。

 それで良い。それも良い――どこか遠くの思考で、そんなことを考えていた自分の目に、それは不意に飛び込んできた。


「……ぁ」


 ――もう二度と目にはしないと思っていた花が、ふわりと咲いていた。


「……」


 段階的に強めつつあった力が、その瞬間のまま維持される。自分は、その花を凝視していた。

 少女の顔を埋め尽くす――白百合のようなを。


 PCの主電源を落としたかのように、全ての思考が途絶える。

 自分の手が脱力していくと、急激に酸素を取り戻した少女は激しく咳き込んだ。その咳を正面で受けながら、自分は一言「なに」と問うた。


「……え……?」

「これは、なに」

「…………な……にが?」


 しわがれた声で、少女が聞き返してくる。自分は首を傾げ、思案のために数秒を費やし、やがて首の角度を戻した。


「自分は、君を殺すことができない」


 少女は、呆けた顔をして自分を見た。やがて少女の手がもう一度自分の手に触れ、首へと導こうとしてくる。


「大丈夫だよ。このまま、力を強めるだけ」


 簡単だ。自分の腕力ならば、彼女の首を容易くへし折ることすらできるだろう。

 しかし、できない。

 そんな簡単なことが――できない。

 少女の首筋に手を添えたまま、自分はその顔へ視線を戻した。


「なぜできない? 君は知っている?」


「……」


 数秒の瞬きを、自分は静かに見続けた。その瞳がやがて、ふわりと曲線を描く。

 そして白百合が――弾けとぶ。


「ふふ……あははっ!」


 腹を抱え、背筋を逸らして。砂埃が更に髪へと纏わりつくのも厭わずに、少女は笑い続けた。少女に跨ったまま、自分はただ、その姿を見続けることしかできずにいた。

 ひとしきり笑った少女はやがて、目尻を拭いながら上体を起こす。高さの違う視線が絡み合うと、僅かな微笑みを携えたまま、少女は告げる。


「あなたは不思議な人。そんなもの、自分がわからないのならわかるわけがないわ」

「……そう」


 自分がわからないのならば、わからない。

 どうやらこの答えは、誰に尋ねようとも見つからないらしい。

 ならば――


「探してみる?」


 ――浮きかけた腰が、その場に留まる。

 再び少女へ視線を向けた自分を見て、彼女はまた白百合の笑顔を咲かせ。




「その、理由」




 白のワンピースがゆっくりと動けば、黒地のプリーツスカートが捲れ上がる。膝で動き彼女の上から降りると、少女は立ち上がり、全身から砂埃を払っていく。


「行きましょ」


 少女に伸ばされた手を数秒見つめる。最適解を判断しかねひとまず手を重ねると、ぎゅっと握りしめられた。

 そのままぐいぐいと引っ張っていくようにして、少女は歩いていく。




 これは――




 ――瑠璃の少女と自分の歩む、

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