第1話 多奈河市朗の日常《学校編》

「難しいな……」


 ちゃんと経験した事のないモノをどう書けばいいんだろう。

 授業の隙間たる休み時間に、ノートに書き連ねたモノの群れを眺めて、自分は――多奈河たなか市朗いちろうは一人小さく呟く。


 物語のあらすじやキャラクターの相関図の一部に、自分で描いた汚い、恋、という文字を視界に入れながら、唸ってみる。


「自分、分からないし、経験できなさそうだし、向いてなさそうだし……」


 自分――僕でも、俺でもない、多奈河市朗の基本一人称だ。

 これが一番しっくりくるので使用している。


 さておき、自分は捻くれている訳でもなければ斜に構えているわけでもない。

 誰かを好きになったことがない、というつもりはない。

 ずっと昔、幼稚園の時の先生が好きだった記憶はある。

 漫画とかゲームとかアニメのキャラクターにのめりこんだ記憶は、そこそこ新しい。


 だけど、それらは……今からキャラクターに抱かせようとしている感情とは違う。

 他の全てを犠牲にしても構わない、その人だけしか視界に入らない、最初で最後だと思えるような、それまでの自分を変えてしまうような、そんな恋とは違う気がするのだ。


 そして、今の自分が、これからの自分が、そういう感情を抱きそうな気が全くしない。


 繰り返すが、恋に対して決して捻くれているつもりはないし、者に構えているつもりもない。

 憧れがないわけではないし、他の誰かがそんな恋をしているのなら凄いと思うし、羨ましいし、成就させた場に居合わせたのなら心から祝福したい。

 だけど、自分がそんな感情を抱けるか、というと……どうにもしっくりはこない。まるでイメージできない。

 した事がないからそうなんだろう、と言われたら反論のしようはない。実際そのとおりだ。

 だからこそ、出来る気がしない、とも言えるのだが。


 ただ……この間の、二ヶ月前くらいの、雨の降っていた朝の出来事は、素敵だった。それこそ恋じゃないにせよ何かが始まりそうな、そんな出来事だった。


 でも、あくまで、あれは一瞬限定の、ちょっとした特別だ。


 日常には、そういう瞬間が確かにある。

 コンビニのくじで特賞が当たったり、ソーシャルゲームでお気に入りのキャラクターを一回で引き当てる事ができたり、つまりは、そういう出来事と同じ。

 素敵だけど、続きはしない、いつかはそんなこともあったっけ、で消えていく出来事の一つなのだろう。

 現に、自分はあの時遭遇した、ハンカチを拾った、アイデアを語った少女の顔を思い出せない。

 特別な恋をするのなら、そんな恋の始まりだというのなら、覚えているべき事柄のはずだ。


 つまるところ、自分は本質的に淡白なのだろう、そう思う。

 でもだからこそ、憧れてはいるのだ。

 劇的な出来事、夢のような物語、小説、ライトノベルや漫画、アニメ、映画やゲーム、そういった物語に。

 自分自身では出来ないような何かに憧れて……今もこうしてそんな物語のアイデアを練っている。


「多奈河、今日は何描いてんだよ」


 そうして考え込んでいる最中、アイデアの羅列のノートが持ち上げられる。

 持ち上げたのは、大柄な……と言っても、身長は自分とさして変わりないのだが横幅がある、ともかくクラスメートの一人だ。

 あかつき……下の名前は……四季しきだったはずだ。シンプルかつかっこいい、何かのキャラクターのような名前が羨ましくて記憶にある。

 自分の『たなかいちろう』という響きだけはどこにでもいそうな感じとはまるで違っている。

 いや、字に起こせば『多奈河市朗』と中々に存在しない名前は嫌いじゃないのだが、いかんせん響きが……ありきたりなのはちょっとどうかなーと思わないでもない。

 あと次男なのに『いちろう』なのも、いや、数字の一じゃないんだけど。


「今度はRPGっぽい話考えてるのか? ほれ、これ、皆どう思うよ」

「どれどれ? ありきたりだなぁ。俺強い系っぽい感じが」

「ヒロインの設定盛り過ぎじゃないか、これ」


 そうして自分が色々考えている間に、ノートはクラスメートの面々に回し読みされていく。

 日常と言っていい、割とよくある出来事なので、特に何か思う事はない。

 気が小さくて何かいうのが怖い、のは、少しあるだろう。

 でも、それ以上にどうこう言うのも面倒臭いという気持ちが勝っている。言い訳ではなくそう思う。

 こういう所が淡白だと自分自身で思うところなのだが。


「もういいだろ? ほれ、返すぜ」


 最終的に、こうして暁君を通してノートはちゃんと帰ってくる、というのもあるが。  


「設定だけ読んだ限りだと、俺的にくっそつまらないと思うんだけど、お前は面白いのか?」

「……」


 くっそ、のところを強調する言い方が受けたのか、クラスメート達が笑う。

 正直、少し傷つく。結構自分なりに設定を練ったつもりだったんだけど。


「何か言いたい事でもあるのか?」


 色々考えつつ暁君を見ていると、彼が見下ろしてくる。

 彼が何を思って、こんなことをしているのか、正直よく分からない。

 興味はないでもないが、わざわざ聞きたいとは思わない。


「実際に書いてみないと分からない、と返事しようと思っただけだよ」


 だから、言おうと思ったことだけ自分は呟いた。


「というか、完成しないと絵に描いた餅だし」

「完成しても文章なんだし絵に描いた餅みたいなもんじゃないのか?」

「む。面白い事を言うなぁ」

「お前より俺の方が文章書く才能があったりしてな」

「そうかもしれないよ。書いてみたら?」


 少なくとも、これまで十数回そういう選考会に送ってみても落選続きの自分よりは、という言葉は余計なので言わないでおく。

 なんかなんとなく負けた気分になるのが、少し悔しいし。


「いや、そういうのはめんどいし」

「実際書き上げるのは面倒だよ」

「じゃあ何で多奈河は書いてるんだよ」

「書きたいから書いてるだけだよ」


 実際それに尽きるのだ。

 自分だけで楽しむだけなら自分の脳内だけでも十分なのに、わざわざ書くのは……形にして残したいから。誰かに読んでほしいから。

 自己顕示欲、自己満足、多分そういうものに間違いないと思う。不特定多数の誰かに評価されたいと思っている。

 それでいて、一部の人間以外に見せるのは少し恥ずかしい、と思っている自分もいてなんだかなぁと思わないでもないが。

 ただ、そういうあれこれを織り交ぜても、自分は物語を書いている。

 つまるところというかやはりというか、書きたいから書いている、それだけなのだろう。

 もしかしたら、自分の気付いていない何かの理由があるのかもしれないが、今の所はそんな感じだ。


「……そういうもんだよな、やっぱり」

「またそれやってるの……?」


 そうして成り行きで話している中に入ってきたのは、このクラスの一学期の委員長を務めている北杜ほくと志都美しつみさんだった。


「いじめじゃないの? 本当に?」


 彼女は自分が暁君にいじめられてるんじゃないかと思って何度か様子を見に来ている。

 なんでも、同じクラスでいじめ問題等が起こって巻き込まれたらたまったもんじゃないから、という事らしい。

 実に納得出来る理由である。実際何も関わっていないのに巻き込まれてネットで炎上でもしようものなら大変な事である。

 受験を控えた高校三年生ともなれば尚の事だ。

 彼女とは、同じ進路……すぐ近くにある、それなりの国立大学という、ごく普通な選択……なのもあって、親近感がある。

 進学の為の補習授業で隣の席になり、内容含めたあれこれをちょくちょく話していることもあるだろう。


「違うよな?」

「違うんじゃない?」

「なんで当時者達が疑問系なのよ……」

「「いや、なんとなく」」

「……貴方達実は仲良いでしょ」

「「それはない」と思うけど」


 同意見な答を暁君と揃って返すと、彼女はあからさまに渋面を形作った。

 クラスというか、学校内でも指折りの美人さんなのが台無しである。

 彼女は割といつもそういう気難しげな表情をしているのだが。


「……からかってるの?」

「いや、そんなつもりは……」


 心苦しくて否定しようとした矢先、チャイムが鳴り響いて、先生が入ってきた。

 なので、どこか不満げな視線を自分達に送りながら、彼女は自分の席に帰っていった。


 なんとなく、暁君と視線が合うと、彼は肩を小さく竦めて見せた。

 大柄な彼のそんな所作が面白くて、これは何かキャラクターの個性付けに使えるかも、とも思いながら居住まいを正す自分であった。

  

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