【第4部:プロポーズと結婚】

美咲と付き合って半年が経った頃、世の中が大きく変わった。


コロナ禍だ。


2020年の春、緊急事態宣言が出た。会社はリモートワークに切り替わった。満員電車に揺られる必要もなくなって、俺は自宅で仕事をするようになった。


最初は戸惑ったけど、だんだん慣れてきた。通勤時間がなくなって、時間に余裕ができた。でも同時に、東京での生活に疑問も湧いてきた。


狭いワンルームで一人、パソコンに向かって仕事する毎日。外に出ても人が少なくて、街は静まり返ってる。友達とも会えない。飲みにも行けない。


こんな生活を続ける意味って何だろう。


そんな時、美咲からメッセージが来た。


「○○さん、大丈夫ですか?東京は大変みたいですね。K市はまだ感染者も少なくて、比較的落ち着いてます」


K市か。山に囲まれた静かな町。人も少なくて、自然も豊かで。


「リモートワークなら、どこでも仕事できますよね」


美咲のメッセージを読んで、俺は考えた。


そうだ、K市で暮らすのもありかもしれない。


いや、それどころか。俺、美咲と結婚したいんじゃないか。


30歳を過ぎて、やっとできた彼女。優しくて、俺のことを本当に大切にしてくれる。こんな人、もう二度と出会えないかもしれない。


俺は決意した。


---


指輪を買いに行ったのは、緊急事態宣言が解除された後だった。


銀座の宝石店で、店員さんに相談しながら指輪を選んだ。予算は30万円。貯金の半分近くを使った。でも後悔はなかった。


プロポーズの前に、まず美咲のご両親に挨拶しようと思った。結婚を前提にしたお付き合いだってことを、ちゃんと伝えたかった。


K市に向かう電車の中で、俺は何度も練習した。


「美咲さんと結婚を前提にお付き合いさせてください」


いや、もう付き合ってるから変か。


「美咲さんとの結婚をお許しください」


真面目すぎるかな。


結局、何を言うかは決まらないまま、K市に着いた。


美咲の実家に着くと、ご両親が笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃい。今日は大事なお話があるんですってね」


母親がニコニコしながら言った。美咲が事前に話してたのかもしれない。


リビングに通されて、父親と向かい合って座った。


「あの、俺、美咲さんと結婚したいと思ってます」


緊張で声が震えた。


「結婚を前提にお付き合いさせてください」


父親はしばらく黙って俺を見てた。その視線が重くて、俺は汗が出てきた。


でも、やがて父親は笑顔になった。


「息子のように思ってますから」


そう言って、俺の手を強く握った。


「ありがたいです。東京から来てくれて」


母親も涙ぐんでる。


「これからは家族ですから」


その言葉が嬉しかった。温かい家族に迎えられるんだって実感した。


「お仕事はどうされるんですか?」


父親が聞いてきた。


「リモートワークなので、K市でも大丈夫です。むしろK市で暮らしたいと思ってます」


「本当ですか?」


父親が驚いたような顔をした。


「はい。東京での生活に疲れてて、K市みたいな自然豊かな場所で暮らしたいって前から思ってました」


「それは嬉しいですね。でも、お仕事は本当に大丈夫ですか?」


「大丈夫です。ネット環境さえあれば仕事できますから」


父親は満足そうに頷いた。


「では、住む場所ですが、うちで持ってる物件があるんです。古い一軒家ですが、リフォームすれば十分住めます」


「え、でも、家賃とか...」


「家族なんだから、そんなこと気にしないでください」


父親はニコニコしながら言った。


「その代わり、美咲と幸せになってくださいね」


「もちろんです」


俺は深々と頭を下げた。


その後、美咲にプロポーズした。


K市の展望台で、夜景を見ながら指輪を渡した。


「結婚してください」


美咲は泣きながら「はい」って答えてくれた。


「一緒にK市で暮らしませんか?」


俺がそう言うと、美咲は驚いたような顔をした。


「でも、お仕事は...」


「リモートワークできるから大丈夫。むしろK市の方が集中できそう」


「本当にいいんですか?」


「もちろん。君の家族の近くにいたいし」


美咲はまた泣き出した。


「ありがとう。私、幸せです」


その時の美咲の涙は本物だったと思う。たぶん。


---


結婚式の準備が始まった。


「地元で挙げましょう」


美咲がそう提案した。


「K市の人たちにも紹介したいし」


「いいね。俺も美咲の地元で式を挙げたい」


会場の手配や準備は、美咲の家族が全部やってくれた。


「お金だけ出してくれれば、こっちで準備しますから」


母親がそう言った。


「どれくらいかかりますか?」


「そうですね、300万円くらいでしょうか」


300万円。俺の貯金のほとんどだった。でも一生に一度のことだし、美咲の家族が準備してくれるなら任せようと思った。


「分かりました。よろしくお願いします」


俺は300万円を振り込んだ。


それから数ヶ月、準備は順調に進んでるって聞いてた。でも具体的な内容は教えてもらえなかった。


「当日のお楽しみです」


美咲がそう言うので、俺も楽しみにしてた。


俺の家族にも連絡した。両親と兄貴。みんなK市に来てくれることになった。


「どんな子なの?」


母親が電話で聞いてきた。


「すごく優しくて、綺麗な人だよ」


「お母さん、楽しみだわ」


兄貴は少し心配そうだった。


「本当に大丈夫か?K市に移住して」


「大丈夫だよ。リモートワークだし、むしろ環境がいいと思う」


「まあ、お前が決めたことなら」


兄貴はそう言ったけど、どこか不安そうだった。


---


結婚式当日。


K市の式場は思ったより立派だった。地元では有名な場所らしい。


控室で準備してると、美咲の親戚が次々と挨拶に来た。すごい人数だった。50人以上はいたと思う。


「美咲ちゃんは家族の宝だから」

「大切にしてくださいね」

「これからは家族ですから」


みんな同じようなことを言う。でも全員ニコニコしてて、温かく迎えてくれてる感じがした。


俺の家族も到着した。


母親は美咲を見て「綺麗な人ね」って喜んでた。父親も「しっかりした子だな」って言ってた。


でも兄貴だけは、何か違和感があるような顔をしてた。


「どうした?」


俺が聞くと、兄貴は小声で言った。


「なんか、みんな同じような顔してない?」


「え?」


「美咲さんの親戚、みんな似たような雰囲気っていうか...」


確かに言われてみれば、一族はみんな似たような雰囲気だった。でも血縁だから当然だろう。


「気のせいだよ」


俺はそう答えた。


式は盛大だった。地元の人たちもたくさん来てくれて、祝福してくれた。


美咲は白無垢姿がすごく綺麗で、俺は本当に幸せだった。


披露宴も楽しかった。美咲の親戚たちが余興をしてくれたり、父親がスピーチをしてくれたり。


でも披露宴の途中で、変なことがあった。


美咲の叔父さんが、酔っ払って俺に話しかけてきた。


「前の旦那さんたちも、最初はあなたのように嬉しそうでしたよ」


「え?前の旦那さん?」


俺は聞き返した。


「あ、いえいえ。気にしないでください」


叔父さんはニコニコしながら言った。


「でも、前の旦那さんって...美咲は初婚じゃないんですか?」


「気にしないでください」


「いや、でも...」


「気にしないでください」


同じ答えしか返ってこない。でも笑顔は変わらない。


俺は美咲に聞いてみようと思ったけど、披露宴が忙しくてタイミングがなかった。


二次会が終わって、ホテルの部屋に戻った時、俺は美咲に聞いた。


「叔父さんが『前の旦那さん』って言ってたんだけど、どういうこと?」


美咲は困ったような顔をした。


「叔父さん、ちょっとボケてるんです。気にしないでください」


「でも...」


「気にしないでください」


美咲も同じ答えだった。


俺はモヤモヤしたけど、結婚式の日に詮索するのも嫌だなって思って、それ以上聞かなかった。


たぶん、本当に叔父さんの勘違いなんだろう。


そう思うことにした。


---


新婚旅行は行かなかった。コロナ禍でどこにも行けなかったし、早くK市での新生活を始めたかった。


東京のワンルームを引き払って、K市に移住した。


美咲の家族が用意してくれた古い一軒家。リフォームされてて、住みやすかった。家賃はいらないって言われて、俺は本当にラッキーだと思った。


一室を仕事部屋にして、リモートワークを始めた。


最初の1ヶ月は本当に幸せだった。美咲は朝食を作ってくれるし、掃除洗濯も完璧。俺は仕事に集中できた。


夜は一緒にテレビを見たり、散歩したり。理想的な新婚生活だった。


SNSにも投稿した。「#田舎暮らし」「#古民家生活」「#新婚生活」なんてハッシュタグをつけて。


フォロワーからは「羨ましい」「素敵」ってコメントがたくさんついた。


俺も本気でそう思ってた。


でも、だんだん変なことが起きてきた。


まず、美咲の実家への訪問頻度が異常だった。


「お母さんの顔を見に行きましょう」


美咲がそう言うのは、週に3、4回。


「ちょっと多くない?」


俺がそう言うと、美咲はニコニコしながら答えた。


「家族なんだから当然ですよね?」


「でも毎日は...」


「家族なんだから当然ですよね?」


同じ笑顔で、同じ質問。


「俺、仕事もあるし...」


「家族なんだから当然ですよね?」


結局、俺は毎日実家に行くことになった。


それが、すべての始まりだった。


今思えば、あの時に逃げるべきだった。


でも俺は、まだ何も分かってなかった。

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