【第2部:マッチングアプリでの出会い】

始まりはマッチングアプリだった。


あの日のことは今でもよく覚えてる。金曜の夜、残業を終えて帰宅した俺は、いつものようにコンビニ弁当を電子レンジで温めながら、スマホをぼんやり眺めてた。


30歳になって半年。同期はみんな結婚してて、俺だけが独身。実家からは母親が「いつ結婚するの?」って電話してくるし、親戚の集まりでも「まだなの?」って聞かれる。


でも出会いなんてない。都内の小さなWeb制作会社で働いてて、残業続きで、休日は疲れて寝てるだけ。合コンに誘われても行く気力もない。


そんな男がたどり着くのは、マッチングアプリだった。


別に期待してたわけじゃない。ただ、何もしないよりはマシかなって。そんな程度の気持ちでPairsに登録した。


プロフィールを適当に書いて、写真も友達と撮った数年前のやつを使った。年収は正直に書いた。趣味は「映画鑑賞」とか無難なことを書いた。


最初の数日は何も起こらなかった。こっちからいいねを送っても返事はない。まあ、そんなもんだよなって思ってた。


でもその日の夜、マッチングの通知が来た。


「美咲さんとマッチしました!」


俺は何気なく美咲のプロフィールを開いた。そして、息を飲んだ。


写真がすごく綺麗だった。清楚で上品で、なんていうか、透明感があるっていうのかな。黒髪のロングヘアで、控えめに微笑んでる。都会の喧騒とは無縁そうな、そんな雰囲気の女性だった。


「この人が俺なんかに?」


正直、そう思った。詐欺とか業者じゃないかって疑いもした。でもプロフィールを読むと、ちゃんと書いてある。


「26歳、G県K市出身。故郷で家族の介護をしながら、時々都内に出てきます。自然が好きで、のんびりした時間を大切にしています。都会の喧騒に疲れた方と、ゆったりとした時間を過ごせたら嬉しいです」


介護をしてる。家族思いなんだな。そして都会の喧騒に疲れた方、か。俺のことじゃないか。


マッチした直後、美咲からメッセージが来た。


「はじめまして!プロフィールを拝見させていただきました。お仕事、とても大変そうですね。毎日お疲れ様です。よろしければ、お話しませんか?」


なんて優しいメッセージなんだろう。俺の疲れを気遣ってくれてる。こんな女性、今まで会ったことがなかった。


俺は少し緊張しながら返事を書いた。


「はじめまして。メッセージありがとうございます。そうなんです、最近残業続きで疲れてます。美咲さんは介護をされてるんですね。大変じゃないですか?」


送信ボタンを押した瞬間、心臓がドキドキした。30歳にもなって、マッチングアプリでドキドキしてる自分が少し恥ずかしかった。


すぐに返事が来た。


「大変ですけど、家族のことなので当然だと思ってます。それより、○○さんの方が心配です。毎日遅くまでお仕事されて、ちゃんと休めてますか?」


また俺のことを心配してくれる。なんていい人なんだろう。


それから俺たちは毎晩メッセージのやり取りをするようになった。美咲は俺の愚痴をよく聞いてくれた。上司のこと、納期のこと、クライアントのこと。全部話した。


「大変ですね。○○さん、本当に頑張ってるんですね」


美咲はいつも優しく受け止めてくれた。


「もっとゆったりとした環境で働けたらいいのに」


そんなことを言ってくれる。


「K市はどんなところなんですか?」


俺が聞くと、美咲は故郷のことを話してくれた。


「山に囲まれた静かな町です。空気も綺麗で、星もたくさん見えます。都会みたいに人も多くないし、時間がゆっくり流れてる感じです」


その話を聞いてると、俺も行ってみたいと思った。毎日満員電車に揺られて、残業して、疲れて帰る生活から逃げ出したかった。


「いつか一緒に、のんびりした時間を過ごせたらいいですね」


美咲がそう言ってくれた時、俺は本気で嬉しかった。この人となら、新しい人生が始められるかもしれない。そんな希望を感じた。


2週間くらいやり取りして、美咲から提案があった。


「来週、東京に出る予定があるんです。よろしければ、お会いできませんか?」


俺は即答だった。


「ぜひ会いたいです」


その週末、俺は久しぶりにちゃんとした服を買った。美容院にも行った。デートなんて何年ぶりだろう。鏡の前で何度も髪型を直して、少しでもマシに見えるように努力した。


待ち合わせは新宿の喫茶店。土曜日の午後2時。


俺は30分前に着いて、近くのコンビニで息抜きのガムを買った。緊張で口の中が乾いてた。


そして、美咲が現れた。


写真で見るより、もっと美しかった。白いブラウスに紺色のスカート。シンプルだけど清潔感があって、上品だった。


「○○さん?」


美咲が微笑みながら声をかけてくれた。


「はい、美咲さん、ですよね?」


俺は緊張で声が震えた。


「はい。お会いできて嬉しいです」


美咲はニコニコしながら言った。その笑顔が、本当に優しくて、俺は一瞬で心を奪われた。


喫茶店に入って、俺たちは向かい合って座った。


「何を飲みますか?」


俺が聞くと、美咲は少し考えてから言った。


「カフェラテでお願いします」


「俺はホットコーヒーで」


注文を済ませて、会話が始まった。


「お仕事の話、もっと聞かせてください」


美咲は俺の目を見て、そう言った。俺の話を本当に興味深そうに聞いてくれるんだ。Web制作なんて、たいていの女性は退屈がるのに。


「すごいですね。私にはとても無理です」


そんなことを言って、尊敬の眼差しを向けてくれる。俺は調子に乗って、仕事の自慢話なんかもしてしまった。普段なら絶対しないのに。


それくらい、美咲といると心地よかった。


でも今思い返すと、あの時から違和感はあったんだよな。


ケーキを頼もうとした時のことだ。


「何にします?」


俺は美咲にメニューを見せながら聞いた。


「このモンブランにしようかな」


美咲が指差した。


「いいですね、俺はショートケーキで」


そう答えた瞬間、美咲の表情が変わった。いや、変わったというより、笑顔が深くなった気がした。


「このモンブランにしますよね?」


美咲がニコニコしながら言った。


「え?俺は、ショートケーキがいいかな」


「このモンブランにしますよね?」


同じ笑顔で、同じトーン。まるで俺の答えを聞いてないみたいに。


「あ、いや、でも俺はショートケーキが...」


「このモンブランにしますよね?」


また同じことを言う。笑顔は変わらない。でも何か、目の奥が冷たい気がした。怖いっていうより、不思議な感じ。


「...モンブランでいいです」


俺がそう言うと、美咲の笑顔がパッと明るくなった。


「ありがとうございます!一緒だと嬉しいです」


その瞬間、俺は「ああ、恋人同士だから同じものを食べたいのかな」って思った。可愛いなって。微笑ましいなって。


今思えば、それが最初の兆候だった。


でも恋してる男は盲目だ。その違和感なんて、すぐに忘れてしまった。


デートは楽しかった。喫茶店でたくさん話して、その後は近くの公園を散歩した。美咲は自然の話をたくさんしてくれた。K市の山のこと、川のこと、季節ごとの景色のこと。


「いつか○○さんにも見せたいです」


そう言ってくれた時、俺は本当に嬉しかった。


夕方になって、俺は美咲を駅まで見送った。


「今日は楽しかったです。また会えたらいいな」


美咲がそう言って手を振った。


その夜、家に帰ってから美咲にお礼のメッセージを送った。


「今日はありがとうございました。とても楽しい時間でした。美咲さんともっとお話ししたいです」


すぐに返事が来た。


「こちらこそありがとうございました。○○さんとお話しできて、本当に嬉しかったです。また会いましょうね。今度は、K市にも遊びに来てください。きっと気に入ってもらえると思います」


K市に来てくださいって。まだ付き合ってもいないのに。でも俺は嬉しかった。そこまで俺に興味を持ってくれてるんだって。


ベッドに入っても、美咲の笑顔が頭から離れなかった。優しくて、綺麗で、俺の話をちゃんと聞いてくれる女性。


こんな人と出会えたのは、奇跡かもしれない。


そう思いながら、俺は眠りについた。


まさか、それが罠の始まりだとは知らずに。

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