第16話 アテネ、レオナルドが島にやってきた。
――風の町で、あなたと――
ミコノス島に来てから、二週間が過ぎた。
日差しは相変わらず強くて、空は毎日どこまでも青い。
ダイアナの魔道具研究所では、島民のための修理や点検を手伝いながら、アテネは忙しいながらも充実した日々を送っていた。
そんなある日の昼下がり――研究所の扉が、カラン、と澄んだ音を立てて開いた。
「……こんにちは。誰かいませんか?……」
「えっ?」
その声に、アテネが作業用ゴーグルを外すと、見慣れた金色の髪と整った顔立ちがそこにあった。
「レオナルドさん……!」
「お、久しぶりだね、アテネ。随分と焼けたんじゃない?」
にこっと笑うレオナルド=フォン=クロイツベルグは、相変わらず涼しい顔をしていた。
彼は、ダイアナと旧知の間柄であり、ベル=グラン魔術学院の研究所では所長を務める大ベテランの魔道具研究者。そして、カテリー二の叔父でもある。
「こんにちは、レオナルド。よく来てくれたわね。そろそろお昼にしようと思ってたところよ。アテネ、冷たい紅茶出してくれる?」
「は、はいっ!」
驚きながらもアテネは嬉しくなって、急いでグラスを用意し始めた。
冷たい紅茶を三つ、トレイに載せて運んだ。
それからしばらく3人で話し込んだ後、ダイアナは話を切り上げた。
「よし、難しい話は後。せっかく来てくれたんだもの、お昼にしましょう」
「賛成だ。船旅のあとは、頭より先に胃が文句を言い出すからね」
レオナルドが肩をすくめると、ダイアナはくすっと笑った。
研究所の奥にある簡素な食卓には、焼きたての平たいパン、オリーブとチーズ、トマトと香草のサラダ、それから豆のスープが並べられている。島ではごく普通の昼食だが、潮風と日差しのせいか、どれもやけにおいしそうに見えた。
「わお……」
思わず声を漏らすレオナルドに、ダイアナが目を細める。
「ふふ。豪華じゃないけど、島の味よ。さ、座って」
三人で席につき、まずはスープを一口。
「……おいしい」
「でしょう? この豆、村の人が分けてくれたの」
「研究所が島に溶け込んでる証拠だね」
レオナルドは感心したように頷きながら、パンをちぎった。
「アテネ、島にはもう慣れたかい?」
「は、はい。修理のお手伝いも楽しくて……学院とは全然違いますね」
「現場はいいだろう?」
「はい! 使う人の顔が見えるのが、すごく……昔、働いていた頃を思い出しますね」
昔、働いていた頃のことを思い出し、少し恥ずかしくなり、アテネはサラダに視線を落とした。
それを見て、レオナルドは穏やかに微笑む。
「現場で働いていた経験があるから、魔道具を使う人の本質がわかるのかもしれないな。それは魔道具師に一番大切な感覚だ。図面の中だけで完結しない。誰のための道具かを、忘れないこと」
「うんうん」
ダイアナも頷きながら、オリーブを一粒つまむ。
「島の人たちはね、派手な新機能より、“ちゃんと動くこと”を求めてる。壊れにくくて、直しやすくて、長く使えるもの」
「……はい」
アテネは、手にしたパンをぎゅっと握った。
学院で習った理論。最新式の魔法陣。
それらとは違う、“生活の中の魔道具”という視点が、胸の奥にすっと落ちてくる。
「アテネは、いい目をしてるよ」
不意に、レオナルドが言った。
「学びたい、役に立ちたいって目だ。そういう人は、必ず伸びる」
「そ、そんな……」
顔が熱くなるのを感じながらも、アテネは小さく頭を下げた。
昼食は、終始穏やかで、どこか家族の食卓のような空気だった。
そして食後、ダイアナがカップを置いて立ち上がる。
「さて――じゃあ、仕事の話をしましょうか。奥で」
「了解だ」
レオナルドも立ち上がり、ふとアテネを振り返った。
「明日は少し時間が空くかもしれない。よかったら、島を案内しようか?」
「え……?」
その一言が、このあと始まる“アテネの出生の謎”につながるとは――
このときのアテネは、まだ知らなかった。
この後、レオナルドとダイアナは研究所の奥の小部屋で、魔道具の供給ルートや新型制御魔法陣の図面について、難しそうな話をしていた。
◇ ◇ ◇
翌日。快晴。
朝食を終えたあと、レオナルドがふいに声をかけてきた。
「アテネ。今日は君と一緒に、島をまわってみたいと思ってるんだ」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。もう研究所の仕事も一段落ついただろう?」
たしかに、魔道具の修理は一段落し、あとはダイアナが島の村長と話を進めるだけになっていた。
「じゃあ、今日は観光ガイド・レオナルドの出番ということで。さあ、行こうか」
◇ ◇ ◇
まず訪れたのは、ミコノスタウン。
白い壁の家々が迷路のように並び、花の咲いたバルコニーがあちこちにある。
「ここは迷いやすいから、手、離さないでね」
「なっ……そ、そんな子どもじゃありませんっ」
ぷいっと横を向くアテネだったが、しっかりレオナルドの上着の裾をつかんでいた。
次に訪れたのは、《リトル・ベニス》。
海に面したカフェで波を見ながらアイスを食べたり、おみやげ屋さんで小さなガラス細工を選んだり――
「観光って、なんだか不思議ですね。学院の授業や研究と全然違うのに、こんなに楽しくて」
「君は努力家だからね。たまには息抜きも必要だよ」
レオナルドの言葉に、アテネはちょっとだけ照れくさくなって、頷いた。
ミコノス風車では、回る羽根を見上げながら、昔の風力魔道具の話で盛り上がった。
「風車を使った魔力抽出装置って、今もあるんですか?」
「今は魔晶石や結界炉が主流だけど……自然の力を使う原理は、忘れちゃいけないな」
そして午後――パラダイスビーチに到着。
青い海、白い砂浜、カラフルなパラソル。
リゾート気分が一気に高まる場所だった。
「わぁ……これが、パラダイス……!」
「島民は普段あまり来ないけど、観光客には人気なんだ。さあ、座って」
二人は日陰のベンチに腰を下ろし、持参した水筒の水を飲んだ。
「ぷはぁ……この水、おいしい……」
アテネは、汗を拭きながらふと、ある疑問を口にした。
「ねえ、レオナルドさん。この島って、川とか湖とか、見かけませんよね?」
「ああ。ミコノスには自然の川はないんだ。水はね、雨季に降った雨を地下の貯水槽に溜めて、それを使ってる」
「えっ、それだけで島中の水を……!?」
「うん。だから、今みたいな乾季は、水不足になりやすい。特に観光シーズンになると消費が増えるから、島民にとってはけっこう深刻なんだ」
アテネは水筒を見つめた。
自分が何気なく飲んでいたこの一口が、どれだけ大切なものなのか――初めて実感した。
「……知らなかった。こんなに素敵な場所なのに、そんな悩みがあるなんて」
「だから、ダイアナの研究所では、節水魔道具の試作品を何度か作ったんだ。でも、コストの問題やメンテナンスで、まだまだ普及には至っていない」
アテネの目が、きゅっと鋭くなる。
「……やってみたい」
「ん?」
「わたし、島の役に立てるような魔道具、作ってみたいです!」
力強くそう言うアテネに、レオナルドは少しだけ驚いたように目を丸くし――すぐに、優しい笑みを浮かべた。
「うん。きっと、君ならできるよ」
◇ ◇ ◇
その日の夜。
別荘のテラスに出て、アテネは空を見上げていた。
星が近くにあるような夜空だった。風が海の匂いを運んできて、心がすっと落ち着いていく。
「水を節約する魔道具……ううん、むしろ、水を“増やす”方法はないかな……」
アテネの頭の中には、もういくつかのアイディアが浮かび始めていた。
例えば――空気中の湿気を集めて、水に変換する《凝水結晶》。
もしくは、消費した水の再利用率を上げる《循環水晶盤》。
「明日から、試作してみよう。ダイアナさんにも相談して……できたら、島の人たちに届けたい」
手帳を開いて、がりがりとアイデアを書き込む。
その横顔は、もはや「旅行気分」はなかった。
そこにあったのは――一人の魔道具師としての、強い覚悟だった。
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