第二十六話 赤ちゃんのお披露目

 ノックの音に立ち上がった一希かずきは、真優美まゆみに「そこにいてくれ」と言い残すと、裏口に向かう。取り残された真優美は、一希が残したギターのネックをそっと撫でた。

(ここからあのメロディが作られたんだ。本当にすごいな)


 しばらくして一希が戻ってきた。

「おふくろじゃなかった。バーテンダーの丹後たんごさん一家だ」

「わたし、帰った方がいいですか」

 あわてて立ち上がる真優美を一希は引き留める。

「いや、折角だから赤ちゃんに会ってけよ」

「赤ちゃん、ですか」

 真優美はカーテンの向こう側を見た。


 普段はホステスが座るキャバレーの座席に、赤子を抱いた若い女性と、中年の女性が腰掛けている。一希が瓶ジュースとグラスを運んできた。

「サービスのオレンジジュースです。どうぞ」

 差し出されたグラスを真優美は受け取る。

「ありがとうございます」

 一希が真優美にみんなを紹介した。

「カウンターにいるのが先輩でバーテンダーの丹後ろんさん。こちらがお母さんでこの店の最年長ホステスのアヤメさん。奥さんの和世かずよさんと、息子のけんくん」

横澤よこざわくんのクラスメイトのさか真優美です」

 真優美は一礼した。

「へえ。もしかしてキャバレーの見学に来たのかい」

 アヤメの問いに一希が反論した。

「坂は俺のギターを聞きに来ただけだよ。先輩たちこそどうして」

「今日は賢の新生児検診だったんです」

 眠っている賢を抱きながら和世が言う。アヤメが後を継いだ。

「折角だから一休みてがら、柳子りゅうこさんたちに孫のお披露目をしようってことになってね」

「だからおふくろが早く来るって言ったのか」

 うなずく一希の傍らで、真優美は眠る赤ちゃんの顔を見つめていた。脳裏には『疾風しっぷう勁草けいそう』の歌詞が流れている。

『ようこそ この世へ 生まれた君』

「初めまして、賢くん」

 真優美はそっと呼びかけた。


 一希に見送られ、真優美は『ニューホープ』を後にした。

(あの親子、仲良さそうだった。きっと賢くんもみんなに愛されてるんだろうな)

 真優美はこれから帰る我が家を思い浮かべた。

(お父さんもお母さんも、兄さんのことしか愛してない。そして兄さんはリカさんに夢中。このままではわたしは一人きり。もし横澤くんについていけたら、どんなにいいだろう)

 真優美はモヤモヤした気持ちを抱えながら家に帰った。


              ○


 その後は特にイベントもなく、真優美と一希は新学期を迎えた。

 約束通り9月7日の放課後、二人はラジカセを買いに秋葉原の電気店へ向かった。

「これがスタジオ1980。マイクで録音もできる最新ラジカセだ」

 一希が得意げに紹介する。

「後は録音に使うテープを買わないと。それで『あなたと、いきたい』のメロディを録音して君に渡すから、覚えてほしいんだ」

「どうしてですか」

 尋ねる真優美に一希は言った。

「俺と一緒に『あなたと、いきたい』を歌ってくれないか」

 思ってもみない申し出に真優美は動揺する。その時、テープ売り場から出てきた日陰ひかげ先生の姿が目に入った。

「あれ、先生も放送部用のテープを買いに来たのかな」

 日陰先生はそそくさと階段を降りていった。


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