第十二話 誉の恋人

「兄さんに、あんなきれいな恋人がいたなんて」

 ほまれに一緒にいた女性が恋人だと聞かされた真優美まゆみは、心の中がかき乱されていくのを感じていた。

「彼女は潮目しおめリカ。俺と同じ銀星ぎんせい大学の経済学部に通ってる。模擬テストの採点バイトを一緒にやってて知り合ったんだ」

「採点バイト?」

「ああ。今は別のバイトをやってるけどな。とても優秀で、大学にも奨学金を受けて入ったんだ」

 誉はリカの新しいバイト先が『キャバレー・ニューホープ』であることは触れたくないようだ。それよりも真優美は、リカの自分への眼差しが気になった。

「リカさん、さっき私を見つめていたんだけど」

「俺がよく話に出してるから、気になったんじゃないか。リカの家族はおばあさんだけで、きょうだいもいないんだ」

 真優美は誉が自分のことをリカに話していたことを知り、軽く唇をすぼめた。

「変なこと話してないよね」

「もちろん。機嫌が悪いときは顔の向きで分かるとか、ノゾミ・トクエのレコードを聴きたいって言うから、古いプレーヤーを譲ったとか」

「やっぱり変なこと話してる。もう貸さないから」

 真優美は誉の手から自分の傘を取り返そうとしたが、誉の手は傘の柄を放さない。兄には時々強情なところがあり、こうなったらてこでも動かないことを真優美は知っていた。

「大学が夏休みになったら、リカと一緒に教習所に通って免許を取るんだ。卒論も一緒にやるって決めてるし、就職が決まったら正式に親へ紹介したいと思ってる。だから、今は秘密にしてくれよ」

「分かった」

 真優美はそれだけ言うと、誉が持つ傘の柄を一緒に握った。


              ○


 真優美と誉が家に帰ると、すぐ夕食の時間となった。今日は父の豊雄とよおも定時で帰ってきたようで、食卓でビールを飲んでいる。

「真優美、三者面談は母さんに任せるから。どうせ話すことは決まってるだろ」

 赤みを帯びた顔で言う豊雄に、真優美は無言でうなずいた。

「誉、教習所の代金は払うが、必ず夏休み中に卒業するんだぞ。就職したら営業で車も使うからな」

「ああ」

 素っ気なく答える誉に、豊雄は厳しい顔で呼びかけた。

「お前はうちの銀行に入るんだから、留年は絶対許さんぞ」

「俺は親父のために就職するんじゃない。先に風呂入ってくる」

 誉はそう言うと、立ち上がって居間を出て行く。

「また誉は夕飯後回しなの? しょうがないわね」

 母の公美子くみこがぼやきながらアジの煮付けを皿に取り分けるが、真優美は母にどう答えてよいか分からなかった。


              ○


 夕飯を終え、自室に戻った真優美は、詩のノートを開いて考えにふけっていた。

(兄さんはリカさんと結婚するつもりだと言ってたけど、あの人を『お姉さん』と呼ぶ自信がないな)

 脳裏にあの日のキスをする二人が浮かぶのを、真優美は必死に打ち消した。

(違う違う。それよりも今は、横澤よこざわくんが気に入るような詩を考えないと)


 真優美はルーズリーフに書かれた「あなたと、いきたい」という文章の後ろに、「どこまでも続く この道を」と付け加えた。

(横澤くんの行く道は音楽の道。わたしもその道を応援したいけど、一緒に行ってもいいのかな)

 真優美はそのためにどうすべきか考えていた。

(いい詩を書くためにも、もっと横澤くんのことが知りたい。いつかリカさんに、お店での横澤くんのことも聞けたらいいな)

 自分が一希に惹かれていることに気づいた真優美は、初めての感情に戸惑いつつも、ルーズリーフにシャープペンシルを走らせていた。

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