成仏屋十兵衛 江戸怪異帖
SHIKOH
成仏屋十兵衛怪異帳 其の壱 時皿屋敷
江戸は深川のはずれ。除霊・口寄せ・祈祷・嫁姑の縁切りまで、なんでもござれと評判の男がいた。
名を成仏屋十兵衛。もっともその正体は、寺男崩れの口八丁手八丁。除霊より芝居が得意な、胡散臭い男である。
ある日の昼下がり、十兵衛の前にひとりの老家臣がやって来た。
「どうか、桜を――桜を、救ってやってくだされ」
聞けば、その桜という娘は、屋敷に仕えて三年になる下女。よく働き、誰からも好かれていたという。ところがある晩、屋敷の宝物である古伊万里の皿を一枚、手を滑らせて割ってしまった。
震える桜に、主人は優しく言ったそうだ。
――形あるものは、いつか壊れる。気にするな。
だが桜は首を振り、「申し訳ございません」と何度も頭を下げた。
そして、その夜。自ら井戸に身を投げてしまったのである。
以来、屋敷では夜になると、女の声が聞こえる。
「いちまい……にまい……さんまい……」
皿を数えるような声。十枚のうち、一枚足りぬと嘆く泣き声。
老家臣は涙ながらに言った。
「旦那様も奥方様も、桜を叱りはしなかった。それどころか、今も弔いを欠かしておらぬ。それでも桜の魂が迷うておる。どうか、成仏させてやってくだされ……」
十兵衛、懐の銭袋をちらりと見やり、うむ、と頷いた。
「この十兵衛、死んだも生きたも成仏させてみせやす。お任せくだせぇ」
その夜。月が滲む座敷に、十兵衛はひとり座した。蝋燭の灯がゆらゆら揺れ、静かな風が障子を鳴らす。
やがて、奥の廊下から――女の声。
「……いちまい……にまい……さんまい……」
現れたのは、白装束の女。髪は乱れ、濡れた裾から水が滴る。なるほど。その顔は、苦しげな表情であった。
「お、お嬢さんが……桜殿、で?」
「……はい……家宝の皿の十枚のうち、一枚が足りませぬ……わたくしが割ってしまったがために……」
十兵衛、背筋を伸ばすと、膝の上で手を合わせた。
「なるほど、それは大層悔やまれる。では、わたくしがお手伝いを」
女が再び皿を指でなぞるように、数えはじめる。
「いちまい……」
十兵衛、すかさず割って入る。
「――お嬢さん。今、何時で?」
桜の指が止まる。目をゆっくり上げて、かすかに答えた。
「……二、時……で、ございます……」
「さんまい、よんまい、ごまい……」
数える声が、だんだんと穏やかになる。
十まで数え終えたとき、桜は微笑んだ。
「……十枚、揃いました……。よかった……」
風がひと吹き、灯がふっと消えた。座敷には、静寂と、残り香のような桜の香りだけが残った。
翌朝、屋敷の者たちは涙ながらに十兵衛を拝んだ。
「ありがたや……桜が、無事成仏出来たようで……!」
十兵衛は涼しい顔で懐の銭を数え、にやりと笑った。
「幽霊ってぇのはね、納得いけば気が済むもんで。時には辻褄を合わせてやるのも大事ってわけでさぁ」
その帰り道。寺の鐘が二つ、三つと鳴った。十兵衛は煙管をくゆらせながら、つぶやいた。
「さて、次は何が出るかねぇ……」
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