驚愕の展開

 秋から冬へと移り変わる時期、風邪がはやる時期は間違いなく今が一番だろう。しかし、天使様という癒しの存在がいるからなのか生徒たちは今日も元気に登校してきていた。

「なぁ、今日昼めし奢ってくんね?」

「嫌だよ。朱莉に奢ってもらえばいいだろ。」

「彼女に奢ってもらう訳にはいかないだろ。彼女には奢る側でいかないといけないんだから。」

(別に絶対という訳ではないと思うが……。当人が奢りたい側ならそれで良いのだろう。)

 二人が食堂に向かっている最中、烏丸の背中に強烈に抱きつく少女が来る。月城朱莉。烏丸の彼女にしてハイテンションな彼女は光が少し苦手とする性格だった。

 それでも、烏丸の必死の薦めでようやく気軽に話せるようにはなっていたが。

「すまくん、そろそろ光のイケメン化計画を始めない?」

「おー、それもありかもなぁ。」

「……いや、本人にその話一切届いてないんだけど。」

 別に光は自分で自分を美形だとは思わないし、イケメンになりたいとも思わない。光の望みとしては普通の高校生活であり、そこに顔を磨く必要なんて存在しない。

 ともなるとその誘いは面倒くさいだけだし、わざわざ受け入れる必要もない。

「光、磨けば良くなりそうなのに……勿体ない。」

「な事言われてもな。俺はそこまでモテたいわけでもない。」

「そこまでってことは、少しはモテたいってことなんじゃ……?」

「変な揚げ足を取ろうとするな。一切モテたいとは思わないからな、お前らみたいなのはごめんだ。」

 烏丸と月城というカップルを間近で見ている光だが、同じようにいちゃつきたいとは思わない。

 というよりも、そんな存在もいないし作る気もない。光は静かに過ごせればいいのだ。だが光の心情を理解しているわけでもない二人は一生付き合うことに関して言ってくるのだろう。

「そういえば聞いたよ?天使様となんかあったらしいじゃん。」

 月城の口から出てきた言葉を聞いて、光は思わずしかめっ面をしてしまう。烏丸の彼女であるのだから、光に驚きの出来事があったのなら情報共有されてもおかしくはない。

 それに、学年でかなり話はされていたので彼女の耳にも入るのかもしれない。なんていったって、これまで話そうとしなかった塩対応と言われた少女が話していたのだから。

「その話なら、何も話すことはないぞ。本当に放課後に困ってるところを助けただけだし。」

「といってもな。自分から話しかけにいくタイプじゃないお前が助けたのが不思議なんだよ。確かにお前はお人好しな気もするが……。それでも、相手が相手だからな。」

「それに、天使様に聞いたところで答えてくれるとは思えないし。光に聞くのが一番気楽なんだよね。」

「気楽と言われてもなぁ。俺からすれば面倒な質問をされてるだけなんだが。」

「仕方ないでしょ?天使様に話しかけられるのなんて教師ですら難しいんだから。」

 天使様は本当に他人に興味がないのか、単に人が嫌いなのか心を開いた様子は見せない。それはたとえ担任の教師でも同じことで、ここまで彼女の声を聞くことはあまりできていない。

 といってもここ数日で天使様の声を多めに聞いているので無口の印象はないのだが、それを二人に言うことはない。

「じゃ、俺らは昼食買ってくるから朱莉は席取っててくれ。」

 いつものようにお弁当の月城は席探し、残りの二人は昼食を買いに行く。日替わり定食を買うと月城が座った席を探し、息をつきながら座る。当然のように烏丸と月城は隣同士だ。

「凄いよなぁ、毎日お弁当作るなんて俺には考えられないわ。」

「いってもお母さんの手伝いで料理してるだけだから。私はそんなに凄くはないよ。」

「それでも、毎日弁当作る気力までは湧いてこんわ。」

 一人暮らしという性質上、料理は多少嗜むものだが毎朝弁当箱に詰め込む作業は面倒なものだ。料理を盛りつけずにフライパンで調理したそのまま食べる光にとって、お弁当に詰め込むなんて不可能ともいえる。

 それに自身の料理が一日置いても美味しい自信がないためお弁当作りは基本的には作らないのである。

「つっても、この年齢で一人暮らしって珍しいけどな。それなのにあの部屋の汚さ……。」

「うるさい、蠅が湧いてないから大丈夫だ。」

「いや、大丈夫の基準低すぎだから。」

 三人が雑談しながら食事を楽しんでいると途端に食堂内が静かになった。だがこうなるのも初めての事ではない。

 いつもの事なのだ。天使様が来ると見惚れる生徒が増えるため自然と会話はなくなる。だが本日は少しざわざわといつもとは違った反応を見せる食堂に、光は疑問符を浮かべる。

 疑問符を浮かべる光に届く声が一つ、どこまでも澄んだ声で聞いたものを虜にするかのような声。

「お隣、座らせてもらってもよろしいですか?」

「……え?」

 普段一人席に座っている彼女がわざわざここに来る意味はあるのか、と思ってしまうが人が多くて席の確保が無理だったのだろう。

 といっても他にも空いている席はあるだろうに何故この席を選ぶのか。彼女が少しでも話すことが出来る光の元に来たのだろうが、それが烏丸や月城に伝わることはない。

「……天使様って弁当のイメージあったけど、学食なんだな。」

「別に、料理を毎日用意するのも面倒ですから。それと、その呼び方は好きではないのでやめてもらえると。」

(んな事言われてもなぁ……。これ以外の呼び方を知らないんだが。)

 普通であれば名前で呼ぶのが普通だが、それは馴れ馴れしいと思われるだろうし周りからも睨まれるかもしれない。天使様の事を呼ぶ機会はあまりないので気にしないで良いのかもしれないが。

「あなただって、一人暮らしなのに毎日お弁当なんて用意できないでしょう?」

「それは、そうだが。」

 というより、光と天使様では家庭力の差もある。天使様がどれだけ料理上手かは知らないが、光よりも上であると推測は出来る。だがそんな彼女でもお弁当を用意するのは面倒でやっていなかったらしい。

 たしかに、お弁当であればわざわざ食堂に来て視線を集めなくてもいいしその選択をしないのであればお弁当を作ってこなかったという事だ。

「光が一人暮らしって知ってるんだ……。意外だな。」

「確かに。この年で一人暮らしって珍しいしね。」

「……なんとなくそう思っただけだろ。俺は自分の話を好んで話さん。」

 光の主張に納得したのか、烏丸と月城は静かになった。天使様がいるこの場ではあまり騒げないらしい。天使様も特に会話する気がないのか、言葉を発さずに黙々と昼食を食べている。

 その姿さえも様になるのだからやはり彼女の美貌は素晴らしいものなのだろう。

(やっぱ、いつもより視線を感じるなぁ……。天使様になったらずっとこの視線が付きまとうのか。)

 天使様の苦労を知り、光は遠い目をするしかなかったが縁のない話なので考えても仕方ない。

 少し気まずいながらも昼食を終え、食堂を去ろうとしようと光が立ち上がった瞬間。天使様も同時に立ち上がり光の傍に立つ。

「……じゃ、俺は先に教室戻ってるわ。」

「本日は席をお貸しいただきありがとうございました。」

「あぁ、席の事は気にしないで大丈夫。光よ、少し聞きたいことがあるから教室で待っとけ。」

 烏丸の言葉にげんなりしながら光たちは食堂を去っていった。



 お互いに寄るところがないからなのだが、教室までずっと一緒に行動することになってしまっている。天使様は気にしていないのだろうが、目立ちたくない光にとっては視線の数々は鬱陶しいものだ。

「お前……良いのかよ、俺と一緒にいて。色んな事言われるぞ。」

「別に、他人になんと言われようがどうでもいいですし。こんな一部分を切り取って判断するような人と関わる気はありませんので。」

(まぁそりゃ、あの天使様だもんな。自分がどう思われるかなんて考えるわけないか。)

 光は気にしてやまないが、天使様にとってはどうだっていい状況だ。もとより人からの視線を気にしない天使様は自分がどう言われても気にしないのだろう。

 結果光と共に教室に戻ることになっているのは勘弁願いたいわけだが。

「てっきり、あなたも周りの視線を気にしないのかと。でなければあのような汚部屋になりそうもないですし。」

「汚部屋は余計だ。確かにそんなに気にする体質でもないが、ここまで目立つと気になるんだよ。」

「別に気にする必要もないのに。どうでもいい人たちがどうでもいい視線を向けてるだけじゃないですか。」

「……俺もお前ほど呑気に考えられたら良かったんだが。」

「別に、こんなことに割く脳のリソースが勿体ないだけですから。」

 本当にどうでもいいといった様子の天使様を見ると、なにかきっかけがあったのかと邪推してしまう。

 だが光が考えたところで分かるわけがないし無駄としか思えないので思考をするのはやめておく。

 何故か天使様は光の傍を歩くので視線を多く集めてしまっていたが、光の教室に先に着いたのでやっと別れられる。

「いや……お前このクラスじゃないだろ。」

 一緒に教室に入ってこようとする天使様にジト目を向けながら告げると、ハッとしたように肩を上げた。まさか本当に気づいていないとは思わなかったが、天使様が教室に入る意味もないしそういうこともあるのだろう。

「すみません、霧山さんの隣にいるのが当然と思ってしまい……。」

(いや、その思考回路は良く分からんが。いい感じの言い訳が思いつかなかったんだろうな。)

 彼女が自分の隣にいるのが当然と思う訳が分からず言い訳だと決めつけるが、光はどこかムズムズする。

 仮にも光も思春期真っただ中の男子高校生だ。美少女にそんな事言われたら嬉しいに決まっている。ただ自己肯定感の低さから、その言葉の真意を探ろうとするわけだが。

(この後は、烏丸たちから探られるのか。別に何もないが、面倒だな。)

 光が一人暮らしなことは、普通は知らない。同じクラスでないのなら猶更だ。烏丸や月城でさえ、光からその情報を引き出すのにかなりの年月を要したのだ。

 だというのにその情報をさも当然かのように得ているのは二人としても思う事があるのだろう。

 ただ天使様がお隣さんだなんて信じてもらえるか分からないし言ってしまうと注目を集めてしまう事だろう。

 なんとかして隠し通さなければ平穏な高校生活を送れる保証がないと思うと、天使様という存在の影響力に驚いてしまう。

 ぺこりとお辞儀をして去っていく天使様を見ながらそんなことを思っていると、昼食を食べ終わった二人が戻ってきた。どんなことを聞かれるか、少し面倒になりながら光は自席に戻っていく。



「……で、天使様はなんでお前が一人暮らしの事知ってんだよ。」

(やっぱり聞かれたか……。おかしな話ではあるけども。)

「私たちでも光の家に行く機会でないと知り得なかったのに。なんでそこまで仲良くもない天使様と?」

「……前に困ってるときに助けた時にバレた。」

「いや、どうやったら一人暮らしがバレるんだよ……。」

 適当に嘘を吐けば終わるかと思ったが、二人が納得した様子はなく深堀して聞いてこようとする。光が向こうの立場になれば当然のことだとは思うが、本人からすれば遠慮願いたいことである。

「別に、出会った場所がスーパーだったから俺の買うものに疑問を持っただけだろ。」

「あぁ、自炊用の買い出しを見て一人暮らしをしてるって察しを付けたってこと?」

「そゆこと。別に俺から明かしたわけじゃない。」

 適当に思い付きで嘘のエピソードを話すと、月城は納得した様子を見せたが烏丸はどこか考える素振りを見せた。

 月城は楽観的で烏丸も同じように見えるが、実はかなり真面目だという事も分かっていた。彼を黙らせるのはかなり至難の業だという事も分かっているため、光は悩んでいた。

(矛盾点を作ってしまうと、そこは指摘されるんだろうな。ちゃんと設定を作っておかないと。)

「俺個人としてはそこまで話す気もなかったが、向こうもそんなにだろ。」

「どうだろうな。少なくとも、俺は天使様から話しかけるようなところは見たことないぜ。」

「それは……席に困っていたからだろう。流石に輪になっているところに入るのなら一声かけないといけないからな。」

「でも、天使様が話しかけてくるなんてね。今年一番びっくりしたかも。」

 のほほんと語る月城を見て光は一息ついて、次の授業の準備をする。今後天使様関係で聞かれることが増えるかもしれないがそんなものは知らんぷりをするしかない。

 というか実際に天使様の事は知らないので何も言えることはない。

「じゃあすまくん、私はもう行くね。放課後にまた。」

「ん、放課後にな。俺は光から情報を落としとくから。」

「いや、落ちる情報がないんだけど……。」

 自分の家にまで付いてこられて天使様と遭遇しない限りは大丈夫である。ただ、お隣さんがバレた時が一番面倒くさそうだ。別にやましい事は何一つないのだが。

「ってかよ、そろそろ期末試験じゃないか。ノート映させてくれ。」

「……お前が聞いてないのが悪い。そろそろ自分の力だけで受けたらどうだ。」

「無理無理。お前と違って俺は勉強に対するモチベーションなんてないんだから。」

「いやそんなノータイムで言われても。ってか俺も別に勉強に対するモチベーションなんかねぇぞ。」

 定期試験は、成績上位三十名が発表される。光は毎度そこに入り込んでいるのでかなり勉強していると思われている。

 しかし、予習と復習を繰り返しているだけで対策などは特にしていない。対策をすれば順位も上げられるのかもしれない。

「というか、勉強のモチベとかだったら天使様の方が凄そうだろ。」

 定期試験の圧倒的上位。毎度のごとく一位を取っている天使様は恐ろしく勉強が得意だと言われている。ただ彼女に勉強のことについて聞いても答えてはくれないので想像するしかできないのだ。

 教室にいて授業間の空き時間はずっと勉強していると聞いたことはあるが、家でも勉強しているのかもしれない。

「俺からすれば、上位三十人に入ってる時点で凄いんだわ。」

「いや、お前だってちゃんとやれば取れるだろ。」

 烏丸は地頭が悪いわけではなく、寧ろ中学までは優等生だった。しかし月城と出会って恋愛に現を抜かしていると成績が下がってしまったとの事。

 光が聞く限りだと順位は半分よりも上で科目によってはかなりの上位に食い込んでいることもある。

「そうはいっても、やる気が出てこないと結果はついてこないわな。」

「そりゃそうだけどよ。勉強は早いうちからやっとかないと後々後悔するぞ。」

「そんな優等生のような事を言われても、俺には響かんぞ。」

 授業の準備をした烏丸は、教科書を枕にうつ伏せの態勢に入った。光はため息を吐いて教科書を開き、予習した内容を更に先に進める。

 予習と復習をするだけで成績がかなり良くなるのならやらない手はない。内容自体は難しくはないのでかなり簡単に済む。

 教室に教科の担当者が入ってきて授業が始まる。決して面白いものではないが、それでも無心で過ごすよりかはマシなものだ。

 授業のノートを取りつつ、次のテスト問題を少しだけ予想してみる。光は本格的な対策はしないが、どういった問題が出そうかは授業中に考えているので少しだけ対策は出来ているのかもしれない。

 きっと、天使様はもっと対策をしているのだろう。さもなければ学年一位など取れるわけもない。もし光と同じ感覚でテストを受けているのならよっぽど頭が良いのであろう。

 きっと、世の中に求められているような姿勢で取り組める少女なのだろう。コミュニケーション能力は少し欠如しているが。

「お前……よくそんな真面目に聞いてられるよな。数学なんて一番面白くない教科担任って言われてるのに。」

「確かに面白くはないが、無駄な時間を過ごすのは嫌なもんでな。」

「かぁ~、真面目な優等生だ事。」

 呑気に欠伸をしながら烏丸はペンを取る。彼も真面目にノートを取るのかと思うと落書きをしだすので救えない。

 ただクラスの大半は教科担任の話を聞いている素振りがなく、教科担任が気にしている素振りもない。他の生徒が何をしているのかは分からないが、彼彼女らはどうやって数学を勉強するつもりなのだろうか。

 予習している光は簡単に感じるが、数学を独学で学ぶのはかなりの難易度だ。それこそ復習をして定着させないと今後がきつくなってしまう事だろう。

(まぁ確かに文系理系とかはある訳だけども。)

 文系の人が数学を真面目に学ぶ意味はないのかもしれないが、高校一年生の段階でその思考をしているとは思えない。

 結局はやりたくないという気持ちが先行して話を聞くよりもサボることを優先してしまうのだろう。光も考えているわけではないし勉強であれば全体的にできるので気にするような点ではない。

 そのまま授業は進み、ようやく終わったかと思うとクラスは教科担任の愚痴で溢れる。授業が面白くない事には賛同する光だが、自分が教壇に立った時に面白い授業ができる自信がないので愚痴をこぼすことはない。

 自分が出来ないことを他人に求めすぎるのは良くない事だと理解しているし自身のポリシーに反しているからだ。

「まったく、数学って教科を選択制にしてほしいもんだな。」

「そんなことしたら八割くらいが授業を受けないだろうから強制してるんだろ。」

「もしそうなってもお前は受けそうで怖いわ。」

「ま、放課後でなければな。暇な時間が出来るのが嫌なだけで。」

 もし仮に自習の時間が設けられてその間に数学の授業があるとするのならば、光は間違いなく受けに行くことだろう。

 自習と言っても予習復習をするしかないし自宅でその時間は設けているので自身の知識を伸ばすことを優先する。だがこんな思考になるような生徒は少ないため、強制にしないと勉強してくれないのだろう。

「お前も月城も、別に勉強ができないわけじゃないのにな、勿体ない。」

「いやいやいや、俺も朱莉も全然だろ。比較対象がお前なのが悪いのかもしれないが。それに、朱莉は大の勉強嫌いだからな。何を言っても響かないんだろ。」

「そんなあいつでも、この高校に入れるんだからな。驚きだよ。」

「ふっ、愛の力ってやつだな。」

 烏丸と月城は中学が同じで、烏丸の目指していた高校に行くため月城も頑張って勉強をしたらしい。

 光たちが通っている高校はかなりの難関校なので、合格した月城はかなりの努力家なのかもしれない。

 そんな高校で毎回学年一位の天使様には驚愕である。だが烏丸たちにとっては、それは光にも言えることであった。

 しかし愛の力とほざく烏丸に光は細い目を向ける。確かに月城の原動力は烏丸だったのかもしれないが、光はその気持ちを理解できない。

 それに、正面から惚気られてしまうと反応に困る。このような反応を示すのは初めてではない。

(仲が良いのはいいことだが、行き過ぎると腹が立つんだよな。)

 内心でため息を吐きながら、光は次の授業の準備を進めるのだった……。

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