東の脅威

 一騎打ちのあと、わたしは軍隊長とアルベールにこれまでの事情を話したいと言われ、城にある一室で話していた。

 さらに、経緯を聞きつけたじいやが、もう本当に、とてつもなく怒り、「是が非でも参加させていただきます! 」と言ったので仕方なく同席させた。ペティーは今日も裏通りに行っている。──そういえば最近、行く頻度も時間も増えているな。

 既にドレスに着替えたので、身分の差は一目で分かるだろう。

「それで、名はアルベール。年は十三。……本当に、最初からこの服装だったら戦わなくてもよかったのかしら」

 渡されたアルベールの書類に目を通しながら、わたしはこの場を和ませようと、少し笑って見せた。

「全く、その通りですぞセレーナ様」

 だがしかし、この場にいる三人はニコリともしない。ひざまずくアルベールと軍隊長に至っては、先ほどから一言も発していない。怖い。なにこの雰囲気。怖い。

「ごめんなさい。じいやは少しうるさいの。気にしなくていいからね」

「いえしかし、この度の失態、どう責任を取ればいいのやら……。あろうことか姫様に剣を向けてしまうなんて、それを止められなかった私にも責任があります。本当に、申し訳ございません! かくなるうえは、私の首で責任を──!」

 軍隊長は床に頭をこすりつけた。

「もう、そんなことしなくていいの! わたしはちっとも怒ってないんだから。今回の件はお咎めなしにするわ」

「ちょっとセレーナ様! 」

 じいやが小声で抗議してきた。

「あら、ならじいやはこの二人を首にするの? こんな逸材を? 」

 わたしも小声で言い返す。

「いえ、しかし……危険すぎます! 」

「そう。残念ね。きっと二人はこのあと、西の大国ウェストニアに向かうわ。忠義、剣技、経験が揃った人材が睨み合いを続ける国に渡るなんて、なんてもったいないのかしら! 」

 じいやは少し、頭の中で損得勘定をしてた。

「……それはそうですね」

「ならいいじゃない。はい、決定! この先誰に何を言われようと、この件は不問とします。だからほら、顔を上げて? 」

「ありがたき幸せ! このご恩は一生忘れはしません! 」

 軍隊長はさらに頭を下げてしまった。

「ふふっ。軍隊長にはまだまだ働いてもらわなくちゃね。ほら、アルベールも顔を見せてちょうだい? 」

 まだ頭を上げないアルベールのことが、わたしは気にかかっていた。主君のことを大切にするというこの騎士に、わたしは少し酷なことをしてしまったかもしれない。

 しかし、アルベールは一向に返事をしない。大丈夫かな、とわたしがもう一度声を掛けようとしたとき、ズビッと鼻をすする音が聞こえた。

「もしかしてアルベール、泣いてる? 」

「……セッ、セレーナ様。僕は、僕は! なんてことをしてしまったのでしょうか! 」

 アルベールの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「イーヒストを追放され、路頭に迷っていた、僕に、手を、差し伸べてくれた、セレーナ様を、あろうことか僕は、無礼者だとっ……! 」

「だからそれはもう不問にしたって言っているじゃない! 」

 それに、とわたしはアルベールの頭に手を置いた。

「後悔しているなら、わたしの下で働いて汚名返上なさい」

 わたしはアルベールにニッコリと笑ってみせた。

「さっき誓ったばかりでしょ。今日からあなたは、わたしの大切な騎士よ! 」

「……セレーナ様! 」

 アルベールは袖で涙を拭い、しっかりとわたしの目を見て答えた。

「もちろん。もちろん、そのとおりです。取り乱してしまい、申し訳ございません。必ずやご期待に応えてみせます。セレーナ様」

 その目には自信が戻ってきていた。とりあえず一安心だ。

「……それで姫様、アルベールがここに来た事情なのですがね」

 気まずそうに軍隊長が切り出した。

「ああ、その話ね。アルベール、早速初仕事よ。何があったのか聞かせて」

「──はい」

 あれは半年ほど前のことでした、とアルベールは語りだした。

「僕は、イーヒスト国で兵士をしていました。王は部下に対して優しく接してくれて、僕はあの仕事に誇りを持っていたんです。あっ、もちろん、今はセレーナ様に忠誠を誓っていますよ! 」

 アルベールは慌てて付け加え、照れ隠しにコホンと咳払いをした。

「しかし、平和だった日常は一瞬で変わってしまいました。臨時で近衛兵をしていたある日、夕食を食べ終えた王が突然『フラナンズ王国を攻める』とおっしゃったのです」

 ……えっ、嘘。今なんて?


 イーヒストが、フラナンズを攻める?


 ショックで言葉が出てこない。あまりにも突然すぎる話だ。イーヒストが、なんで?

 今のフラナンズでは、戦争になってしまったら一日と保たないだろう。それに、もし本当にフラナンズを攻めるなら、西にあるウェニストリアが黙っていない。そうしたら、数百年続いた、フラナンズが建国されるきっかけの大戦争が再来してしまう。死傷者多数の泥沼化することは必至だ。イーヒスト側にもあまりメリットがないはずなのに、どうして?

「なぜこんな考えに至ったのか全く分からないのです。本当に突然、何の脈絡もなく王はフラナンズ侵攻を決めました。領土拡大を狙う皇太子までもが王に従い、逆らった者は……王直々に、手を下されました」

 苦い記憶を引っ張り出すように、アルベールは一言一言を途切れ途切れに話した。まだ十三歳なのに、どれだけ多くの死に触れてきたのだろう。肩は小刻みに震えていた。

「僕は……怖くなってしまいました。理解できない行動をする王のことが。今でも夢に出てくるんです。王の金髪が、返り血で真っ赤に染まる姿を……。本当は、僕が命をかけてでも、止めるべきだった……! 」

 アルベールはまた、大粒の涙をこぼした。

「僕には騎士と名乗る資格などありません。逃げると決心する前、王が倒れました。元々いつ退位してもおかしくないご高齢で、特にフラナンズ攻めを宣言されてからはみるみるうちに生気を無くされていて……。病に伏せる王の護衛中、僕は一瞬、『今なら殺せる』と、そう思ってしまったのです」

 アルベールの持つ、強い強い忠義。それはときに、呪いにも化ける。

「このフラナンズ攻めと王のご病気は、まだ国民も知らない極秘情報です。イーヒストから亡命し、フラナンズにこのことを伝えるべく国を脱出して逃げ回っていたところ、巡回中の軍隊長に拾われました」

 軍隊長も、隣で頷いている。きっともう、取り調べは終わっているのだろう。こうして連れてきたからには、身元や話の裏どりも済んでいるはずだ。

 それにしても、なんと壮絶な人生なのだろう。

「どんな形であれ、王を裏切ってしまった、支えられなかった後悔に苛まれ、直接お知らせするのが遅くなってしまいました。申し訳ございません」

 アルベールは、深く深く頭を下げた。

 こんなとき、王女としてなにを話せばいいのだろうか。

 恐怖に震えながら、それでも主君を守れなかったことを悔やむ家臣に、わたしはなにを。

「……ありがとう、アルベール。あなたは王に従うこともできた。殺されてでも逆らうこともできた。だけど、生きてこのことを伝えてくれた。あなたはやっぱり、立派な騎士なのね」

 俯いたアルベールの嗚咽だけが、部屋に響いていた。

「……さて、早速報告しなきゃね。じいや、父上と母上に大事な話があるとお伝えして」

「承知いたしました」

 一礼すると、じいやは部屋を出ていった。

「軍隊長、それとアルベール。二人も参加してちょうだい」

「かしこまりました」

 ついに戦争が始まってしまうのか。姫らしく頑張らなくちゃ。

 気合いを入れ、わたしは謁見室へと向かった。

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