月の美魔女

狼二世

月の美魔女


 女は、その物体を『揺り篭』だと思った。 


 全長は10メートルを超える金属の塊。物体の内部は殆ど生命維持装置と電子回路。

 おおよそ『揺り篭』のイメージとは異なる物体。

 だが、目の前で――巨大な物体の内部で、安らかに寝息を立てる少女を守り続けたのは、事実だった。


 生まれて間もない子供を守る器を『揺り篭』と言うのなら、彼女の目の前に存在する物体は、揺り篭と定義するのが適切だろう。


「まったく、久々に星が落ちて来たかと思えば、これだよ」


 女は嘆息し、小声で文句を言う。


「さて、アンタはどこから来たのかな」


 そうして、顔を上げて天井を見る。

 無機質な金属の天井。その先にあるのは空――ではなくて、星の海。そして、灰色の星。


 ――西暦と呼ばれた年号が廃れて幾星霜――

 

 廃墟だけが遺された月の上、汚染された雲に覆われた地球を見下ろす丘の上。

 地球人が見捨てた月の上に突き刺さった、鋼の異物の中で『魔女』は、これからについて考えるのだった。


「ともかく、この子の食べるものが必要だね――」


 人が消えた星と月。突如突き刺さった鉄の流星――揺り篭によって運ばれてきた赤子。

 拾った女は、『魔女』だった。


◆◆◆


 ――地球時間にして、十年後――


 月の広野に、宇宙服が佇んでいる。

 中身は少女。十年前に、流星として月の大地に降り立った少女だった。

 少女の見上げる先には地球。

 かつて青かった地球は、今は汚染物質の雲に覆われ、灰色の球体になっていた。


 月の広野には命の面影はない。

 残っているのは、少女と――彼女を拾った『魔女』だけだ。


「今日も来てたのかい。難儀な宇宙服を持ち出してまで、結構なことだね」


 声――本来は宇宙空間では伝われない声に、少女は振り返る。その視線の先には、魔女が立っている。

 宇宙服も着ていない。黒いローブと鍔広の三角帽子の、以下にも魔女然とした姿で立っている。


 ――アタシは魔女さ。月面上でもそーんな宇宙服なしで生きていけるのがその証拠さ。


 かつて問いかけた時、そのように自慢気に答えていた。


「今日も、あの灰色の星を見下ろしていたのかい」


 少女には似つかない、思い宇宙服の頭部が上下する。


「うん、あの星は私が行くべきところだから」

「またその話かい」


 揺り篭――少女が眠っていた宇宙船のメインシステムには、彼女がどのような存在であるか記録されていた。

 地球再生プログラム。その端末として送り込まれた少女は、本来であれば汚染された地球に落着したのち、宇宙船の中で育ち、地球環境の再生に一生を捧げる予定であった。


「ま、アンタの好きにすればいいさ」


 だが、そうなっても、そうならなくなってもいい、と魔女は考えている。

 ただ、魔女は目の前の命を気まぐれで拾っただけ。


「おかあさんは、なんで地球を眺めるの」

「さあね、アタシの勝手だよ」


 ニヤリと笑うと、少女の顔を見る。

 宇宙服のヘルメット、防護バイザー越しの瞳は、まっすぐに答えを待っている。 


「その気になれば、箒にのって太陽系を飛び出すことも出来るんだよね。それなのに、なんでまだ地球圏にとどまってるのか、わかるかい?」


 魔女とは、人を越えたもの。数百年老いることなく生き、生身では生命が活動不可能な月面でも苦も無く生きていける。


「どこにでもいける、ってことは選べることさ。アタシは『どこにも行かない』ことを選んだんだよ」


 それが、選んだのだ。


「アンタも、選ぶことは出来るんだよ」


◆◆◆


 月の地下には大空洞が広がっていた。

 洞窟、というような殺風景な空間ではなく、人工的に造られた過ごしやすい空間。

 地面には人工の草原が、天井には光が、内部には水が流れている。


 かつて、地球がまだ青かったころに人々が作り出した人口の楽園――

 けれど、今はそこに残っているのは魔女と少女だけ。


 ――ま、あんな灰色の星を見上げてちゃあ、気が滅入るからねえ。


 そう言って、魔女は寂しげに笑うと、一枚の写真を指でさす。

 写っているのは、まだ青い頃の地球。


◆◆◆


 ――地球時間にして、さらに十年後――


 かつて揺り篭であった鉄の塊が、月の広野に立っている。

 先端を灰色の星に向けて、今か今かと主を待っている。


 すっかり成長した少女は、身体に合わせて大きくなった宇宙服に身を包む。

 魔女は変わらぬ姿で、旅立とうとする少女を見るやる。


「おかあさん、行ってきます」

「結局、行くのかい?」


 シンプルな問いかけには、迷いのない返事が返ってくる。


「はい」


 魔女は目を瞑り、首を横に振る。


 魔女は、自由に選べと言った。

 そして、少女は運命に従うことを選んだ。


「生み出した奴の思惑なんて無視すりゃいいのに」

「違うよ。おかあさんに、綺麗になった地球を見せてあげたいんだ」


 だが、意図が違う。

 過ごした日々の中で、少女は地球を再生する覚悟を決めた。

 それは、月にとどまり、汚染された地球を見続けた魔女のためだった。


「は……」


 さて、胸中を言い当てられた魔女は僅かに黙り、そして、歯を見せて笑う。


「ちょっと訂正さ。アタシは確かに青い地球に興味はある。だけど、それを与えようだなんて偉くなったもんだね」


 そして、背伸びをした娘を軽く小突くのだ。


「ちょっと待ってな、箒を取ってくる。アタシも地球にいくさ。娘に全部任せるなんて、魔女の名が泣いてしまうからね」


◆◆◆


 ――そして、長い長い時間の先――


 太陽系第三惑星、地球。

 青く宝石のような輝く星は、今では銀河系の皆が憧れる観光地となっていた。


 かつて見捨てられた星を磨きなおしたのは、一人の魔女――


『二一世紀あたりだと、年齢以上に美しく見せる女は『美魔女』って呼ばれてたんだろ』


 担い手の一人は、自慢げに語る。


『なら、魔女は二人さね。なにせ、二人の魔女のプロデュースさ』


≪了≫

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