歴史ある古董品として、いずれ文物のように大切にされる日が来るかもしれなかった。
だが、私は終わりを選んだ。耐えられないほどの、生命の重みを背負ったからだ。
何を引き受けるかを選ぶことはできず、ただ受け入れるだけだった。
物として、運が悪かったと言うしかない。人の喜びを味わえず、目にしたのはいわゆる“悲劇”ばかり。
大人の世界は複雑で、子どもにとってその残酷さを背負うのは無実すぎる。
けれど、子どもがそのまま大人になったら、かつての大人たちと同じ循環を歩むのだろうか。
人の命に訪れる循環には限りがある。成長し変わるためには、その循環を経ねばならないのかもしれない。
しかし、物である私は、人々の想いを注がれ、繰り返し人生の輪廻を強いられながら、成長することはできなかった。
だから、加速されていく摩耗の中で、私は終わりを選んだ。