スクロールの先
浅野じゅんぺい
スクロールの先
雨の夜、あなたのことを考えていた。
窓を叩く雨音が、心臓の奥で静かに波打つ。
深呼吸しても胸が少し痛い。
終わったはずの記憶が、薄い膜のように張りついて離れてくれない。
冷めた紅茶の香りが部屋に残り、
その匂いに触れた瞬間、あなたの体温がふっとよみがえった気がして、目を伏せた。
静寂の中、時間だけがゆっくり流れていく。
頬に触れた指先。
重なった沈黙。
どれもまだ、胸の奥で息をしている。
「もう、終わりにしよう」
あなたの声は優しく、少し震えていた。
涙より先に心のどこかが崩れ、世界が霞んだ。
雨の音だけが、確かに残った。
スマホを握る指が震える。
既読はつかない。
きっと、ブロックされてしまったのだろう。
それでも消せなかった。
消したら、あなたまで薄れてしまう気がした。
風がビルの隙間を抜け、濡れた路面に街灯が滲む。
夜までも泣きそうな顔をしていた。
あの夜の雨も、この胸の痛みも、どこか似ている。
この部屋には、私の呼吸しかない。
世界の片隅で、自分だけが取り残されたようだった。
インスタを開く。
猫の写真、ラテアート、知らない街の夕焼け。
どこにもあなたはいない。
それでも夜空を撮り、「#眠れない夜」「#あの人のいない部屋」と打つ。
届かなくてもいい。
ただ、ここに生きていた自分の気持ちを置きたかった。
やがて雨がやみ、街に淡い光が差す。
揺れたカーテンの向こうから朝の風が触れ、胸が少しだけ動いた。
それだけで、呼吸の仕方を思い出す。
通知がひとつ。「♡」。
名前も知らない誰かの小さな共感。
それだけで涙がにじむ。
世界には、まだやわらかいものが残っている。
もうあなたの名前は呼ばない。
でも心の奥では、小さな灯がまだ消えずにいる。
手の届かない星みたいに。
眩しくて、切なくて。
それでも今日を生きていく。
──きっとあなたも、どこかで同じ空を見ている。
スクロールの先 浅野じゅんぺい @junpeynovel
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