第6話 時間は金。スキマ時間すら、コンテンツである。
神楽坂ユメの正体が、かつて見下した元同僚だと知って以来、先生は完全に落ち込んでいた。自分の知性やプライドが、高性能なアバターを被った「無能」に完敗した事実は、先生の精神を深く蝕んだ。
そして今、先生の前に座っているのは、ユメの背後にいる黒幕、金成 夢太(かねなり ゆめた)である。
「いやぁ、苦沙弥さん。顔色が悪いですよ。ウェルビーイングが足りてないんじゃないですか?」
夢太は、相変わらずブランドロゴの派手な服を着て、無神経に笑う。先生は、自分の部屋に立ち込める、夢太の放つ「成功者」という名の悪臭に耐えながら、低い声で尋ねた。
「お前、ユメの裏側にいるんだろう。あの…あの男が、なぜあそこまで完璧な美少女になれるんだ?」
夢太は、スマホで自分のチャンネルの再生数をチェックしながら、鼻で笑った。
「コンテンツっていうのはね、苦沙弥さん。中身の人間性なんて関係ないんですよ。『夢見ガチのふわふわ』は、うちが作った最高効率の『癒やしアルゴリズム』なんです。中の人?ああ、彼は『声と演技』というリソースを提供する、単なる供給源ですよ。彼も、俺の仕組みで稼げてるんだから、Win-Winじゃないですか」
夢太は、先生の最も深い嫉妬の対象である元同僚を、「供給源(リソース)」という非人間的な言葉で片付けた。
先生は、自分のフォロワーが伸びない焦りから、夢太にすがった。 「なぜだ、金成。オレの投稿は知性が深い。だが、フォロワーが全く伸びない。お前のその『マネタイズ・ロジック』で、オレをバズらせろ!」
夢太は、先生がこれまで犯してきた過ちを、容赦なく指摘した。
「苦沙弥さん、アンタの投稿はダメですよ。効率が悪すぎる。週に一度、3000字の『知覚資本論』を投稿しても、大衆は読まない。大衆が求めているのは、通勤電車でスマホをスクロールする3秒で消化できるコンテンツなんですよ」
夢太は、ピカピカの腕時計を叩きながら、最も恐ろしい現代の真理を語り始めた。
「今の社会で、最も貴重なリソースは『時間』です。そして、最も価値あるコンテンツは、他人の時間を無駄にしないもの、つまり『スキマ時間を殺すもの』だ。アンタの長文は、読者の『貴重なスキマ時間』を浪費させる『レガシーな害悪』なんですよ」
吾輩の分析: 夢太の言うことは、猫社会にも通じる。吾輩が窓際で昼寝しているのは、「何もしない時間」という最も贅沢なリソースを享受しているからだ。だが、人間は、「時間を無駄にする恐怖」に取り憑かれ、そのスキマをすべて「コンテンツ」で埋めようとする。夢太は、その「時間の恐怖」につけ込み、金を稼いでいる。
夢太は、先生に新たな「コンテンツ」のアイデアを提案した。
「猫ですよ、苦沙弥さん。最高の『スキマ時間消費コンテンツ』だ。猫の『寝ているだけ』のライブ配信を流し続ければいい。あれは、『何も考えていない幸せな時間』を欲している現代人の『精神的な穴埋め』になる。そして、その配信中に情報商材の広告を流すんですよ」
先生は激しく拒絶した。 「ふざけるな!吾輩を、ただの『背景動画』にする気か!オレは…オレの知性はどこにいくんだ!」
「知性?(鼻で笑う)知性はね、苦沙弥さん、『猫の鳴き声』より安いです。知性も、時間効率の悪いリソースなんですよ」
夢太は、先生に最後のトドメを刺した。彼は、バッグから契約書を取り出した。
「ところで、話は変わりますが、俺、このマンション、一棟買いしたんですよ。苦沙弥さんの部屋も、来月から家賃を倍にさせてもらいます。もちろん、『猫アレルギーの住人から苦情が来た』という建前で、ユメの配信の『中の人』を住まわせる可能性もありますけどね」
先生は、顔面蒼白になった。知識も、プライドも、そして住む場所さえも、金とコンテンツの力で踏みにじられた瞬間であった。
夢太は満足げに立ち上がり、高級時計を見ながら言った。
「じゃあ、俺、次の商談があるんで。時間は金なんでね。お互い、時間効率を意識して生きていきましょう」
夢太が去った後、先生はただただ、荒涼とした表情で座り込んでいた。
吾輩は、その光景を静かに観察し、結論を出した。
人間は、「時間を無駄にしてはいけない」という強迫観念に囚われた結果、「スキマ時間」を「コンテンツ」で埋め尽くすことに人生のすべてを費やしている。彼らは、何もしない猫の自由を最も羨みながら、その自由を金で買うことしかできない。
吾輩は、先生が恐れている「時間の無駄」という名の安寧の中で、静かに毛繕いを始めた。
――人間は、時間というリソースを失ったのだ。
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