銀翼のヴァルキリー -その翼は、自由を識る-
翔司
第一章《銀翼は反逆の空を翔ける》
第一話 空が燃える朝
夜明け前の空は、鉄を溶かしたような赤黒い色に染まっていた。
冷たい風が頬を撫でるのに、土の下に埋もれた昨日の戦火の熱が、じわりと逆流してくる。
焦げた鉄と砂の匂い――
それに混じって、焼け焦げた“何か”の匂いまで漂ってくる。
飛空艦による魔導砲の跡だ。
王国の三つの部隊が、僅か一隻の攻撃、それだけで壊滅した。
街道沿いの村々は黒焦げの瓦礫しか残っていない。
昨日まで「生活」だったものが、今日には「跡」になっている。
「……また空が燃えるのね」
オリビア・エルフォードは塹壕の上に立ち、静かに空を見上げた。
シルクのような長くしなやかな銀髪が風にはためき、透き通るような水色の瞳が赤い空をまっすぐ射抜く。
その端正な顔立ちは朝の光を受けて淡く輝き、戦場に似つかわしくないほど美しい――
まるで、この荒んだ世界にひとりだけ咲いた花のようだった。
しかし、その美しさの奥にある眼差しは強く、迷いがない。
地平線の向こうで、黒鉄の巨躯がゆっくりと姿を現す。
帝国の飛空艦。
鉄と魔力でできた巨体が空を滑るように進み、やがて空を覆い尽くす。
何度見ても恐ろしく、恐怖には慣れない。
――あれが仲間や、恩師も、私の世界の一部を奪った“空の怪物”だ。
あの日、私の’’手を伸ばした距離’’の先の向こうで、恩師は志半ばで倒れた。
それが、いまも私の胸に刺さったままだ。
胸の奥が、わずかにズキリと痛む。
かつて飛空艦の魔導砲撃で、目の前で仲間が消し飛んだあの日の映像は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
あの日、私は空に届かない自分を呪った。だから私は戦うーーそして絶対に届かせる。 …届かせられなかった仲間の分まで。
オリビアは風の中にまっすぐ立っていた。
「……おはよ、リヴィ」
背後から聞こえた声に振り返る。
幼馴染のラウニィーが、弓を背負っていつも通り無邪気に笑っていた。
「こんな朝に“おはよ”なんて……ほんと、あんたくらいよ」
「だってさ、リヴィが空睨んでる顔……今日もめちゃくちゃキレイだったもん。ちょっとドキっとしちゃった」
「茶化さないの」
軽く額をつつきながらも、オリビアの表情がわずかに緩んだ。
その瞬間だけ、戦場の空気がふっと和らぐ。
戦場の空気が張り詰めているというのに、ラウニィーといると、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
それは子どもの頃から変わらない二人の空気だった。
――だが、全員がそうではない。
後方では新人兵が一人、震える手で槍を握りしめたまま動けなくなっていた。
別の兵は、口元を押さえ嘔吐している。
飛空艦を見上げる目は、完全に恐怖に支配されていた。
今日が初陣の者も多いのだ。
昨日、隣の中隊の六十名が一瞬で光に飲み込まれた。
逃げようとした馬ごと、黒い影に吸い込まれた。
ーーそしてその後は瓦礫から焼ける匂いしかしなかった。
飛空艦の“人間を焼き尽くす光”を見たことがある者は、誰一人として平然ではいられない。
そんな彼らの間を、サンドは重い盾を突き立てながら静かに陣列を整えていた。
エルドゥは斧を担ぎ、「怖いなら俺の後ろにいろ」と新人に肩を叩いている。
オリビアは彼らをひとりひとり見つめ、短く息を吸った。
「敵艦、一隻。地上の護衛部隊は中規模。距離……約二千メディル」
「派手な朝になりそうね」
双剣の柄に触れた指先に、かつての恐怖の残滓が微かに疼く。
――飛空艦の光から誰も守れなかった。
あの日の悔しさが、まだ胸に残っている。
だからこそ。
「いい? あれは神様でも英雄でもない」
オリビアの声は、澄んでいて、揺るぎがなかった。
「――ただの鉄の棺桶。私たちが落とすのよ」
その言葉に、震えていた新人兵の背筋がわずかに伸びる。
サンドたち隊の古参は、無言のまま武器を握り直した。
「全隊、迎撃準備!」
エルフォード中隊が一斉に前へと進む。
空が震え、飛空艦の主砲が光を帯び始める。
ラウニィーが息を吐き、弓を引き絞った。
ヴィンスが水の障壁を展開し、ダナンが剣を空へ向ける。
空を裂く砲撃の轟音が世界を震わせた瞬間――
オリビアは迷いなく前へ踏み出した。
「ねぇ、ラウニィー」
「なに?」
「――今日も、あの空、落としましょ」
「もちろん。リヴィと一緒ならね」
二人の視線が交わった刹那、爆風が戦場を飲み込んだ。
炎に照らされたオリビアの瞳は、恐怖に抗いながらもなお美しく、そして誇り高かった。
双剣が夜明けの空を切り裂く。
燃える朝が、再び始まった
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