序章3

 風が止まり、枯れた街道に影が二つ伸びた。

 一人は剣を背負う青年レオン・ドラグナイト。

 もう一人は赤いマントに身を包む女魔導士、セラ・フィオナ。


 世界を救うために選ばれた八人。

 人々は彼らを八星はっせいと呼んだ。


「ここが……エルデン都市か」


 レオンは交易都市を見渡しながら呟いた。

 人気ひとけが一つもない。

 扉も窓も閉ざされ、まるで街そのものが息を潜めている。


「国王陛下の予言では、ここに新しい八星が現れるそうよ」


 セラは杖の先で地面を軽く叩く。

 微かに魔力が震えた。


「予言は外れたことがない。それは分かってるけどな。」


 レオンは乱れた髪をかき上げる。


「都市全員を避難させるほど危険って、本気か?」


「本気よ。だって次元が割れて、暴走した八星が現れるって言ってたもの」


「次元が割れる。意味がわからん」


「すぐに分かるわよ」


 二人は同時に空を見上げた。


「予言まであと十秒」


 セラの声が落ちる。

 「十……九……八……」


 五秒目で、空に毛ほどの裂け目が生じた。

 三秒目には、裂け目は街一つを覆うほどに広がった。


 そして、一秒。バキィッ!!

 空は音を立てて、真横に裂けた。


「……おい。セラ、本当に割れたぞ」


 レオンが笑うしかないと言った表情で空に指を差した。


「私も長年生きてきたけれど……これは初めてね」


 セラの瞳が好奇心に光る。

 状況が異常すぎるほど、彼女の探求心は燃え上がる。

 ぽつり、とレオンの鼻に冷たいものが落ちた。


「……雨か?」


 指先で拭って、レオンの動きが止まる。


「……これ、赤いぞ」


 セラが手のひらで受け取るように触れるとひと言。


「……血ね」


 街に、世界に、血の雨が降り始めた。

 やがて、雨は怒濤のように強まり、地面に赤い飛沫が跳ねる。


 レオンが息を呑む。


「この量……次元の向こうで何が起きている……?」


「たぶん、死体が落ちてくるわよ」


 セラは呑気に、しかし確信した声で言った。


「いや、そんな簡単に言うな!」


 叫ぶレオンの前で、裂けた次元から何かが落ちてきた。

 一つ、二つ、十、二十――


 落ちてくる影の輪郭が、徐々にはっきりしていく。


「……全部、人か」


「ええ。しかも、死んでるわね」


 ドサッ、ドサッ。

 死体が地面に積み上がり、血の雨がそれを赤く染める。

 レオンは歯を食いしばった。


「じゃあ……最後に落ちてくるのは、まさか――」


「あなたの想像通りよ、レオン」


 次元の裂け目がひときわ大きく開いた。

 眩いほどの魔力が、空間の境界を焼き切るように溢れ出す。


 空気が悲鳴を上げる。大地が震える。

 街の建物が軋みをあげ、石が砕けた。


 そして――それは、落ちてきた。


 魔力が制御を失い、巨大な人型となった何か。

 体は魔力に覆われ、暴走した力が溢れ出している。

 レオンとセラは同時に理解した。


 ――彼は、八星だ。


「暴走したまま落ちてくるとか……陛下の予言凄いな。」


 レオンが剣を抜く。刃が血の雨を弾いて光を刻んだ。


「まずはあの子を助けるのが、私たちの役割よ」


 セラは魔導書を開く。

 彼女の足元に幾重もの魔法陣が展開される。


「行くぞ、セラ」


「ええ。都市は……守れないでしょうけどね」


 二人が駆け出す。

 空から落ちた新しい八星へ――彼の暴走を止めるため。

 そして彼の命を救うため。

 そして、この戦いの果てに。

 エルデン都市は跡形もなく消えた。


 ◇ ◇ ◇


 空気そのものが悲鳴を上げる。

 巨大な影が大地を踏みしめるたび、エルデン都市の震え、暴風が吹き荒れる。


 魔力の暴風。

 その中心には暴走した少年、リアムがいた。

 光を乱反射するその身体は、もはや人の形をかろうじて留めているだけの魔力の塊だった。


「見境ないな。」


 レオンは剣を肩に担ぎ、ゆっくりと後退する。

 地面に走る亀裂が、後一歩でも近付けば押し潰すと告げていた。


「余裕ぶってる暇あるの?」


 隣のセラはマントをひるがえし、呪文を紡ぐ。

 発動した極大魔法は、空気を裂きながら一直線に巨体へ――だが触れる瞬間、異様な重力に押し潰され、地に溶けた。


「……なに、これ?」


「俺が確かめる。」


 レオンが駆け、距離が離れてなお、圧を放つリアムへと肉薄にくはくする。

 しかし境界線を越えた瞬間、雷鳴のような重みが足元に襲いかかる。


「ぐっ……!」


 視界が揺れ、地面が背中を殴る。息が漏れる。


「レオン!」


 セラが駆け寄り、魔導書から淡い光を放つ。

 体を覆う重圧が一瞬で消え、レオンは土を払って立ち上がる。


「どうやって止める?」


「重力は任せて。あなたは倒す準備を。」


 二人は無言で頷く。


 レオンが剣を前に突き出した瞬間、神炎が刀身を包んだ。


「——三位一体解放トリニティ・リベレイション!」


 金色の魔力が尾を引き、龍の翼が背に広がる。

 あたり一帯の空気が震え、世界そのものがレオンを中心に形を変えたような錯覚すら生まれる。


「セラ、準備は?」


「言わせないで。」


 セラの身体が宙に浮かぶ。

 魔導書が開き、次々にページがめくれ光を放つ。


「魔力解放。」


 その瞬間、都市全体が淡い光に包まれた。

 空にも地にも、幾重にも魔法陣が花のように咲き乱れる。


「——天地双滅陣テンチソウメツジン!」


 轟音。光の雨。

 無数の魔法が全方位からリアムを貫き、巨体が揺らぐ。


 そこへ――音を置き去りにする影。

 レオンの足元に神炎が噴き上がり、リアムに迫る。


神炎龍神拳しんえんりゅうじんけんッ!!」


 拳がリアムの胸を撃ち抜いた。

 爆ぜる光。世界が白に溶ける。


 ◇ ◇ ◇


 ――気がつくと、そこは静かな森だった。

 倒木の隙間から光が差し、風が葉を揺らしている。

 レオンはゆっくりと呼吸を整え、周囲を見渡した。


 その中央、小さな背中が震えているのが見えた。

 少年がうずくまり、肩を揺らし、泣いていた。

 先ほどの怪物と同じ存在とは、とても思えないほど――ただの、幼い子どもだった。


「誰も傷つけたくない……みんなの悲鳴が聞こえる……だれか……ぼくを止めて……」


 掠れた声が胸を刺す。

 レオンは、無意識に歩み寄っていた。

 かつて、自分もそうだったからだ。

 力が制御できず、恐れられ、怯えられ――それでも救われたあの日の手の温もりを、今も覚えている。


「必ず助ける。」


 レオンはそっと少年の頭に手を置いた。

 少年が涙の奥から顔を上げ、か細く笑う。


「……ありがとう。」


 白い光がふたたび視界を包んだ。

 目を開けたとき、レオンは崩れた都市の中で横たわっていた。

 隣には、小さく眠る少年――暴走を止めたばかりのリアムが静かに呼吸している。


「……これからよろしくな。」


 レオンはその髪を優しく撫でた。

 守るべき仲間を得たと、胸の奥で静かに確信しながら。



次回:光なき世界で始まる運命

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