彼方のマーメイド
花沫雪月🌸❄🌒
第1話 宇宙人
女性にしては大きな手の平だった。明日人は自分と違うところは無いと納得し、それからようやく手を取った。
スバルはさぷんと水音を立て明日人を競技用プールから引き上げた。つい十数秒前にバタフライで100mを全力で泳いだのに息1つ乱していなかった。
明日人は荒い息を整えながら、今度はスバルの身体を無遠慮に眺め回す。
よく鍛えられ筋の張った長い手足に、競泳水着に包まれた引き締まったウェスト。
バストはずいぶん控えめだったが、水泳においては流線型を乱す突起はないに越したことはない……ハズだ。
とにかく惚れ惚れする程の美しい肢体だった。勿論水泳競技者としてだ。明日人の視線にはいやらしさは籠っていなかった……ハズだ。
むしろ、いぶかしむような目付きは、彼女の身体に何かヒレとかエラとかそんな人間離れした何かを探していたが当然見つからなかった。
「はや……すぎんだろ、宇宙人かよ」
明日人は整わぬ息のまま、自分を負かしたスバルに小さく悪態をついた。しっかり聞き取っていたのか、スバルはゴーグルを外さないままの読めない顔で少し訛りのあるあっけらかんとした返事をした。
「そうやよぉ? バレてもたん?」
「……アホ」
「阿呆とはなんや、阿呆とは」
歳上の癖にふざけている、そう思わせる方言のふにゃっとした語尾にはからかい混じりの響きが伴っていた。真面目に取り合っても仕方ないと明日人は「休憩します」とぶっきらぼうに、プールサイドのベンチまでずかずかと進み大判のスイムタオルを濡れた身体に押し付けた。
「うちはもうちょい泳いでくるさぁ」スバルは無造作に飛び込み台に足を乗せると伸ばした指先から吸い込まれるように、とぷんと静かに水中に消えた。
そこから50m先の反対側の壁まで一度も息継ぎなしにたどり着いてみせたスバルに、明日人は深いため息を吐かされた。
▽
5月の半ばのことだ。
高校の2年生になった明日人が部活の無い休日まで朝から公営のプールに通うようになったのは、伸び悩むタイムへの焦りからだった。
中学までは県でも1位、2位を争うタイムを叩きだし、3年の夏には全国大会まで進んだ明日人だったが、高校生ともなるとまた事情が違うらしい。
後輩にも速いヤツがいて、大会出場枠の取り合いは必至だった。
水泳のスポーツ推薦で入学した高校にいる以上、結果を出さない訳にもいかない。頭ではオーバーワーク気味だと分かっていたが身体を動かさずにはいられなかった。
6月に迫る県大会までに仕上げなければ、補欠選手すら怪しいというのも焦りを生んだ。
明日人がスバルと出会ったのは、そんな頃のことだった。
明日人がやって来た草津の公営プールには競技用にも使える50mプールがあった。
水深は2m以上と本格的だ。
利用者も本格志向になる為に当然のように人はほとんどいない。
今日日、水遊びがしたいならウォーターパークに足を運ぶだろうし、スイミングスクールは25mプールで行われている。足のつかない水に近づきたい素人がいるわけもない。
明日人は貸し切り状態のプールを泳いでいた。
スバルは魚のように、水中で明日人の視界を横切っていった。
少なくとも明日人にはそのようにしか見えなかった。
判然としないスイムゴーグル越しには、プールの一番深いところを手を身体に添えて、足を揃えて滑らかに進む姿は魚そのものだった。
ギョっと、思わず息を吐き出し、50mプールの中ほどで立ち泳ぎするはめになった明日人の斜め下を、折り返してきた影がまた通り過ぎていったあたりで、ピピーっと監視員の警笛が鋭い音を鳴らした。
「そこの方、長時間の潜水は禁止ですよ!」水底まで監視員の張り上げた忠告がちゃんと届いたのか、影はざばっと急浮上した。
「すんませーん!」
上がってきたのは黒のスイムキャップに黒のゴーグル、黒の水着の女性だった。
黒づくめだったから魚影のように見えたらしい。
女性は器用に立ち泳ぎしながら、ペコペコと水につけることなく監視員に頭を下げると、今度は明日人にばつが悪そうににへらとした笑みを見せた。
それがスバルとの出会いだった。
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