穏やかなる世界のために

 グローバライズランゲージシステム、文化人類学者クリスが世界平和のために開発したシステムの名称だ。

 人類は進化の結果、他の生物種では届かなかった領域に辿り着いた。頭蓋骨の肥大化、脳組織の進化から高機能を有する脳を手に入れ、生態系というピラミッドの頂点に君臨することとなった。どんな生物種よりも優秀で頭がいい。だから、他の生物種を家畜、愛玩生物として支配してきた。

 これほど優秀である人類が支配する世界でなぜ戦争が絶えないのか。

 人類は己の利益のために奪い合い、殺し合う。国同士の戦争のように明らかなる戦争もあれば、姑息で狡猾な支配もある。自国より劣った小国のアイデンティティを尊重するふりで実は支配下に置き、結果として小国から生まれる黄金を絞り尽くす。対等の関係に映っていても、その実には目に見えない戦争が眠っている。

 国という認識には国境が必要だ。古き時代では河川が、山が、海がその役割を果たした。今は大地に、海に地上絵のように複雑に国境が描かれ、幾つもの国が存在している。

 超大国、経済大国、先進国、後進国、発展途上国、未開の国、人類が作成した物差しでその国がランキングされ、そこに居を構える国民も然りとなる。

 銃火器が自由に売買でき、砲弾の音が絶えない国があった。銃火器の売買が法的に禁じられ、砲弾の形すら知らない国があった。それは国が持つアイデンティティに基づいている。アイデンティティとはその国の文化とも言える。文化とは人類によって作られる。積み重ねた歴史の中、文化は湾曲、破壊、再生を繰り返し、姿を変化させる。それは人類の恣意に基づいている。その恣意は高機能脳を得た故の性だ。それは個々の人間に存在し、人類という大きな器の中で巨大な性として集約される。その集約する手段は言語によるコミュニケーションだった。

 言語は国ごとに存在する。国境を超えた貿易などにも言語は用いられる。異なる言語同士のコミュニケーションはかつてアナログな分厚い辞典によって帳尻が合わせられていた。科学技術の進歩によりデジタルな高性能翻訳機がさらにその精度を上げた。

 貿易をするだけであれば、数字さえ分かればいい。簡単なロジックさえ伝わればいい。それだけでは足りない。表面的な意味を共有するだけでは足りないのだ。その言語に眠る感情、言語が紡ぎ出した文化、言語を積み重ねた歴史を理解し合うこと、それが戦争を無にする手段なのだ。ただ異なる言語同士の意味を紐付けるだけではなく、その実となる感情、文化、歴史を集約することにクリスは尽力する。

 結果、生まれたのはグローバライズランゲージシステム。感情、文化、歴史を問わず共有化する言語システム。世界中に散らばる膨大な言語データを共有し完成した。これが世界から戦争を失くす一歩となった。

 誰が想像しただろうか。世界の変化を。グローバライズランゲージシステムが持つ膨大なデータベースに繋がるデバイスが人類の脳内に埋め込まれる。異なる言語を誰もが理解できるようになる。その言語が持つ感情、歴史、文化を認識し、瞬時に脳内で解析する。

 銃火器を自由に売買できる国の理由、砲弾の音が鳴り止まない要因を銃火器の売買が法的に禁じられ、砲弾の形すら知らない国の人間が理解した。そこには貧困、差別があり、銃火器という解決手段しか選択肢がないこと。問題点が理解できれば、それを解決するだけだ。解決策を世界で考え、実行する。

 グローバライズランゲージシステムが言語、文化、歴史、その実に基づいた理解で世界を変えていく。

 クリスの作り上げたグローバライズランゲージシステムは世界を区分けするあらゆる物差しを破壊した。破壊した後、再生された世界に生まれた世界統一国家。国境もない。人種差別もない。貧困層も富裕層もない。個々の人間が溶け合うように集約され、人類の意識が統一された。

 そんな中で起きたパンデミックの走り。四季が美しく、侘び寂びと情緒豊かな国を破壊していく。SAEKIウイルス感染者の増加にグローバライズランゲージシステムはまず隔離という手段を選択した。これ以上感染を広めないため。感染者を救うべく抗ウイルス剤の開発のため。

 抗ウイルス剤の開発は一〇〇年かけてもうまくいかなかった。もういいだろう。精一杯のことはやった。一人がそう呟いた。諦めの感情が生まれ、世界に浸潤する。グローバライズランゲージシステムはその諦めの感情を飲み込み、議論を積み重ねる。その結果、ある決断が生まれた。

体内に癌細胞が生まれた。癌細胞は健全な細胞に浸潤し、その細胞組織を肥大化させていく。

必要なものは何だ?

手術による切除?

投薬による共存?

熟慮した結果、人類は手術を、癌細胞の切除を選択する。SAEKIウイルスに汚染された国も世界にとって癌細胞と同じ。グローバライズランゲージシステムも熟慮した結果、まるで人間のように同じ選択をする。この選択が正しいのか。間違っているのか。グローバライズランゲージシステムの中で再び始まる議論。何かしらにつけて言い訳をし、人類の集合意識を正当化する。それは己の利益を追求し、戦争が絶えなかった時代の人間の思考によく似ていた。

ウイルスは生物ではない。宿主がいなくなれば、自らの力で生きることはできない。感染区域の人間の殲滅。それがどんなに残虐な行為であったとしてもグローバライズランゲージシステムがその行為を許し、世界の決断を必然とした。

穏やかなる世界のために。それがシステムにより集約され、生まれた統合意識となった。


 空を飛来するため、基地内の滑走路をゆっくり流れる飛行機は世界ウイルス研究機関所属の無人飛行機ではない。世界統一国家が所有する爆撃機だ。雛が巣立つように基地から編隊を組んで幾つも飛び立っていく。目指す目的地はかつて四季が美しかった国。今ではSAEKIウイルスが蔓延した国。隔離壁で取り囲まれた国にはまだ人間がいる。爆撃機の腹の中には幾つもの焼夷弾が詰め込まれている。卵を産む鶏のように焼夷弾を落とし続け、SAEKIウイルスも人間も全てを焼き尽くす。これが穏やかなる世界のためにグローバライズランゲージシステムが選択した決断だった。


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穏やかなる世界のために うつぼ @utu-bo

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