第2話 違和感とイージーモード


 食堂のドアを開けると、焼きたてのパンの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 先に席についていたエリアナが、俺の姿を見て、ビクッと肩を揺らす。


「お、おはよう、カイル! あの、その……朝ごはん、できてるわよ」


 頬を染めて、もじもじと俯く。

 完璧だ。

 完璧なまでの、朝の幼馴染ムーブ。

 昨日の今日で、まだ俺のイケメンぶりに慣れていない感じが、実にイイ。


「ああ、おはよう。サンキュ」


 俺はなるべくクールなイケメンを意識して、自分の席に着いた。

 目の前には、具だくさんのスープと、ほかほかのパン。

 素晴らしい。

 前世(シャチク)時代は、コンビニのサンドイッチか栄養ゼリーが朝食だった。

 それに比べて、なんという文化的な生活。

 これが異世界転生。これが主人公クオリティ。


 俺がスプーンを手に取ろうとした瞬間。


「あ」


 エリアナが、俺の分の水差しを倒した。

 ガチャ、という音と共に、水がテーブルに広がる。


「きゃっ! ご、ごめんなさいカイル!」


 慌てて布巾を探すエリアナ。

 昨日も転んでたし、こいつは本物のドジっ子属性らしい。

「またかよ」と呆れる気持ち半分、その慌てぶりが可愛いと思う気持ち半分。

 いや、ここは主人公として、見せ場だろう。


「……落ち着けよ。ほら」


 俺は右手を、こぼれた水にかざした。

 意識を集中する。

『創生魔法』。

 ――事象を編み変えろ。

 テーブルの上にあるべきではない「水」を、あるべき場所ルビを入力…へ。


 こぼれた水が、生き物のようにテーブルの表面を逆流し、一つの球体となって空中に浮かび上がる。

 そして、ゆっくりとカップの中へ収まっていった。

 テーブルの上には、水滴一つ残っていない。


「わ、わあ……! すごい、カイル! また新しい魔法?」


 エリアナが、目をキラキラさせて俺を見ている。

 翠の瞳に、俺のイケメンフェイスが映ってる。

 これだ。

 この反応が見たかった。


「まあな。『創生魔法』の応用だ。昨日、ちょっとコツを掴んでな」


 俺は得意げに鼻を鳴らした。

 斉藤護《オレ》の魂は最大級。この程度の魔法、朝飯前だ。


「さすがカイルね! 天才的だわ!」

「だろ? まあ、俺にかかればこんなもんだ」


 俺はスープに口をつけた。

 キノコと干し肉の、素朴だが深い味わい。


「うん、美味い。やっぱエリアナの飯は最高だな」

「そ、そう? よかった」


 エリアナは、顔を真っ赤にして俯いた。

 チョロい。

 本当にチョロい。

 褒められることに慣れていないのか、俺の顔面偏差値が高すぎるせいか。

 どちらにしても、攻略難易度はベリーイージーだ。


 だが。

 一口、二口とスープを飲み進めるうちに、かすかな違和感が舌に残った。

 美味いのは、美味い。

 だが、後味に、妙な苦味が残る。

 気のせいか?


「なあ、エリアナ。このスープ、なんかちょっと苦くないか? いつものと違う?」


 俺がそう尋ねると、エリアナの肩が、またビクッと跳ねた。


「え? あ、そ、そう? いつもと同じキノコよ? 気のせいじゃないかな、あはは……」


 泳ぐ視線。

 乾いた笑い。

 ……怪しい。

 こいつ、まさか隠し味に失敗したか?

 まあ、ドジっ子属性だからな。そういうこともあるだろう。

 追求して、泣かせても可哀想だ。


「そっか。まあ、美味いからいいけど」

「う、うん!」


 俺がそう言うと、エリアナはホッとしたように胸を撫で下ろした。

 本当に分かりやすいやつだ。


「そういえば、カイル。今日は村の広場で、何かあるみたいよ」

「ん? 広場?」

「うん。行商人たちが来るって、触れ役の人が」

「へえ。なら、後で覗いてみるか。何か面白いモンでもあるかもな」


 俺の紅い左目が、そう言った瞬間にキランと光った、気がした。

 こういう行商イベントは、ラノベのお約束だ。

 ガラクタ同然のアイテムが、実は伝説の武具でした、とか。

 奴隷商人が、実は未来の聖女を売ってました、とか。

 いや、奴隷はちょっと生々しいか。

 ともかく、チートスキル持ちの主人公が活躍する舞台としては、おあつらえ向きだ。


「俺、先に鍛冶場の様子を見てから行く。エリアナは?」

「あ、じゃあ私、先に買い物に行って、広場で合流してもいい?」

「わかった。じゃあ、後で」

「うん!」


 エリアナは、自分の分の食器を慌てて片付けると、逃げるように食堂を出ていった。

 ドタバタと遠ざかる足音。

 本当に、落ち着きのないやつだ。

 だが、そこがいい。


 俺は残りのスープを飲み干した。

 やはり、わずかに苦い。

 ……まあ、いいか。


 *


 鍛冶場は、家の裏手にあった。

 カイル・アッシュフィールドの職場だ。

 俺にとっては、未知の領域。

 重い木の扉を開けると、鉄と煤の匂いが、ツンと鼻を突いた。


 中は、薄暗い。

 だが、驚くほど整理整頓されていた。

 壁には、多種多様な金槌やヤットコが、機能的に並べられている。

 炉は綺麗に掃き清められ、金床の上には一筋の傷もない。

 まるで、主の帰りを今か今かと待っているような、完璧な状態だ。


「……これ、全部エリアナが?」


 知識としては知っていた。

 両親が死んだ後、カイル(本物)が鍛冶場を継ぎ、エリアナがその手伝いをしていた、と。

 だが、これは「手伝い」のレベルじゃない。

 完璧な、職人の仕事場だ。

 毎朝、俺の朝食を作る前に、ここで火を入れ、道具を磨き上げていたのか。


「カイルは、手が大事だから……」


 いつか、彼女がそんなことを呟いていたのを、頭の中の「知識」が再生した。

 健気だ。

 健気すぎて、ちょっと重いレベルだ。

 だが、それがいい。

 これだけ尽くしてくれるヒロイン、そうそういない。


 俺は、壁にかかった一番大きな槌を手に取った。

 ずしり、と。

 腕に、魂に、響く重さ。

 俺の魂は最大級だが、この身体の筋肉はまだ十五歳だ。


「……鍛冶、ねえ」


 創生魔法があれば、鉄を打つ必要なんかない。

「鉄の剣、あれ」と念じれば、無から剣を生み出せる。

 それこそ、伝説の魔剣だって、俺のイメージ次第だ。

 この鍛冶場は、もう必要ない。

 カイルの、古い遺物だ。


 だが、まあ、今すぐ潰すこともないか。

 エリアナがこれだけ大事にしている場所だ。

 俺の「イージーモード」な生活を支える、舞台装置の一つとして、残しておいてやろう。


 俺は槌を壁に戻した。

 指先に、鉄の冷たさと、微かな油の匂いが残った。

 ……ん?

 よく見ると、道具が並ぶ棚の隅に、小さな革袋が隠すように置いてある。

 なんだ、これ。


 手を伸ばすと、それは薬草の類をまとめたものらしかった。

 だが、混じっている匂いが、妙に鼻につく。

 これは……トリカブトか?

 いや、それよりもっと強烈な、神経毒の原料になる植物だ。

 なんで、こんなものが鍛冶場に。


「カイル?」


 不意に、背後から声がした。

 ビクッとして振り向くと、エリアナが立っていた。

 いつの間に戻ってきたんだ。


「あ、エリアナ。買い物、終わったのか?」

「う、うん。カイルがまだかな、と思って。……それ、どうしたの?」


 エリアナの視線が、俺の手の中の革袋に注がれる。


「ああ、これか。なんか隅に落ちてたけど」

「あっ!」


 エリアナは、俺の手からひったくるように革袋を奪い取った。


「そ、それ! 害虫駆除の薬だから! 触っちゃダメよ!」

「害虫?」

「そう! 鍛冶場に、ネズミとか、変な虫とか、湧くでしょ? だから、その……私が、用意したの!」


 顔を真っ赤にして、早口でまくし立てる。

 革袋を、ぎゅっと背中に隠すように持って。


「……へえ」


 害虫駆除、ねえ。

 ネズミ相手に、こんな強力な毒を使うか?

 まあ、ドジっ子だからな。

 薬草の調合を間違えて、とんでもない劇薬を作っちまった、とか。

 そんなところだろう。


「あ、あはは……。そ、それより、広場! 行きましょ! 行商人、来てるわよ!」


 エリアナは、俺の腕を掴んだ。

 華奢な指。

 だが、その力は、妙に強かった。


「お、おう」


 グイグイと鍛冶場から引っ張り出される。

 彼女の手は、少し汗ばんでいた。

 そして、今朝、洗い場で皿を洗っていた時と同じ、洗剤(ハイター)のような、ツンとした匂いが、かすかにした。


 まあ、いいか。

 チョロいヒロインが、俺のために手を引いてくれている。

 多少のドジも、秘密も、スパイスってやつだ。

 俺の最高な異世界ライフは、まだ始まったばかりなんだから。

 さあ、広場でチートの見せ場だ。

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