第10話 「どうだ、お前、庭師になってみないか?」
「いらっしゃいませ」
色は浅葱に白地で抜いた零れ松葉の暖簾を掻き分けて店内へ入った清水を、縞のお召しに西陣帯を締めた粋な女将さんが、徳利片手に愛嬌を振りまいて、明るく迎えてくれた。此処は馴染みのおでん屋である。店はかなり混んでいた。きっと常連客が多いのだろう。
カウンターの奥の隅で、待ち合せ相手の後藤が片手を挙げた。
「やあ、済まん、済まん、遅くなっちゃって」
「俺も今来たばかりだ。未だ約束の六時には少し間があるよ、お前が遅れた訳じゃないさ」
二人は小学校から高校までを一緒に過ごした親しい友人同士だった。特に高校へ入ってからはボクシングジムで何時も一緒に汗を流してトレーニングに励み合っていた。
清水が地元の国立大学に進学し、後藤が父親の営む造園業を継いでからも、親しく交友し酒を飲んで語り合って来た。
二人はビールと熱燗二本、それに、じゃがいも、大根、コロ、がんもどき等のおでんを四つ五つ注文し、先ずビールで乾杯をした後、互いに手酌で飲み始めた。
酒とおでんで心と身体が解れて来た頃合に、後藤が改まって訊ねた。
「どうだ、仕事はもう決まったのか?」
清水は刑務所に入ったことで会社を解雇されていた。新聞やテレビ等のマスコミに社名が出た訳でもなかったが、スペアになる有能な人材が掃いて捨てるほど居る大手上場会社とはそういうものであった。社員も、サラリーマンは椅子取り競争であり上へ行くほど椅子の数は少なくなるということを、よく認識していた。ライバルは少ないに越したことは無かった。
「ああ、色々探してはいるんだが、なかなか思うようには行かなくて・・・」
刑務所を出た当初は馴染んだ営業の仕事に着くことを清水は考えた。
だが、前科のある清水に営業や販売の仕事は無かった。事務や店員の仕事でも有りはしないかと希みを持ちもしたが、それは儚い期待にしか過ぎなかった。履歴書の賞罰欄に「なし」と書くのに後ろめたさを感じながら応募して、学歴の良さと最初に就職した会社のネームバリューで書類選考を通ったこともあったが、新卒を採用するのではなく管理職やその候補者として採用される中途採用の場合には、興信所の身元調査や前職への聞き込みなどが行われて、結局は採用されなかった。あからさまに「履歴を偽って貰っては困ります」と叱責の言葉と侮蔑の視線を浴びたことも有った。
「そうだろうなあ。営業や事務や店員などというサラリーマンの仕事は、お前の置かれた状況と立場からすれば、難しいかも知れんな。思い切ってサラリーマン以外の仕事をやってみたらどうだ?」
「然し、他につぶしも利かんしな」
「どうだ、お前、庭師になってみないか?」
「えっ、俺が植木屋をやるのか?」
「うん。お前が刑務所に入った時から考えていたのだが、多分、今迄通りにビジネスマンを続けることは難しいだろうし、サラリーマンをやるにしても良い仕事に就くことは容易いことではないだろう・・・一層、思い切って庭師になったらどうかと思ってさ。それなら俺も十分力になれるし、それに、俺にはお前をボクシングに引っ張り込んだ責任もあるし、な」
「でも、一人前になるのに十年は掛かるんじゃないのか?この歳で今から始めてもモノに成るかどうか・・・」
「お前は未だ独身だし、貯えも少しは有るだろう、当面の生活は何とかなるんじゃないのか。庭師の方は専門学校や職業訓練校に通って、俺の処で実習を積めば、二、三年で独立出来ると思うよ。アルバイト代程度なら支払えるし、専門学校や職業訓練校へは費用をうちの店が出して派遣しても良いぞ」
後藤は熱心に清水に庭師になることを勧めた。
庭というのは、一度作れば終わりではなく、庭が無くなるか庭師が引退するまでずっと続く。草木はどんどん成長するので、伸び過ぎた枝葉を切ったり栄養のある土を足したりしなければならない。その家の住人が歳をとると、歩き易くする為に庭のでこぼこを減らしたり、石を取り除いたり置き直したりする必要もある。
又、出来た庭はその瞬間から住人と一緒に生活を始める。小さい子供の成長と共に樹木も生長して行く、年月の経過と共に子供の成長と樹木の生長が重なって行く。その意味でも経年美化の庭造りは大きなやり甲斐である。
更に、地域の素材を使用したり棚田風の石積みをしたりして、その土地らしい風景を造り出すことも重要であるし、塀・通路・車庫・庭という構成要素がバラバラにならないようにして、周囲の景色と馴染みを持たせなければいけない。庭造りは信念や拘りを持ち、常に学ぶ姿勢を持ってベストを尽くすことが求められる。
それに、造園の仕事は緑を活用して住む人の日々の生活を楽しくし、癒される空間を造ることである。環境やエコが重要視される現在、緑に関わる仕事は非常に重要であり、造園はその上に尚、お客様のオンリーワンを創造する仕事である。お客様の要望・予算・敷地等の条件によって、出来上がるものは同じものは無い。限られた条件の中で工夫を凝らしてお客様に満足して頂けるものを造ること、その造る喜びをお客様と共に味わうことは至福の喜びである。
後藤の真情溢れる熱い語りかけに清水の心は、チャレンジしてみようか、と大きく動かされた。
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