第17節~こぼれ、すくわれ

 金曜の昼休み。




 屋上には、風といっしょに金属の響きが流れていた。




 伊武が、一斗缶で組んだ即席ドラムを叩いている。


 缶の縁をスティックがはじくたび、乾いた音が空に弾けた。


 汗をぬぐいもせず、彼は夢中でリズムを刻み続けている。




 屋上は、昔からノイズの生徒たちの避難場所だった。


 部室に入るのは気まずい彼らも、ここでは自然に集まる。


 とりわけ今日は、数人が足を止めて、伊武のリズムを無言で聴いていた。


 伊武は増幅器が必要ないこともあり、あえて屋上を自主練習場所に選んでいた。




「……見られてるって、ちょっと緊張するな」


 伊武は照れ笑いを浮かべながらも、スティックを握り直す。




 だが、その目の奥には火がある。


“叩けば音が返ってくる”。


 その当たり前の事実が、彼にはまだ奇跡のようなのだ。




 天音と晴花は、その姿を少し離れた場所から眺めていた。


 風に混ざったドラムの音が、思った以上に胸を揺らす。




(……いい音。真冬にも、届けられたらいいのに)




 そんな想いを抱えたまま、昼休みは終わった。






 放課後






 部室の空気は、昼の屋上とは別の静けさを帯びていた。




 今日はピアスも霧島先生も来られない。


 期末試験の準備と、学園祭の会議が重なっているらしい。


 部室には、八雲、真冬、天音、晴花だけがいた。




 真冬は増幅器の前に座り、


 テーマのボリューム調整をひたすら繰り返していた。




 だが──


 音は揺れ、かすれ、途切れがちだ。




「……もう少し、息を深く吸って」


 天音は、真冬の背中を軽く押すように声をかけた。




「出すときに力を入れすぎると、逆に音が逃げちゃうの。


“流す”感じって言ったらイメージしやすいかな?」




「……うん」




 返ってきた声は細く、小さな揺れがあった。


 集中しようとしているのに、どこか心がそこにいないような。




 八雲はそんな真冬を横目に、黙って鍵盤と自分のノイズを重ねていた。


 いつもより静かだ。


 真冬の不安が、空気に移っているみたいだった。










「……ねぇ」




 真冬が、ぽつりとつぶやいた。




「八雲。今の曲じゃなくて……


 別の曲を弾いたりできないの?」




「別の?」


 八雲は眉を寄せる。


「俺、課題曲のこれしか知らないよ。


 聴いたことない音は、弾けない」




 真冬は、膝の上で指をぎゅっと握った。




「……この前。ピアス先生が歌ってくれた曲があるの。


“元気が出る曲だよ”って……そう言ってくれて。


 あれを聴きながらなら、もう少しだけ頑張れる気がして」




 その言葉に、天音の胸がきゅっとなった。


 あの日の、真冬の涙と微笑みがよみがえる。




「んんー! それ、ずるい!」


 晴花が両手をぶんぶん振った。


「天音と真冬ちゃんと霧島先生だけで聴いたんでしょ!?羨ましすぎ!」




「でも……ピアス先生、今すごく忙しいし」


 天音は申し訳なさそうに言った。


「お願いするのは難しいかも」




 真冬の肩が、沈む。


 それでも、瞳の奥には微かな光が残っていた。焦りもあるのだろうが、


“聴きたい”“あの音に触れたい”という切なさが、まだ消えていない。




 晴花が場を変えようと明るく声をあげる。




「ねぇねぇ!じゃあさ!どんな曲だったの?雰囲気とか歌詞とか教えてよ!」




 天音は少し考えてから答えた。




「明るくて、テンポがちょっと速くて……でも、やさしい曲。


“抱えきれなきゃ、持ってもらおう”って歌詞が、すごく響いたよね」




 真冬も、小さくうなずく。




「……あの歌詞、私も好き。音も好きなの。


 その前にある“ふふんふーん、ふふふ”ってところ……


 あれが流れた時、胸が軽くなったみたいで……」




 言いながら、真冬はそっと目を閉じた。




 そして──無意識のまま、唇が動く。




 ふふん、ふーん、ふふふ……








 部室が一瞬静まり返る。




 ちいさな音だった。


 囁くような、風のような。


 でも確かに──音階を持った“歌”だった。




 天音は息を呑んだ。


 八雲は鍵盤から手を離し、わずかに震える指を見つめた。


 晴花は手で口を覆っている。


 誰も言葉を出せない。




“この世界では、音を自分の意思で産み出せる人間なんていない”。


 ずっとそう思ってきた。




「……今、歌った……?」


 天音の声は自分でも驚くほどかすれていた。




 真冬はきょとんとした顔で周囲を見渡す。




「え……?」




 晴花が叫ぶように言った。




「い、いまの絶対歌! ピアスくんが歌ってたやつだよ!」




 八雲が、真冬を真正面から見つめる。




「……そんなこと、できるはず……


 でも……いま、確かに……!」




 真冬は、自分の口元をおそるおそる指でなぞった。




「……わたし……歌ったの……?」




 その声は、震えているのに、不思議とあたたかかった。


 驚きと戸惑いと、そして──


 ほんの少しの、希望が混ざっていた。




 天音はそっと真冬の肩に手を置いた。




「うん。歌ってたよ。


 音が……こぼれたんだよ、真冬。


 真冬の中から」




 部室の空気が、ふるりと震えた。


 誰かの音が、初めて“自分の意志で”世界に触れた瞬間だった。




 天音は密かに思う。


「もしかしたら──真冬もまた“何か”を変える存在なのかもしれない」




 外で叩かれていた伊武のドラムの残響が、


 遠くでまだ、風に混ざっていた。




 その音もまた、誰かの心を揺らしながら。

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