第14節~響音部
火曜の昼休み。
伊武が掲示板に貼り紙をぺたりと貼った。
〈響音部 部員募集〉
〈ノイズ歓迎/音を響かせたい人、集まれ〉
太く、息をしているみたいに勢いのある文字だった。
伊武は一歩下がり、腕を組んで、それを誇らしげに見上げる。
だが、廊下の空気はそれとは少し違う。
「響音部?」「応援団じゃないの?」
「ノイズ歓迎って……大丈夫?」
ざわめきが紙のまわりに薄い膜のように広がる。
遠巻きにする視線は、好奇心と警戒の混ざった“音の沈黙”そのものだった。
その沈黙を割るように、八雲があくびをひとつ落として通り過ぎていく。
天音はその背中を見送りながら、晴花と視線を合わせた。
「伊武先輩、めちゃめちゃ張り切ってますなぁ〜。私も演奏してみたいなぁ〜」
晴花は口を尖らせ、肩をすくめる。
「まあ……いいんじゃない? 私たちはマネージャーってことで」
「うん。支える側だよね、今のところは」
演奏はできない。
――でも、背中を押すことならできる。
今の自分たちにできる“音”の形は、それだと天音は思った。
それは、ノイズと呼ばれてきた彼らを支える位置でもあった。
むしろ、だからこそ必要な役目なのだと。
放課後。旧校舎──瞑想室。
扉を開けた瞬間、空気の温度が変わった。
特別なことは何も起きていないのに、呼吸にひっかかりがある。
その微かな緊張を、天音は肌の近くで感じ取った。
今日は、霧島先生が正式に顧問として“指導”に立ち会う日だ。
けれど、その指導が何を指すのか、この世界では誰も知らない。
“意志によって音を生む”という文化そのものが存在しないからだ。
人は、生まれつき持つテーマに鳴らされ、
声も、動きも、表情すらも、その枠から外れない。
だから“演奏”という概念は、幻想よりも遠い。
霧島先生はホワイトボードの前に立つと、小さく息を吸い、
「……えっと、まずは、音を出すところから、始めましょうか」
と、震える声で言った。
誰も笑わなかった。
音を出す──その言葉自体が、この世界では挑戦だったからだ。
ピアスはギターを抱え、そっと弦に触れた。
「まずはいろんな音楽に触れてほしいんだ。
僕が得意なのはロックで、あとは全然だけどね」
その瞬間。
空気が、ひっくり返った。
弦が震え、木が共鳴し、壁が響きを返す。
その“返り”すら意志を持っているようだった。
音ではなく、力だった。
テーマとは違う、人の手で形にした“意志の音”。
天音は目を見開いた。
胸の奥を指で弾かれたように、内部で何かが震える。
霧島先生がかすれた声で呟く。
「……これが、ロック」
そこに、ピアスの声が乗った。
前に聴いた英語の歌よりも激しく、
日本語の言葉が音に抱えられて、ぶつかってきた。
若者が夢へ向かって走る物語。
まるで1本の映画のように、それが、目の前で燃えているようだった。
ここではありえない情熱が、音になって跳ねていた。
ピアスが弦から手を離しても、
誰も息を吐けなかった。
沈黙のなか、伊武が突然叫んだ。
「うおおお!なんだよこれ!これがロック!?
ちくしょう!おれも響かせたい!!」
その声はテーマではなく、純粋な衝動の音だった。
ピアスは嬉しそうに笑い、
「伊武くん。それなんだけどさ──君にはドラムをやってほしい」
「ドラム?なんだそれ」
ピアスはホワイトボードにリズムの図を描いた。
円と線。打点。
見たこともないが、不思議と耳がそこに“音”を想像する形。
「ドラムっていうのはね、叩いてリズムをつくる楽器だよ。
君のテーマは破裂音や打撃音に近いから、相性がいい。
身近な“鳴り”から始められるんだ」
それは伊武の身体の奥に眠っていた音を、
そっと拾い上げるような言葉だった。
「ボクがつきっきりで教えるから」
伊武は拳を握りしめ、
「よっしゃあ!叩きまくるぞ!!」
と叫んだ。
その瞬間、天音は確信した。
伊武の中には、まだだれも聞いたことのない音であふれている。
真冬が静かに手をあげる。
「ピアス先生……わたしは、どうしたらいいの」
その声は静かだったが、どこかに焦りが滲んでいた。
ノートを握る指先が、わずかに震えている。
霧島先生が前に一歩出る。
「そのあたりは、ピアス先生と相談してあるから。任せてね」
ピアスは増幅器を指して説明した。
「真冬さんには、自分のテーマやノイズを“増幅器”に乗せる練習をしてほしいんだ。
晴花と天音は、ボリュームあげるのが上手だから、補助をお願い」
天音は小さく頷いた。
ノイズを沈めて生きてきた子たちの音を、
今度は“上げる”側に回る。
それはただの補助ではなく、この部の核になる仕事だ。
霧島先生が八雲へ視線を向ける。
「八雲くんは、さっきのピアス先生がギターでだしてくれた音を再現して欲しいの……頼めるかな?」
八雲は無言で鍵盤の前に立ち、
ピアスが演奏した曲の一部を再現するために指を置く。
「……できるかどうかは知らないけど、やってみるよ」
霧島先生がニコリと笑い、パン、と手を叩いた。
「じゃあ、増幅器組は明日から朝練です!
場所は瞑想室。反射と増幅器を使って、ノイズを“載せる”練習をします。
それと、みんなも毎日鍵盤に触って、音に慣れること!」
“鳴らさないこと”を正しさとして生きてきた。
だが今、“鳴らす”ことを目標にむかっている。
霧島先生はまっすぐ前を向き、
「段階を踏んでやりましょう。呼吸から、身体の使い方から。
無理はしない。けれど、必ず前に進みます」
その声は震えていたが、決意の音だった。
八雲はさきほどの音を再現しようと鍵盤と向き合う。
真冬は増幅器に向き合い、ノイズの調整をする。
天音はテーマの出し方をかみ砕いて説明し、
晴花は記録と補助に走り回る。
音はぎこちなく、震え、途切れそうなほど微弱だ。
でも、その一つ一つが確かな前進だった。
天音はふと、瞑想室全体を見渡した。
この部屋はまだ、不完全だ。
でも──確かに始まっている。
だれかの音が、だれかを支え、だれかの未来になる場所。
響音部。
それは、音を鳴らす場所であり、
誰かに届くための場所だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます