第6話 金翼の夜

【数週間後】


帝都に吉報が相次いだ。


バルゼンの補給基地が革命軍の爆撃を受け一時騒然となったが、すでに主力を投入していた帝国軍の勢いは止まらない。

半年間膠着していた山岳戦線は、嘘のように押し切られ、バルゼン攻略は完了した。


その間、黒翼は静かに名を上げていく。

表に出ない諜報任務のはずが、バルゼン初陣の戦果は兵たちの噂に乗り、リヴィアの名は“黒の魔導士”として囁かれるようになった。

カラムの采配、アシュの火線、リズの雷撃、ネロの支援——積み上げた任務は、見えない勲章となって彼らの襟元に光った。


一方、グレイは別の光を追っていた。

バルゼン攻略関連の軍事文書が何者かの手で“外”へ送られている。

封緘の魔術は完璧に見えたが、印蝋の熱でできる極小の気泡列が“二度開封”を示していた。

宛先には、使い捨ての転送符。辿れた先は——革命軍の連絡網。


(送り手は議会側……ディルク・ハイゼン。やはり、お前か)


グレイは紙背の冷たさを指に残したまま、次の舞台に向き直る。

帝国はバルゼン制圧を祝い、**帝都グランドアーカムで「凱旋褒章式」を、続けて祝宴「金翼会」**を催すのだ。



【帝都・繁華街】


「ここに入ろう!」

リズが迷いなく指を伸ばす。

煌びやかな装飾のブティック。ショーウィンドウには宝石のようなドレスが並ぶ。

リヴィアは両手いっぱいの買い物袋を抱え、半歩後ずさった。


「えっ……。」

「どうせドレス持ってないでしょ? 『金翼会』はみんな盛るの。手持ちで行ったら悪目立ち間違いなし!」

「それ、私行かないとダメ?」

「何言ってるの! あなたは影の主役よ。こういうときは“目立たないように、ちゃんと目立つ”の!」


(絶対に目立ちたくないのだけど)


店内は色彩の洪水だった。

リズは店員と瞬時に打ち解け、リヴィアに矢継ぎ早に試着を投げ込む。


「いいね!!」「きれい!」「かわいい〜!!」


落ち着く間もないうちに、鏡の中の自分がいくつも通り過ぎる。

最後に一着。

カーテンを開くと、リズが言葉を失い、店員が小さく息を呑んだ。


「……それ、買い。」

「えっ」

「異論は認めません」


会計を終えると、リズは腕を組んで満足そうに頷いた。

「黒翼は他より稼ぐし、宿舎暮らしで使い途ないでしょ。投資よ投資」

「……お披露目が、楽しみ?」

「もちろん!」

リヴィアは思わず笑った。


(帝国軍に入って、日常が……少し色づいた)


灰色の空に、淡い日差しが混じって見えた。



【グランドアーカム25階・講堂/凱旋褒章式】


壇上で、帝国軍総司令官エルンスト・ラーデンが祝辞を述べる。

背後には軍最高幹部、上座には議会の面々、さらに最上段——皇帝が装飾椅子に座していた。

覇気はない。ただ帝国の肖像がそこにある。


「今回は誠に、大義であった」

ありきたりな文言が静かに降り、皇帝は席に沈む。


表彰が始まる。

巨大な表彰状とバッジが、次々と受章者の胸に渡る。


「軍務部特務課・グレイ=アークライト少佐」

「はい」


「軍務部特務課・諜報係、リヴィア=ノクス一等兵」

「はい」

一瞬、客席にざわめき。


「……あれが例の」

「闇魔法の化け物らしい」

「魔族じゃないのか」

ヒソヒソとした毒が空気を汚す。カラムが振り返って睨むと、音は霜のように溶けた。


式は粛々と終わる。

退出の列で、グレイが横に並ぶ。


「リヴィア、次の異動で俺はさらに前線寄りになる。部隊長に留まれるかは分からない。冬が明けるまでに、核心へ近づきたい」

「分かったわ」

「任務の合間に、個別の依頼も増える。……頼む」

「ええ。いつもの通り」


二人は短く頷き合い、講堂を後にした。



【特務課・執務室(夜)】


「祝賀会で、ある人物に近づいてほしい」

グレイは机の引き出しから、小さな黒い装置を取り出した。

「位置探知の魔道具だ」

「……誰に?」

「ヴァルグレイス将軍」

「人類最強って噂の?」

「ああ。必ず来る。しかも——君に話しかけるはずだ。

隙を見て、それを付けてくれ」

「そんな相手、気づくんじゃない?」

「隠すのは君の得意だ。魔力で薄膜を噛ませろ。反応は俺の端末に来る」

「……了解」



【グランドアーカム5階・大広間/祝宴「金翼会」】


金と白で飾られた大空間は、人と音と香りで満ちていた。

丸テーブルの上に、宝石のような料理。

グレイは着慣れないタキシードの襟を指で整え、グラスを口へ運ぶ。


「グレイ少佐」

振り向くと、エレナがゆっくりと近づいてくる。

深い色のドレスが、歩みとともに静かに揺れた。

「遅かったな」

「どうでしょう」

「……綺麗だ」

控えめな言葉に、エレナがほんの僅か微笑む。


「わぁ〜、やっぱり二人って、できてる〜?」

背後からリズが割り込む。

「無礼ね。上司と部下よ」

「残念だったな、少佐」

カラムが肩を叩き、グレイが狼狽える。

「な、なぜ!?」


「……あれ? リヴィアは?」

「まだ来てませんね」


その時、大扉が音もなく開いた。

真青の光沢が、ホールの視線をさらっていく。

水面のように光を返すドレス。肩から流れる黒髪。

リヴィアだった。


「わぉ」カラムが素で漏らし、

「姉貴……こんな綺麗だったのかよ……」アシュが目を丸くする。

リズは鼻で笑った。

「ふふん。ポテンシャルは最初から見抜いてたわ」


注目に戸惑いながら、リヴィアは仲間の元へ小走りに来た。

「ごめんなさい」

「いい。まだ時間内だ」

グレイは平静を装うが、耳が少し赤い。

その色を、エレナは見逃さない。


祝辞が続き、音楽が満ちる。

やがて人波が解け、各所に小さな輪ができ始めた。


リヴィアの周りには、物珍しさと欲望の混じった視線が集まる。

彼女は困った笑みで受け流し、距離を取る。

少し離れた場所で、グレイがぼそりと呟いた。

「……見せ物じゃないんだぞ」

「お、嫉妬っすか大将」

「ち、違う」


その輪が自然に開いたとき、静かな気配が立った。

ヴァルグレイス。

礼装の燕尾が光を弾き、灰色の瞳が細く笑む。


「君が噂の黒翼の新顔かね」

「認知いただき、光栄です」

「闇魔法だとか。珍しい。どこで学んだ?」

「エルデナです」


僅かに、将軍の眉が動いた。

リヴィアはその微細を見逃さない。


「エルデナか。魔法の教育が進んだ国だった」

「……でした」

「よくその生い立ちで帝国に入った。誰の勧誘だ」

「同級生の、グレイ少佐です」

「ほう。彼の同級生か。なら、期待できる」

「ご期待に応えられるよう、尽力します」


会話の間、リヴィアの左指はドレスの縫い目に沿わせるふりをして、燕尾の内側へ薄い魔力膜を滑り込ませた。

微振動ひとつ。

(——付いた)


「では、またこうした場で」

ヴァルグレイスは軽く会釈し、音の輪に溶けていった。


リヴィアは息を整え、遠巻きにこちらを見ていたグレイへ小さく頷いた。

グレイのポケットの端末が、一回だけ、青く点滅する。


祝宴は夜更けまで続いた。

笑い声と、囁きと、計算と。

リヴィアは疲れた笑顔のまま会場を後にする。

背後で楽団が最後の曲を奏で、天井の金翼がゆるやかに光った。


(——金色の夜は、長くは続かない)


外気に触れた瞬間、ペンダントが胸元で静かに鳴った。

遠くの塔の上で、誰かがこちらの灯を数えている。

帝都の風は、今夜も灰色だった。

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